Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

「缶蹴り遊び」~小林真人ピアノコンサート後記

2008-07-22 | 過去のライブ後記
「人間の手前に音楽有りき」
ではダメなのだ

苦しい練習なども含めて
音楽は下手をすれば現実逃避の絶好な麻薬である

かく言う僕も、若い頃は音楽に逃げ込む音楽中毒患者だった

ちなみに今は日常の中で音楽をほとんど聞かない
何となくギターをつま弾きながら、
自分や身近な人のこと等、言ってみれば音楽以外のこと、
いたって私的なことばかりを考えている
そんな時間が大事なんだということに、若い頃は気づけなかった



こんな感覚を共有する小林君とのリハーサルは
いつも僕の家で丸一日かけて行われる
が、その時間の半分以上は喋っている

時間が無くなり
「残りの曲は本番当日の現場リハで」
ということもしょっちゅうである



会話はいたって私的な事から始まり
自分たちが人間について感じる全ての事にまで及ぶ
「個」と「全」の間を行き来する会話に「愉快」を感じ合いながら
彼との関係は十数年続いてきた

その十数年分の会話の蓄積を
それぞれの道具である楽器を用いて繰り広げる
これが彼との「合奏」の本質かもしれない



そんな小林君が、絶対の信頼を寄せ
「Breath」というユニットで人生を共にしている
オカリナ奏者の大沢聡さんとご一緒させていただいたのは
今回2回目になる

エンターテイナーとして常に(失礼な表現を承知であえて記すなら「僕から見れば苦しい程に」)
オーディエンスを意識し、巻き込みながら全体の活性化を図る大沢さんと、
(言ってみれば)
周りの空気も気にせず、ギターとの対話だけを支軸に演奏を進める僕とは
表現スタイルの違いという意味でなら対極に居ると、いっても過言ではない

しかし、最初にお会いし
コンサート会場で行われた初リハ、1曲目の終わった時
彼の「音」には「彼の全て」が詰まっており
彼のエンターテイメントは「必然」だったのだと感じた僕は
一気に彼のことが大好きになってしまった

それを演奏の後、お互いのたどたどしい言葉で確認し合ってる様子を
大沢さんと僕を引き合わせた小林君が
嬉しそうに見ていた顔がまた忘れられない



こんなお二人との演奏はいつも、ドーパミンが大量に出てしまい
気付けば極度の集中に身を置き
演奏後は精魂尽き果ててしまう

コンサート終了後
会場近くに設けていただいた打ち上げの席で、
みんなの会話が弾む中
一人ボーッとなった頭で考えていた

僕にとってこの場所は「缶蹴り」に似ている・・・
いや、「缶蹴り」そのもの、なのだな...と




子供の頃
缶蹴りという、缶を蹴るだけの攻防遊びに熱中した

大人から見れば
無邪気な子供の遊びにしか見えないが、
本人たちの中では
本気で策を練り、本気で走り、本気で喜び、本気で絶望する

敵が企てる巧みな策へのジェラシー
走るスピードで負けることからの悔しさ
共同戦線を張って敵をやりこめるワクワク感
自分だけの策が功をそうした時のなんとも言えぬ満足感...

学校から帰ったら毎日でもやりたい遊びだった




大沢さんと小林君という
僕にとって最高の遊び仲間である、お二人と
缶蹴りという名の演奏を繰り広げていると、
最高のミュージシャンに対して感じずにはいられない
僕の中の「嫉妬心」さえも、
この真剣な遊びの中で
「真の音楽」に昇華されてゆく感じがする




笑いながら
堅苦しい明日の約束もせず
「今」という喜びを無邪気に興じ合う

どうせまた明日になれば
この場所に集まってきて缶蹴りをするに決まってる仲間なのだと
お互いが既に、どこかで感じている
そういう思いが
音楽談義をすら排除する




子供心に立返り、気付けばこんな妄想をしながらニヤついてる自分がいる

「またこの次会うまでに虎視眈眈と策を練ってやろう
二人を絶対に驚かせてやろう
それを考えると楽しくて眠れないくらいだよ

小林君
大沢さん

また明日
この場所で待ってるよ

缶は僕が持ってくから」




音からの刺激にとどまらず、その人の存在自体が、
僕の内側の深いところにまで届き刺激して止まない
僕にとって最高のミュージシャン
小林君と大沢さんに尽きない感謝の気持ちを贈りたい





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大沢聡さんのHP
http://fruits.jp/~osawaongakukoubou/

小林真人くんのBlog
http://masatokobayashi.blog66.fc2.com/
コメント
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