Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

『インナーワーク』

2008-07-27 | ギターの栄養
丸一日、声を発せず
なるべく微かな物音しか起てず
外界からの刺激に、極力距離をとり続けた日の、深夜

ピアニシシモの音量さえ
耳に暴力的に響くのでは、と恐れながらギターを手に取り
そっと1音だけ鳴らしてみた

サスティーンぎりぎりまでかけたビブラートが
静かな水面を指先で触れた時のように
柔らかな波紋となって広がり消える

僕の鼓膜は一気に粟立ち、
音の消えた後には、切ないまでの「余韻」が残った

たまたま押さえた高音弦での
♭7度の音程が、普段は気付かない色彩を放ちながら
耳にしみ込んでゆく

キツいテンションの和音が宝石を散りばめたように
どれも美しく感じられる


耳が「ピュア」なのだ


無意識なレベルまで染み込んでしまっている
自分の中の音楽理論を全て捨て去るつもりで
気の向くまま偶発的に、次々とテンションコードを押さえてみる

美しさを感じられる間は、その全てが音楽として成立してゆく

このまま曲になるかもしれない…
僕の中で、点と点が繋がりかかる






自分の音楽に必要な
ドミナントコードに使用する複数のテンションや
代理コードを多用した複雑な一時的転調
それに伴うアボイラブルノートスケール等の法則を
解析することにおいて、どうしても生まれてしまう数学的な作業に
今までどうしてもドーパミンが分泌されなかった

音楽理論とは、先人が残した素晴らしい楽曲やアドリブ演奏を
解析し、後付けされたものなのだから
(勿論、理論という形にまとめあげたという功績にも、多大な敬意を払いつつ)
先人が引いたレールの上を
ただ「なぞる」だけでは、面白いわけがなかったのだ

勿論、偉そうなことは言えない
僕も散々なぞってきたし
なぞらないなら、なぞらないなりの
自分からの代替え案を、今まで見付けられなかったのだから

でも、こういう感覚から「入って」ゆけば良いのではないだろうか…
沢山あるだろう中の、一つの「きっかけ」として




ワーグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指環」4部作は
全曲の演奏に16時間程度かかるそうだ

独自のアドリブ方法論を生み出したJohn Coltrane は
My Favorite Thingsで7分を越える凄まじいアドリブを
(全身から湯気をたてながら)演奏している

それら伝説的な音楽(他にも僕の知らないものが沢山あるだろうが)
を生み出す力の源は
他者の軌跡を「なぞる」ことからでは、とても生まれるはず無いのだから


コメント
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