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第424回 昭和のテレビから見えてくるもの

2021-06-04 | エッセイ

 もう半世紀以上も前のことになります。大学に合格して、教科書よりも先に、自分専用のポータブル型白黒テレビを(親の援助もあり)買いました。
 受験を控えて「禁テレビ」を自らに課してきた反動もあり、当時はラジオの深夜放送と合わせて、随分ハマったものです。今はテレビ離れがすっかり定着していますが、社会人になってからも、昭和という時代とともに、人並みにテレビには随分親しんできました。当時の番組を思い返すと、独特の熱気と輝きに満ちていたなぁ、と懐かしくなります。

 「昭和のテレビ王」(サライ編集部・編 小学館文庫)という本があります。「テレビサライ」というテレビ情報誌(現在は休刊中)の平成14年11月号から同15年11月号まで掲載されたインタビュー記事をまとめ、再構成したものです。

 昭和のテレビに、作り手として、また、出演者として関わった12人が登場します。そのうち3名を選んで、ご本人の言葉(★と★の間)と、エピソードなどを通じて、「今のテレビ」に(ちょっとエラソーながら)モノ申してみようという試みです。しばしお付き合いください。

★僕はテレビに関わったのも早かったけれども、手を引いたのも相当に早かったんですね。★(永六輔)
 NHKがテレビの実験放送の準備に入っている頃から、早稲田の学生の身分で関わっていたといいますから確かに「早かった」です。
 実験放送の台本がテレビ業界デビューで、その後、本格的に手がけた「光子の窓」(日本テレビ)、「夢であいましょう」(NHK)などのしゃれたバラエティ番組が懐かしく思い出されます。

 ラジオに軸足を移した理由を私なりに要約してしまうと、テレビがメジャーなメディアとなって、組織での番組作りが主流になり、多くの人が関わり過ぎ、個人の才能を発揮する場ではなくなったから、ではないでしょうか。
 「誰かとどこかで」(TBSラジオ)のように、マイナーであるが故に、あまり制約なく、自由にしゃべれるラジオに活躍の場を見いだすのはごく自然の成り行きだったようです。確かにコンパクトで、手作り感いっぱいのラジオというメディアが「今」もっと見直されていいと感じます。

★じいちゃんやばあちゃん、それから子供が喜ばないことは、決してやらないでおこうと誓ったのよ★(萩本欽一)
 欽ちゃんといえば「コント55号」です。一生それでやっていけるほどの人気でしたが、「駄洒落を言うようになったら、コンビを解消しようって、(二郎さんと)約束してたんですよ」(同書から)でスパッとコンビを解消しました。新たに、「スター誕生!」(日本テレビ)など歌番組の司会でした。型にはまらない欽ちゃんの奔放さがウケて、新たな境地を開きました。

 その後、「ドジをやるのが一番うまいのは、素人だって気がついたのね」(同書から)との発想からある番組を実現させます。視聴者からの投稿を紹介したり、寸劇にして笑いをとる「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(フジテレビ)がそれです。歌手の前川清さんや、中原理恵さんなど、お笑いの世界の「素人」も巻き込み、素人ゆえの間(ま)のズレ、とまどいを自然な笑いに変えるワザに感心したものです。
 テレビという場で、いろんな試みにチャレンジしてきた欽ちゃんの基本が引用した言葉です。「何でもあり」感いっぱいの昨今のテレビですが、視聴者あってのテレビ、という原点を、関係者の皆さんに、しっかり胸に納めておいて欲しいものです。

★良質の番組をゴールデンに流す。そうでなければ、テストパターンを出す(笑い)。そのくらいの勇気がほしいと思いますね★(藤田まこと)
 テレビデビューは、昭和32年の「びっくり捕物帖」(ABC(大阪))での与力役です。東京から俳優を呼ぶ予算がなく、主役の漫才師ダイマル・ラケットの口利きでした。「関西在住で、チョンマゲが似合い、江戸弁がしゃべれる」(同書から)との条件にぴったりで出演が決まりました。父親が東京出身の無声映画俳優で、のちに京都に居を移したことが、この幸運に繋がり、昭和37年から始まった「てなもんや三度笠」(ABC(大阪))での大ブレークに繋がります。

 その後、キャバレーまわりなどの不遇の時代を経て、「必殺シリーズ」などは20年を越える長寿番組になっています。デビューがデビューでしたから、軽演劇系と見られがちです。でも、自身の失敗作は必ずビデオに録画して研究しているといいます。本格派の役者としての熱意、隠れた努力・精進に頭がさがります。
 そんな彼だからこそ言えるこの言葉。テレビ業界の皆様にもちょっと噛み締めて欲しいです。


いかがでしたか?なお、少し前に「ラジオの時代」(第365回)という記事で、ラジオというコンパクトなメディアを話題にしました。(リンクは<こちら>です)。合わせてお読みいただければ幸いです。

 それでは次回をお楽しみに。


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