A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記201 「赤い風船/白い馬」

2008-08-26 23:59:01 | 書物
タイトル:CINE SWITCH GINZA vol.183 赤い風船/白い馬
編集:クレストインターナショナル
資料作成:遠山純生
デザイン:大寿美スミエ
発行:カフェグルーヴ
定価:600円
内容:
東京・シネスイッチ銀座にて公開中のアルベール・ラモリス監督作品『赤い風船』(1956)、『白い馬』(1953)のパンフレット。

イントロダクション
ストーリー
「人間の丁寧な手仕事」谷川俊太郎(詩人)
「子どもとおなじ視点で」岸田衿子
「赤い風船」淀川長治(映画評論家)
「白い馬」淀川長治(映画評論家)
『赤い風船』の舞台 メニルモンタン
『白い馬』の舞台 カマルグ
インタビュー:パスカル・ラモリス
スタッフプロフィール
『赤い風船』応援団
映画クレジット

購入日:2008年8月23日
購入店:シネスイッチ銀座
購入理由:
初めて『赤い風船』という映画を見たのは私がまだ大学生のとき受けていた授業でだった。小さな教室の小さなブラウン管テレビだったが、その至福と感動と衝撃は忘れられない。授業後、ビデオレンタル店でビデオがないか探し回り、再度見たほどであった。

その後、DVDも未発売なため、見る機会がほとんどなかったのだが、この度のリバイバル公開でついにスクリーンで見ることが叶った。これがどれほどすばらしい経験であり、事件であるかはこの映画を一度でも見たことがある人ならわかってくれるだろうか。そして、うれしいのが今回はラモリスの『赤い風船』の前作にあたる『白い馬』との2本立て公開なのだ。

物語は少年が電燈に引っかかっていた赤い風船を取る。すると赤い風船がまるで生きもののように少年との言葉のない交流・友情が起きはじめ‥と極端に要約してしまうならそれだけの話だ。だが、映像に写るその赤い風船の「赤」のすばらしさ!何度見てもどうやって風船に息を吹き込んでいるのかわからない生命感のすばらしさ!舞台となる1950年代パリ・メニルモンタンのすばらしさ!セリフの少なさにもかかわらず多くの感情を伝える映像のすばらしさ!

『赤い風船』の前作にあたる『白い馬』を見ると、『赤い風船』という映画が『白い馬』の延長上にあることがわかるだろう。どちらも少年が大好きな白い馬、赤い風船を得るはものの、大人たち、同級生たちから狙われ追われることになるからだ。それぞれ約40分の映画ながら、どちらの物語にも追う/追われるサスペンスがある。しかし、誤解しがちだが、追う者が悪だということにはならない。ラモリスが作り出す映像からは追う大人や同級生たちをそのようには描いていない。まるで誰だって白い馬や赤い風船が大好きだから追ってしまうのだとでも言うように。しかしそのサスペンスの結果、どちらの映画もハッピーエンドとも言い切れない苦さが残ることになる。だが、その余韻こそまさに「映画」なのだ。
「映画」を劇場のスクリーンで見るものと定義するなら、真の「映画」は観客を現実から離れさせ、そして終りには現実へと送り返さなければならない。いつかは「映画」は終わる。「映画」は終わり、現実が始まる。しかし、その現実が始まったときから、観客の中で再び「映画」が生きはじめる。真の「映画」とはそういうものだ。だが、安心してほしい。『赤い風船』『白い馬』という2本の映画は真の「映画」だからだ。劇場があなたを現実へと送り返しはするが、この映画たちはあなたを笑顔で送り出すことだろう。

最後に映画に出てくるどちらの少年もひとりぼっちだということを指摘しておきたい。短編という時間的制約からたくさんの人物を登場させられないという理由もあるだろうが、ひとりぼっちという設定は映画に大きな効果を生んでいる。放課後に友だちと遊びに行くような少年は赤い風船なんかと遊ばない。私の勝手な思い込み(思い入れ)ではあるが、これはそんなひとりぼっちの私の映画であり、あなたの映画だ。