私は、「不思議なこと」が割合と好きです。
でも、「とんでも科学」とか「超常現象」とかを、まるまる信じているわけではありません。
「現在の」科学で説明できないことを、一刀両断に非科学的とか、単なる偶然とかで切って捨てるのはどうかな、と思うだけ。
不思議なことを、「世の中、不思議なことがあるもんやなぁ~」「なんでやろ~」と単純に愉しみたいクチ。
「100万分の1」(ピーター・ハフ 片岡みい子訳 文春文庫)は、副題に、「驚異の奇跡体験141」とあるように、偶然の一致にしては、あまりにも出来すぎてたり、信じがたい奇妙なエピソードを集めた本で、私の好みに合う。その中から、ジェームス・ディーンの車にまつわる話が「不思議やな~」と思うので、ご紹介します。
ハリウッドの伝説的俳優ディーンが車の事故で亡くなったのは、我々団塊世代が小学生の頃。ご存知こちらの方。
マイカーなんて夢の夢。まわりを走ってる車といえば、トラックとかバスばかり。俳優という華やかな仕事とはいえ、スポーツカーの事故で死ぬとは、アメリカって、なんて豊かな国なんだ、と思ったことが、記憶に残っています。
この本を読んで、その死の状況や、事故を起こした車のその後に、結構、謎めいた「偶然」があることを知って、興味をひかれました。
ディーンが、運命の車と出会ったのは、1955年の夏、ロスアンゼルスのある邸宅の前。シルバーグレイのポルシェ・スパイダーを一目で気に入った彼は、その車を譲り受け、「嫌われ者(リトル・バスタード)」と名付けて、愛車とします。
しかしながら、俳優仲間や叔父、そしてレーシングカーの世話をしていたスタッフなどの誰もが、その車のことを、なんだか不吉な感じがする、と言う。本人も「自分はどうせスポーツカーを運転中に死ぬだろう」と冗談を飛ばしていたという。
そして、運命の10月1日。ディーンは、スピードレースに参加するため、整備担当を横に乗せて、ロスアンゼルスから、高速に乗ります。見通しもよく、車も少ない中、愛車の実力を試すため、ディーンは、アクセルを思い切り踏み込みます。
と、そこへ、学生が運転している対向車線のセダンが、なぜか、ディーンの車のほうへ進路を変更してきます。急な事態に、ディーンのブレーキは、間に合わず、両車は、正面衝突します。ディーンは即死。これだけの事故にもかかわらず、同乗していた整備担当も、相手の学生も無事、というのがまず不思議。
さて、事故を起こしたポルシェは、まるで呪われた車のように、関係者に次々と災いをもたらします。
部品を使うため事故車を譲り受けた男のガレージで、荷下ろしを手伝っていた整備工の上に、ポルシェが落ち、整備工は、片足を骨折した。
エンジンを譲り受けた医師は、そのエンジンで走ったところ、コントロールが効かなくなり、死亡。ドライブチェーンを譲り受けた別の医師もそれを取り付けた車で、重傷を負う事故を起こしている。
二本のタイヤを譲り受けた愛好家は、それにはきかえて走った途端、パンクし、危うく死にかけた。また、事故車から記念品を持ち帰ろうとしたファン数人が、部品の取り外しの時に、ケガ。
事故車が見せ物として、巡回展示中もトラブル続き。3回目の展示会の時、保管していた倉庫で火災が発生し、倉庫は全焼した。しかし、なぜかポルシェだけは、まったくの無傷だった。
次の展示会では、ポルシェがスタンドから落下し、見物人が腰の骨を折ったり、搬送中のトレーラーが衝突事故を起こして、ドライバーが死亡したりと災難続き。
まさに呪われたとしかいいようのないこのポルシェのその後ですが・・・・
1960年、展示会を終え、フロリダから、トラックで、返却のため、ロスアンゼルスへ送られました。トラックは確かに、着いたのですが、なぜかポルシェは影も形もなくなっていた。いまだに「行方不明」というから、最後まで「不思議な事件」で、私の「不思議やな~」心をくすぐり続けています。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。