午後5時50分頃に、宿のおかあさんが「お客さん、食事のご用意が整いました」と告げに来た。早速、大広間に行くと、客は筆者一人のみで、テーブルの上には魚料理を始めとした佐渡の家庭料理がこれでもかと言うくらいにずらあ~っと並んでいた。筆者はおかあさんに「お酒とかありますよねえ~」と尋ねたら、彼女は「ええ、ありますよ」と答えた。筆者はキリンラガービールの中ビンと生酒一合をお願いした。焼き魚は銀だらの西京漬けで、煮魚は「はちめ」だった。どれも美味い!刺身は三種類で、一番上がいなだ、真ん中がさわら、一番下がメバルだとおばあさんは言った。それぞれが違った味わいでとても美味しい!サザエの壷焼きがやや甘ったるいものの、しめじの煮物は非常にいい味付けだ。真ん中の白い物はショウロンパオで実に美味しかったが、筆者は夜は肉類は食べない主義なのでこれは一口だけ食べ、豚のもつ煮は食べずに残した。揚げ物は、「はんぺん」のようだったが、夜は揚げ物は食べない主義なのでこれも残させて頂いた。そして電気釜の中に、炊かれたばかりの新米ご飯が三人分ほど入っていたが、夜は炭水化物を取らない主義なので、明朝に食べる積もりでそれらをそっくりそのまま残した。豆腐のお味噌汁は飲んだ。これも大変美味しかった。ご飯は残すが、注文した酒だけはきっちりと飲むのが筆者だ。漬物を肴にして全てを飲みきった。この間、おばあさんもおかあさんもどちらも無駄口を叩く事は一切しなかった。「何かを問いかけて旅人を煩わせるのは本当のおもてなしとは言わない。一人旅の客に対しては相手が話しかけてきたら応ずる事とし、それまでは静かに放任するのが最上のおもてなし」と言うのをまるで信条としているかのようであった。筆者もそうした対応を望んでいたので彼らの放任主義は実に心地よかった。ただ、せっかく作ってくれた食べ物を残したのは本当に申し訳ない思いであり、紙面を借りてお詫び申し上げたい。
夕食後、筆者はおばあさんに「ちょっと散歩に出かけてくるよ」と言い残し、酔い覚ましを兼ねて夕闇の中、岩谷口の道路沿いを民宿「たにぐち」さんの方まで歩いてみた。100メートルおきに立つ街路灯と数軒の家々の窓から漏れて来る明かりだけが唯一の足元を照らす安全灯だ。まだ就寝時間には早かったがそれくらい集落はひっそりと静まり返っていた。疲れを知らない外海府の波は、一晩中ザバーン、ザバーンと音を立てながら寄せては返して来る。ふと見上げたら、北の空に北斗七星が大きくそしてはっきりと目に映った。すると沖合いで一瞬稲妻がピカ~っと光り、矢のような速さで通り過ぎて行った。落雷だ!大急ぎで駆け足で宿に戻った途端、激しい雨が降り始めた。「間一髪だったなあ~」、そう思いながら胸を撫で下ろしたが部屋に居ても何もする事がない。テレビもつまらない番組しか放映していなかったので午後7時40分頃に早々と床に就いた。そして時折階上から聞こえてくる、ぐずる赤ん坊の声を子守唄代わりに、秋の岩谷口の夜が更けていった。