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第453回 笑い納め2021年

2021-12-24 | エッセイ
 いろんなことがあった2021年も暮れようとしていますので、恒例の「笑い納め」をお届けします。以前にネタ元にしました「最後のちょっといい話」(戸板康二 文春文庫 1994年)の第3弾としてお楽しみください。
 なお、本年は当記事が最終になります。2022年は、1月1日(土)に新年のご挨拶、そして、1月7日(金)から通常の記事をアップの予定です。來たる年もよろしくご愛読ください。それでは本題に入ります。

★三島由紀夫は学習院を出て、大蔵省に8ヶ月つとめたことがあります。文章がうまいと聞いた大臣が、国民貯蓄振興大会の挨拶の原稿を書けと命じました。彼が、「笠置シズ子さんの華やかなアトラクションの前に私のようなハゲ頭が演説して、まことに艶消しでありますが」と前置きしたところ、そこだけは全部削除されていました。

★萩原朔太郎は手品がうまく、マジシャン協会の会員でもありました。いろいろ専用の道具も持っていましたが、歿後に遺族が見ると、メモが入っています。「規約だから誰にも見せずに処分してください」

★林家彦六(八代目正蔵 林家木久扇の師匠)が頼まれて、選挙の応援に行った時のことです。団地の構内に車でのりこみ、台の上から、こう呼びかけました。「長屋の皆様〜〜〜」ところがあんまり受けないどころか、不満そうな顔を皆がしています。候補者がうろたえて、「長屋なんていっちゃいけない。団地においでの皆様と呼びなおしてください」と小声でささやいたが、その場所を離れてから彦六は仏頂づらでつぶやきました。「長屋でなぜいけないんですか。私も長屋に住んでるんだ」
 師匠の高座姿です。



★俳優座劇場ができる前、その資金を作るために劇団の大幹部は、いろいろな映画に出ました。スケジュールもハードで、撮影がすむとすぐ夜行に乗って、京都から大船に直行という具合です。
 東野英次郎がある日、ラジオのスタジオから、日活の撮影所にゆき、メークアップをすませたら助監督が来て、スチールを見せ、「頭の分け方がちがいます。眉毛はもっと釣り上らなければ」と言います。そのスチールを見ていた東野が叫びました。「しまった、これは大映の顔だった」

★パリのノートルダム寺院の近く、セーヌのほとりに、ウーブリエットという酒場があります。日本人に案内されて戸板がその店に行ってみると、二階の壁に、十字軍の兵士が妻に与えて出征したと伝えられる貞操帯がうやうやしくかけてある。彼も本物を見るのははじめてだったので、かなり長く、ためつすがめつ眺めていました。その時、神妙なその案内者が大まじめで、こう言ったといいます。
「森繁(久彌)先生も、かなり熱心にご覧になっておられました」

★先代市川段四郎は野球が好きで、自分のチームを持っていました。女子のチームともたびたび試合をしたようです。戸板が「女子の選手との接触というのは、気を使うでしょう」と尋ねると、「いや、接触がいいんです。二塁を守っている時に、すべりこんで来たりすると、じつに結構です」との返事がかえってきました。

★夏目漱石が明治42年の夏、修善寺で胃潰瘍療養中、危篤に陥って、大騒ぎになりました。その報を聞いて、まっ先にかけつけたのが、安倍能成です。
 鏡子夫人が両手をひろげるような手つきで迎えました。「まぁうれしい、あなたが一番乗りなんて」と大喜び。「だってあなたの名前、アンバイヨクナルですもの」

 いかがでしたか?笑い納めていただけたでしょうか。本年も当「芦坊の書きたい放題」をご愛読ありがとうございました。2022年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。なお、過去2年分の笑い納めへのリンクは、<2019年><2020年>です。合わせてお楽しみいただければ幸いです。

 それでは皆様方、どうか良いお年をお迎えください。