赤泊の町は、港に出入りする船とそれが運ぶ荷役を掌握するための御番所(今で言う税関)と、回船問屋の傍らその業務を補助した五人問屋を中心に発展した。町並みは当初海岸線の山側だけにあったが、浜側にも建てたいとの要望を受け、両側が発展するようになった。明治7年の大火で約130戸が失われたが、その後海岸の埋め立てや道路の拡幅工事などが行われ、現在の町並みが形成された。
五人問屋とは、大屋、淡路屋、二階屋、菊屋、石塚屋の五軒を指す。淡路屋は今でも残っており、その真向いの外内呉服店との間の道路が他よりも広くなっているのは、この場所で船から引き揚げられた物資を検閲し税を徴収したためである。そういう目で赤泊の町並みを眺めて見ると「なるほどな」と言う思いになる。
御番所の復元模型
御番所の由来を説明する看板
外内呉服店は蔵造りの建物で、この建物が建つ前はここに御番所があった。
外内呉服店の真向いにあるのが淡路屋です。淡路屋は五人問屋の一つで明治7年の大火直後に建てられた赤泊で最も古い町屋。このように棟と垂直な方向に玄関入口がある構造を「妻入り」と呼んでいる。
それに対し、この建物のように棟と平行な側面に入口がある構造を平入りと呼んでおり、相川や小木にはこうした町屋が並んでいる。この建物は「太郎左衛門」と呼ばれ、浦津で最も歴史のある屋敷だ。地元では「上」と呼ばれる家柄で、佐渡奉行の役人が年貢を受け取りにくる際に、眺めるのを楽しみにしていたと言う立派な庭園があるそうなので、佐渡島民に於かれては一度見学してみてはいかがであろうか?赤泊の町並みの特徴は、妻入りと平入りの建物が混在している事。普段は何気なく通っている路地だが、そんな知識を頭に入れて散策すると又違った視点からこの町の良さが認識できよう。