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第432回 コトワザ考

2021-07-30 | エッセイ

 小さい頃、「夢路いとし・喜味こいし」という漫才コンビが関西で人気を集めていました。左が「こいし」さん、右が「いとし」さんです。

 その二人がコトワザをネタにしてやり取りする舞台を、テレビで面白く見たのを思いだします。

 ボケ役の「いとし」があるコトワザを言います。それに対して、ツッコミ役の「こいし」が素早く反対の意味、教訓のコトワザで応戦するのです。笑いながらも、世の中というのは、単純にひとつのコトワザだけで割り切れるものではないのだな、などとナマイキな感想を抱いていました。覚えているままに、コトワザだけを対比して書き出してみます。

 二度あることは三度ある ー> 三度目の正直
 人を見たら泥棒と思え ー> 七度(たび)探して人を疑え
 早いもん勝ち ー> 残りものには福がある
 嘘つきは泥棒の始まり ー> 嘘も方便
 善は急げ ー> 急(せ)いてはことを仕損じる
 蛙の子は蛙 ー> 鳶(とんび)が鷹を産む
 早起きは三文の得 ー> 寝る子は育つ

 最後のやりとりで、どっとウケてましたかねぇ。

 さて、コトワザはコンパクトなのが持ち味ですから、その意味合いとか使い方が分かれるものがあります。私なりの勝手な解釈も交えて、いくつかご紹介してみます。

<傍目八目(おかめはちもく)>
 いきつけの店の先代マスター当時、お店には碁盤、碁石が何セットか置いてありました。好きなお客さんも多かったですから、対局が始まったりします。そばで見ているMさんのつぶやきです。
 「う~ん、そう打ちますか?」「押さえたい急所があるんだけどなぁ~」
 なるほど、これが傍目八目というものだな、とその時実感しました。対局者同士はとかく熱くなりがち。冷静な第三者には、八目先まで読めることってあるのかも知れません。そういう人への敬意というのが第一義でしょう。

 でも、サラリーマン時代を振り返ると、ちょっと違う使い方をしていたように思います。私を含めた関係者でいろいろ知恵を絞ったり、苦労をしている時に、脇からいろいろ口出し、余計なアドバイスをする人っているものです。そんな時には、「所詮、アイツの無責任な傍目八目や。ほっとけ。ほっとけ」と非難めいた調子で使っていたのを思い出します。

<鶯(うぐいす)鳴かせたこともある>
 昔、このことわざを引用して、若い頃、いかにモテたか自慢していたオジさんがいました。でも、粋筋のお姐さんなんかが、男性にモテたことをちょっと自慢げに言うのが本来の使い方なんですね。「真室川音頭」という民謡の歌詞に、「わたしゃ真室川の梅の花/あなたマタこの町の鶯よ/花の咲くのを待ちかねて/蕾(つぼみ)のうちから/通(かよ)てくる」とあります。
 自らを梅の花に見立てて、言い寄ってくる男性方を鶯に例えてるわけです。

 鶯といえば女性を連想しますし、「鳴かせた」を「泣かせた」と勘違いする男性の誤解も無理からぬ気はします。でも、今どき、男女を問わず、このコトワザで、モテを自慢する人っていないでしょうね。死語ならぬ「死コトワザ」に思えます。

<ごまめの歯ぎしり>
 「ごまめ」というのは、小型の片口鰯(かたくちいわし)のことです。食料としてだけでなく、田に撒く肥料としても貴重なものでしたから、江戸時代の人にとっては身近な魚だったようです。それにしても、その「歯ぎしり」をもって、届かぬ悔しさの例えにするユーモア精神に感心します。

 「オレなんかがああだこうだ意見言うても、誰も聞いてくれんわ。所詮「ごまめの歯ぎしり」や」と自嘲的に使うのがひとつ。
 「アイツみたいに能力もないのに、ぶつぶつ言うても「ごまめの歯ぎしり」や。気にせんとこ」と、他人に対して皮肉っぽくも使える便利なコトワザです。

<雪隠で饅頭>
 これもほぼ死語ですが、「雪隠」とは便所のこと。そこで饅頭という美味しいものを食べる状況を想像すると、食べ物に限らず、隠れてこっそり独り占めすることを非難する調子があります。
 食べた本人にとっては、雪隠であろうがどこであろうが、美味しいものは美味しい。手に入れたもん勝ち。多少後ろめたい気持ちはありつつも、開き直ってる感じが伝わってきます。こちらも両用可能なことわざと言えそうです。

 いかがでしたか?コトワザに込められた先人の知恵に思いを馳せていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。


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