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第219回 第2の名前を持とう

2017-06-02 | エッセイ

 遠藤周作のエッセイを読んでいて、「う~む、なるほど」、そして「それならオレもやってた」と思った事があります。

 それは、「自分の本名のほかに、1つか2つの名前を持とうよ」ということです。

 ご存知のとおり、遠藤は、敬虔なカトリック教徒で、「沈黙」、「イエスの生涯」、「海と毒薬」など、自らの心情、信仰、苦悩などと正面から向き合った重たいテーマの名作を数多く世に送り出してきました。

 その一方で、彼の心の内には、例えば、人前でカッポレを踊る、のように、ハメを外すというか、馬鹿げたことをしたいという衝動が抑えがたくあった、というのです。

 作品からのイメージで、根っからのマジメ人間、堅物と思われ、また、そう振る舞うことを期待されてることへの反発みたいなものもあったのだろうと想像します。
 で、その内なる衝動に従っていろいろ活動しようとした時に、彼が考えたのは、「遠藤周作」という名前(本名)のままだと、それについてまわるイメージが払拭しきれず、いろいろ制約もありそうだ、ということ。

 しからば、どうするかを考えて生み出した策が、別の名前(号)を持つこと。そう「狐狸庵」先生の誕生です(なお、別号で「雲谷斎(うんこくさい」というのも持ってますが・・・)。

 三島由紀夫(こちらは、いかにもの立派なペンネーム)から「なぜそんな年よりじみた名前をつけたの」と聞かれた遠藤が答えたのが、「そのほうが、生き方が楽ですからね」というもの。

 事実、「狐狸庵」先生として出演したインスタントコーヒーのCMは、私もよく覚えてるし、「ぐうたら」エッセイシリーズも随分愛読しました。こちらは、「狐狸庵閑話」(新潮文庫)です。

素人劇団を立ち上げたり、音痴だけを集めた合唱団によるディナーショーを開いたり、などは、「作家・遠藤周作」の名前と生き方を引きずっていたら、とても実現できなかっただろう、ともエッセイに書いてました。まさしく「生き方が楽」を実践できたわけです。

 名前って、ひとつと決まってる訳じゃないですし、芸能人なら芸名、作家ならペンネームを使うのが普通です。
 仕事と遊びで、服を着替えるように、本名のほかに、名前ーーできれば、「号」のようなものーーを持つと「世間に宣言して」(これも大事なポイントです)、使っていこうよ。いろんな生き方が出来て、人生の幅もうんと広がるよ、というのが、「狐狸庵」先生の成功体験に基づくアドバイスです。

 と、ここまで読まれた方の多くが、お気づきのはず。そう、お店の句会用の俳号が、そのまま、普段もお店での通り名として、通用してる人が、私も含めて結構多いんですね(余談ですが、かの天才写真家アラーキー先生の俳号は、「挿入」だそうで、その作品を是非見てみたい!)。

 名前由来のニックネームのほかに、俳号が賑やかに飛び交うと、お店の雰囲気が、和やかに、そして、明るくなる気がします。

 たまたま、お店の句会に参加する時に、マスターからの奨めもあって、自分で考えた「芦坊(ろぼう)」という俳号ですが、おかげで皆様に「愛用」していただいてる。当ブログのタイトルにも使わせてもらってます。

 私自身は、根がマジメな性格で、あまり社交的なほうではないです(ホントに)。でも、この俳号というか、「第2の名前」のせいもあって、お店ではリラックスでき、ほかのお客様にも親しく接していただけてるように感じます。また、初めての人とも、出身地に由来する私の俳号がきっかけで、打ち解けることができる、というのもメリットかも。

 考えてみれば、忘年会で恒例(?)となってる「アブない芸」も、「芦坊」という名前と、仮面
と、そして、さばけた女性の協力があるから、出来てるようなものですね(とても本名じゃできません!)。

 「結果的に」ですけど、狐狸庵先生のアドバイスを実践してたわけで、今頃になって、その有り難さが身に沁みてます。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

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