この場所を特定するためにはどこで尋ねるのが適当か?観光協会のスタッフが頼りにならないのは相川の黒澤金太郎の窯跡を探した時に実感していたので、史跡に詳しい専門家集団のいる所へ行こうと思案を巡らしてみた。そこで、かつて合併前は新穂村役場で、現在は新穂行政相談センター兼新穂公民館になっている建物へと足を向けてみた。役所ゆえ不親切な対応は覚悟の上で窓口のガラス扉を恐る恐る開けてみると、ジャージ姿のおばちゃんとパソコン画面を見つめるおじさんとがいた。当方が、日吉神社の「御旅所」の場所を尋ねたら、おばさんは、「御旅所ねえ~、さあ~」と言いながら、奥の方へ助けを求めに消えて行った。程なくして専門家の眼鏡お兄ちゃんがご登場!新穂の地図をパラパラとめくりながら、清水寺へと向かう道を指差しながら、「ここを南下するとすぐに三角形状の場所に出る、そこを右折してすぐの所に「御旅所」があります。石が積んであるのですぐに分かる」とすらすらと答えた。意外にも対応は適切かつ迅速かつ丁寧であった。
早速、教えられた通りの場所に赴いた。あったあ~。確かに石が積んであり、その上がビニールシートで覆われている。「御旅所」とは日吉神社の山王祭りの神輿渡御の際に途中で休んだ所とされているが、神輿が納まる程度のスペースを備えた掘っ立て小屋のような感じである。中を覗いたら農作業用の道具が納まっていただけ。だが、この小屋の前には石仏、石碑(芭蕉句碑(唐崎塚)か?)、石燈籠、城の石垣の名残、木製の鳥居などがバランスよく配置されていて、何だか、昔、この地に神社やお城が存在した事を想像させるような光景であった。
http://www.digibook.net/d/da548bdb80dc8494bb872247d433ef70/?viewerMode=fullWindow