★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
           毎週金曜日更新

第451回 指紋と犯罪捜査を巡る人間ドラマ

2021-12-10 | エッセイ
「テレビ離れ」の私が(珍しく)欠かさず見ていた(と過去形になるのは、残念ながら、2021年11月に放送終了したからです)ドキュメンタリー番組が「フランケンシュタインの誘惑」(NHK教育)です。科学上の発明、発見などに関わった人々の名誉をめぐる争い、研究成果の悪魔的応用など、裏面史ともいうべき中身を、専門家のインタビューなども含めしっかりと見せてくれる良心的な番組でした。

 先日(2021.10.15)の放送では、「消された指紋」のタイトルで、指紋が犯罪捜査に利用されるまでの歴史が取り上げられました。様々な人物が絡む興味深いものでしたので、内容をかいつまんでご紹介します。

 ヘンリー・フォールズという人物がいました。1853年にスコットランドに生まれ、貧しい医師で、キリスト教を信奉する一方、当時脚光を浴びていた進化論にも魅かれていました。こちらの人物です。



 医療宣教師としてインド、イギリスを経て、日本にやってきました。そして、大森貝塚の発掘に取り組むエドワード・モースを手伝うことになります。
 そこで、フォールズの目を引いたのが、3000年前の土器に残る指紋でした。これを研究することで進化論が証明されるかもしれないと考えたのです。数千の指紋を採集し、比較対照しました。その結果、同一の指紋はなく、すべての指紋は異なる、つまり「万人不同」が実証されました。
 さらに、彼は、指紋を削る、薬品で溶かすなどの処理をしても、同じ指紋が再生すること、2年間の観察でも指紋に変化がないことから「終生不変」(指紋は一生変わらない)の事実も発見したのです。

 その成果を、1880年、科学雑誌「ネイチャー」に論文として発表しました。そこでは「粘土、ガラスなどに、指の跡が残っていれば、それが犯罪者の身元を化学的に証明することになるかもしれません」と述べ、指紋の犯罪捜査への利用に言及した初の論文となりました。フォールズ自ら、日本、ニューヨーク、パリ、ロンドンの警察へ手紙を出し、犯罪捜査への利用を訴えましたが、残念ながら、反応はありませんでした。

 1888年、フランシス・ゴールトンなる人物が登場します。上流階級出身の人類学者、遺伝学者です。今でいう優生思想の持ち主で、優秀な人間を特徴づけるものとして「指紋」に目をつけました。そこで注目したのが2つの論文です。一つはフォールズのもの。もう一つは、その1ヶ月後に発表されたウィリアム・ハーシェルの論文です。
 ハーシェルも上流階級の出身で、インドで行政官をしていた当時、契約者を特定するのに指紋を利用したことから、20年以上にわたって指紋を採集していました。

 上流階級出身車同士のゴールトンとハーシェルが手を組み、1892年、ゴールトンが「指紋」という本を出版したことから、にわかに「指紋」に注目が集まります。
 そこでは、指紋が犯罪捜査に有効であり、その照合方法まで記述しています。そして、ハーシェルを「系統だった指紋の使用法を考案した最初の人物とみなされるべき」と書き、フォールズの名前は一箇所、しかも誤った綴りで出てくるだけです。先駆者としてのフォールズの地位は奪われました。

 フォールズも反撃に転じ、ゴールトン、ハーシェルとの非難の応酬が続く中、ゴールトンが会員である王立協会は、1894年、指紋を犯罪捜査での証拠として採用することを決定しました。そして、1905年、指紋の証拠能力を決定づける裁判が行われました。

 ベドフォードで起こった強盗殺人事件で、犯人は金庫に親指の指紋を残していました。現場から立ち去った男が逮捕され、指紋が一致したことから、殺人罪で起訴され、裁判となりました。

 検察側はゴールトンの理論を援用し、指紋は本人のものと主張します。一方、ゴールトンとの対抗上、弁護側にまわったフォールズは、10本の指の指紋がすべて一致しなければ、本人の特定はできない、との意に反する主張を行います。結局、指紋鑑定人の「11カ所の一致点があり、同一の人物のものと認められる」との意見が採用され、犯人は有罪、死刑となりました。
 ゴールトンの本の出版に続き、フォールズにとっては手痛い敗北です。3人の争いは、晩年まで続き、ゴールトン、ハーシェルに続き、1930年にはフォールズも亡くなりました。

 フォールズの名誉が回復したのは、1974年の「指紋協会」という世界的組織の設立がきっかけです。指紋に関する研究の歴史が洗い直された結果、フォールズの業績、先駆者としての地位が認められました。
 1987年、朽ち果てていたフォールズの墓は建て直され、こう彫り込まれました。
「指紋による科学的個人識別の先駆者」
 科学分野における業績、功績をきちんと評価する仕組みがあることを知り、少し救われた気持ちになりました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。