いたって日常的な関わりの中にも存在している
ヒュンヒュン飛び交う無数の言霊
それぞれが抱えた事情から生れ出る想い
それらは信号となり
まるで幾何学模様をモチーフにしたCGグラフィック動画のように
交錯しながら絡み合う
その絡み合う様をじっと観察しながら
それらの信号の力関係が繰り広げるストーリーの表裏を
「なるべく離れた場所」から見ていようとする自分がいる
目で見、耳で聞いたままを1次元の世界とするなら
その裏側に背中合わせのように存在するものを合わせて感じとることを
2次元の世界と呼んでみる
その絡まった2次元の世界で繰り広げられる事柄を
一人、俯瞰している自分が居る場所
そこが、3次元目の世界、ということになる
この場所は、非常に静かで安定している
但し
この場所では
「日常の意味においての言語」でのやりとりは
非常に困難となる
(だから時として、僕たちは詩の言葉を必要とする)
「日常の意味においての言語」を用いないとすれば
「アートという言語」を用いるしかない、と思う
逆に言えば
その「言語」を修得すれば、どんな相手とも通じ合える
とも言える
そのための道具に磨きをかけたいから
ギターを練習している、
と言ったら
ギターという楽器に対する不遜な発言になるだろうか
ヒュンヒュン飛び交う無数の言霊
それぞれが抱えた事情から生れ出る想い
それらは信号となり
まるで幾何学模様をモチーフにしたCGグラフィック動画のように
交錯しながら絡み合う
その絡み合う様をじっと観察しながら
それらの信号の力関係が繰り広げるストーリーの表裏を
「なるべく離れた場所」から見ていようとする自分がいる
目で見、耳で聞いたままを1次元の世界とするなら
その裏側に背中合わせのように存在するものを合わせて感じとることを
2次元の世界と呼んでみる
その絡まった2次元の世界で繰り広げられる事柄を
一人、俯瞰している自分が居る場所
そこが、3次元目の世界、ということになる
この場所は、非常に静かで安定している
但し
この場所では
「日常の意味においての言語」でのやりとりは
非常に困難となる
(だから時として、僕たちは詩の言葉を必要とする)
「日常の意味においての言語」を用いないとすれば
「アートという言語」を用いるしかない、と思う
逆に言えば
その「言語」を修得すれば、どんな相手とも通じ合える
とも言える
そのための道具に磨きをかけたいから
ギターを練習している、
と言ったら
ギターという楽器に対する不遜な発言になるだろうか