Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

『盟友』

2008-07-24 | ギターの栄養
先日、記事で「3次元的目線」のことを書いた


日常に起こりうる事柄を、そのままに見ることを指して1次元
その裏に潜む事情を加味して感じることを2次元
それらを俯瞰して真理を観ようとする感覚を3次元
とした


リアルタイムに繰り広げられてゆく現実での出来事に
ストレスを感じやすく
1次元は勿論、2次元世界での人との会話が苦手な僕は
一人「考えること」に埋没していることが多い


「考える」という角度から、3次元目へ辿り着こうとしている自分がおり
ブログに書く、という行為も
出来うる限り「3次元目を表す言葉」を探しているのだと思う






昨日、
以前から音楽で関わりのある青年が
僕のブログを「面白く読んでいる」と伝えてくれた


元々、音に生きる彼は「観念的な表現」に、どこか惹かれる様子だった


彼の持つアンテナが、僕のアンテナと、どこか通じていることを感じながら
そのことについて語り合うことは、勿論、心から嬉しいことなのだが
「日常の言葉」を用いた途端
「感じたこと」は「説明」へと形を変え
僕らの会話は2次元世界から抜け出せなくなってしまう


普段なら、そこで語ることをやめ
それとなく、一人のたたずまいに戻る自分である


しかし彼の語りの中には
3次元を言葉にして語ることへの難しさの現れである『微妙な間』
が存在していた


その『間』とは、逆に言うなら
「彼が明らかに3次元目を感じていて、それを大切に表そうとしている」ことの証でもあり、
そこに、アーチストとしての表現センスの良さと、
人間的な「あたたかさ」が感じられた





わずか15分程の時間だったが
2次元的でありながらも3次元的世界を感じようとする彼との会話が、
(日常生活において)2次元的思考に一人埋没したがる僕のスタンスに
多少の現実逃避が内在していることまで気づかせてくれた


こういう「気付き」が
僕という人間の骨組みさえも矯正し
あるべき姿へと導いてくれる、と感じられる






自分に大いなる「気付き」を投げかけてくれた、この青年に
僕は、心の中で「盟友」という座を贈らせてもらった


ただし
「日常の言葉」をもって、彼にそのことは伝えていない



コメント
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