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第587回 謎の画家バンクシー物語

2024-08-02 | エッセイ
 謎につつまれたイギリス人画家・バンクシー(通称)を、NHKのドキュメント番組「アナザー・ストーリーズ」が取り上げていました(2024年3月1日放映)。
 美術界という既成の権威への反発、不満から、彼は創作活動をスタートさせました。しかし、その過激さ、ユニークさがかえって評判を呼び、自身のブランド力、商品価値を高めてしまう、というきわめて皮肉で、興味ひかれる「ストーリー」です。番組内容に沿ってご案内します。最後までお付き合いください。

 1980年代、イギリスでは新自由主義経済政策が採られた結果、貧富の格差が拡大し、多くの若者が不平、不満を抱えていました。バンクシーが生まれ育ったブリストル(ロンドン西方、約170kmの港湾都市)でも、若者と警官隊との衝突が日常化していました。

 そんな中、無断で建物の壁や塀に巨大なスプレー画を描き、社会へのメッセージを発信する「グラフィティ(落書き)・アーティスト」と呼ばれる若者が続々と現れます。バンクシーもその一人で、当時、彼が描いたとされる2点の「作品」です(以下、画像は全て同番組から)。

 彼らの活動を、プロカメラマンとして追いかけていたラザリデスは、当時まだ10代のバンクシーと出会います。そして、バンクシーに代わって番組に登場し、いろいろ語るのです。

 出会った時の印象を「寡黙で無愛想な青年で、第一印象は決して良くなかった」とラザリデス。でも、彼の作品に接して、すっかり惚れ込んでしまい、「見た瞬間に恋に落ちた」といいます。そして、1997年、ついに決断するのです。プロカメラマンを辞め、バンクシーのマネジメントに専念することを。
 活動の拠点を、ロンドンに移すのが最初の仕事でした。でも、そこは至るところに監視カメラの目が光っています。そのため二人は知恵を絞ります。ステンシル(画像を切り抜いた型紙)を何枚か用意し、スプレーを吹き付けて、手早く「作品」を仕上げる手法を採用したのです。おかげで多くの作品がロンドン中で話題にはなったものの、美術界からは、まともなアートとは評価されず、鬱屈した日々が続きました。

 ある日、パブで飲みながら、バンクシーはラザリデスにある計画を持ちかけます。イギリスを代表するテート・ブリテン美術館に侵入し、自分の作品を無断で展示しようというのです。「まるで銀行強盗に入る気分」とのラザリデスの言葉も無理はありません。でも、周到な準備により計画は成功します。番組では、彼が撮影したその時の動画が流れました。その一部です。

 「あれは本当に痛快だった」「自分の絵と有名な絵のどこが違う。展示される場所でアートを判断する人への強烈な皮肉だった」とラザリデスは、バンクシーの気持ちを代弁しています。
 翌年には、ロンドン自然史博物館、大英博物館、メトロポリタン美術館(米国)でも計画を成功させ、その動画を公開するなど、行動はますます過激になっていきます。
 2006年、アメリカでの展示会には3日間で有名人も含めて3万人が訪れました。おかげでバンクシーの作品は高値で転売されるようになります。商業主義とは一線を画してきたたはずの彼は、そのことに大いに不満を抱き、とんでもない「事件」を起こすことになるのです。

 2018年10月5日、彼の「風船と少女」という人気作品のプリント版が、サザビーズ(世界的なオークションハウス)で競売にかけられました。値はどんどん上がり、88万ポンド(約1億3千万円)で落札されました。すると、その瞬間、額縁内に仕込んであったシュレッダーが作動し、作品の下半分だけが短冊状に切り刻まれたのです。番組で流された動画の一部です。

 一体何が起こったのかわからず、会場は大混乱に陥った、と現場に居合わせた美術記者は伝えています。ハウス側はとりあえず「作品」を一旦引き上げ、関係者による協議が40分ほど続きました。疲れ切った表情で会場に戻ってきた責任者の一言です。「バンクシーにやられた」
 あまりの手際の良さに、バンクシーとサザビーズが手を組んだのではないか、との噂が流れるほどでした。
 そして、この「事件」には後日談があります。3年後、前回の落札時のままの「作品」が再びオークションにかけられ、29億円という「バンクシー史上の最高値」で落札されたのです。「バンクシーはさぞ怒り狂ったことだと思うよ。彼があそこまでやっても美術界という巨大なマーケットに飲み込まれていったわけだからね。あの事件以降、彼は少し自信を失くしているようにみえるよ」と語るラザリデス。作品の破壊という作戦は、まったくの裏目に出てしまったわけです。

 番組の終わりのほうで、彼の近況が伝えられます。パレスチナをたびたび訪れ、ハトなどのグラフィティを残すとともに、ホテルの建設までも手がけました。場所は、イスラエルがパレスチナの各都市を分断するために設置した分離壁のまん前です。部屋の窓からは壁しか見えません。でも、「世界一、眺めの悪いホテル」との評判で客が押し寄せ、商売繁盛です。ウクライナも訪れ、こんなグラフィティを残しています。

 黒帯柔道着の人物が誰かは、わかりますよね。私も、弱者に心を寄せる活動には共感つつも、またしても商売になってるんじゃない?と、ちょっぴり感じたことでした。

 いかがでしたか?アートとビジネスをめぐって、こんなエピソードがあったんだ、と知っていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。