筆者は、旧制帝大の教官職として奉職(画像は講師併任の辞令である)していた頃、毎年1月の15日前後になると、大学入試センター試験(昔は共通一次試験と言っていた)の試験監督に駆り出されていた。特別手当などは無く、休日出勤で監督をさせられるのは苦痛であったが、教官である以上、入試の試験監督は義務であり、渋々試験会場へと向かった。そしてセンター試験の日には雪が降る事が多かったので、毎年試験開始の数時間前には会場に到着するようにしていた。今のように携帯電話が普及している時代では無かったので、入試中に、携帯電話を操作してヤフーの智恵袋に入試問題を投稿し、解答を教えてもらうなどといった不正行為を行う余地などはなく、入試は平穏のうちに終わっていたし、遅刻する受験生などは皆無だった。配布した答案用紙の数と、回収したそれの数がぴったり合う事を確認して入試本部の人に渡す作業の繰り返しで、各学科から派遣されて来た教官達が、退屈しのぎに、その仕上げる速さを競い合っていた。さすがに大学本部から昼食は提供されたが、無償労働ゆえ、その弁当がえらく豪華だった事が今も記憶に残っている。
試験中は、不正行為が無いようにと、教室内の受験生の行動に目を光らせているだけだが、それでも退屈になり、試験問題をパラパラめくってみたりした。だが、解答できるのは英語だけで、数学や物理学などはちんぷんかんぷんで、よくぞ受験生の頃は、こんな問題を解けたものだと自分でも感心したくらいである。後年思い返すと、あの頃勉強した科目で、今の人生に役立っている科目は、英語と現代国語と歴史くらいかもしれない。筆者は高校生の頃に、駿台予備校の高校生進学コースに通っていた。英語では「鈴木師」と言う講師が人気講師で、「He who(ヒーフー)のHeはOneと同じだと覚えて下さい」と駄洒落を飛ばす面白い先生であった。数学では、3Nと言って、中田、根岸、野村の三先生の授業に人気があり、教室内に入りきれない受講生達が立ち見で授業を受けていたほどだった。古文の桑原師の人生講話に涙しながら授業を受けたのも青春の良き思い出になっている。こうした名講師の授業のお陰で、筆者は無事旧制帝大に合格する事ができた。