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第452回 奇人列伝-6 宮武外骨ほか

2021-12-17 | エッセイ
 これまで5回にわたって「奇人列伝」シリーズをお届けしてきました(現サイトにアップしたNO.2からNO.5までのリンクを文末に貼っています)。前回からだいぶ経ちますが、いまだに時々アクセスをいただきます。熱心な「奇人ファン」がいらっしゃるのだと勝手に想像しています。
 そんなファンのお声(?)にお応えし、以前、ネタ元にした「昭和超人奇人カタログ」(香都有穂(こと・ゆうほ) ライブ出版)から落ち穂拾い的に3人の奇人をご紹介することにしました。ファン以外の方も、いずれ劣らぬ変人、奇人ぶりをお楽しみください。

<宮武外骨(みやたけ・がいこつ)(1867-1955)>
 「頓知協会雑誌」「滑稽新聞」など多くのパロディ雑誌を発行し、反権力、反既成道徳を貫いた明治・大正のジャーナリストです。そのため、ブタ箱に入ること数十回に及んでいます。その破天荒な生き様は、奇人変人の筆頭格といっていいでしょう。ご本人の肖像と滑稽新聞です。



 嫌いなものは、当然のごとく、官僚、政党、軍閥、貴族政治、富豪政治など。
 一方、好きなものは、古書せんさく、魚釣り、ワイセツ事物研究、俗語収集・・・に加えて、「女性」ということになりそうです。

 生涯で16人のメカケを囲い、4度の結婚をしています。4度目の結婚の時のエピソードです。
 外骨の知人が妻を亡くして困っていると言うので、ある女性を、見合いの場へタクシーで送っていきました。車内で、「「少々カタイところもあるが・・・」と説明すると、その女性は突然、「そんなカタ苦しい男と一緒になると苦労する。いっそのこと、先生のような話のわかる人のほうが・・・」と話した。」(同書から)
 見合いが終わっても、その女性は「先生」のほうがいいと迫ってきて、結局、40歳という年齢を越えて最後の結婚となりました。微笑ましいというべきか、羨ましいというべきか・・・・

<内田百閒(うちだ・ひゃっけん)(1889-1971)>
 「百鬼園」の号を持ち、「阿呆列車」シリーズなどのエッセイで知られた作家です。漱石門下の中でも、その異色ぶりは際立っています。
 まずは、その金銭哲学が常識はずれ。5円借金するのに、往復10円のタクシー代を払っても平気でしたから。一時期、大学、士官学校などの教官を兼務し、月収500円という当時としてはかなり高額の報酬を得ていました。でも、その内、4百数十円は高利貸しへの利払いだったといいます。こんな言葉を残しています。「借金こそ心的鍛錬であり、できれば、貧乏仲間で借金してきた人から借りるのが、借金道の極致である。」(同書から)まわりはさぞ迷惑だったことでしょう。

 「百鬼園先生はまたオナラの名人であった」(同書から)とあります。徳川夢声が自宅に招かれ、ごちそうを食べていると、百閒は小言を言いながら、「ブー」「バリバリ」と堂々と放屁したのです。世間常識の面から咎(とが)める夢声に対して、生理的に出るものは仕方がないと応じる百閒。大議論に発展したといいます。百閒の傍若無人ぶりを彷彿とさせます。

<菊池寛(きくち・かん)(1888-1948)>
 作家として数々の作品を残し、「文藝春秋」の創刊者としても知られています。なかなかユニークなキャラの持ち主だったようです。
 若い頃から自分の容貌にコンプレックスを持ち、陰鬱な性格でしたから、一高時代には「憂うつなる豚」とあだ名されました。また、ほとんどしゃべらなかったことから、「あいつはキクチカンではなく、クチキカンだ」と揶揄(やゆ)されたともいいます。

 その無精ぶりも特筆ものです。顔は洗わず、風呂も入りません。たまに顔を洗う時も、水道の蛇口の下に顔を持っていって、直接水をかけます。手ぬぐいは使わず、自然に乾くのを待っていたというから徹底しています。
 結婚に際しては、奥さんから、1.朝起きたら自分で床をあげること 2.顔を洗うこと 3.毎晩風呂に入ること の条件が示されました。まるで子供扱いです。ほとんど守られなかったと想像しますが・・・

 いかがでしたか。過去分へのリンクは、<NO.2(第156回)><NO.3(第175回)><NO.4(第187回)><NO.5(第203回>です。もう少し落ち穂がありますので、いずれ続編をお届けする予定です。

 それでは次回をお楽しみに。