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夜空に広がる、真実のヒカリ

2009-11-13 | message


人が生きていて、今までにあったあらゆる悲しみ。
胸の奥にあるひとりひとりの心の中にそんな悲しみは染みわたっている。
そんな悲しみが何気ない時に頭をもたげる。
悲しみにさいなまれ、今ここにいるありがたささえ時に忘れてしまう。
愛が常に胸の内にあるというのに、目や感覚はいつも暗闇を見つめようとする。
リスクを最小限におさえるためと。しかし、いつのまにか闇に飲まれ、幾人かは闇にとりつかれてさえいる。
これではますますヒカリは遠ざかってしまう。
この世界でヒカリに触れる習慣も忘れて、ただ日常の闇を気にし、おびえて生きている。
そんなことではヒカリは胸の中に育まれない。大きな光は胸の居心地のよさを求めている。
そう、そんな居場所をあくまで自分から放棄している人たち。
そんな人がこの世界にあふれている。

今までのことは今までのことでいい。
でも、これからは自分の気持ちが鍵をにぎっている。
ヒカリある道を歩むか。それとも闇とともに生きるか。
単純な問いに、すぐ答えを出していける人は以外に少ない。

夜空を見上げなさい。そこにあるあらゆるものを胸の中に受け入れるために。
人の求めているもの。これまでの歴史、これからの展望、夜空はそこにすべてを広げていてくれる。
そんな人の歩む道というものを自らの中に受け入れることができたなら、その人は明日の陽とともに、希望を抱いて生きていける。
そう、みんなそう願って生きているのに。実際、希望を抱いて生きている人の実に少ないことか・・。

人の中に抱かれているヒカリは、本来大きく灯っていて当然なのに。
生きている上で吹き消しはじめ、忘れかけようとしている。
しかし、大きな悲劇が生まれたとき、人は無意識にそのヒカリを強く感じ求める。
そして、そんな状況のみが今の人たちにヒカリの大切さを教える唯一の時であることは、とても皮肉な現実。
内なるヒカリとともに人はある。そのヒカリとは人が一般に使う愛というコトバと同義語だ。
そのヒカリを灯していくことこそ、彼方の大いなるヒカリの望みでもあるのに。
喜びや充実、あらゆる祝福はそこから生まれてくる。
だから、それを今確かめ受け入れることができるのなら。
明日からの日々は、愛の満たされヒカリの道を歩む日々に。
人が本来そう願い、生きていくしあわせをつかめる道なのだ。
それをもう一度思い出すために。
陽が落ち、あなたの頭上に夜空はいつも広がっている。
そんな身近な祝福に、もう気づいて良い頃なのではないか。
悲しみだけじゃない、あらゆるものの中にあるヒカリを思い出し、その明るさを求めて歩み始めてもいい頃なのではないだろうか・・。


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