本当に愛のことがわかるのは悲しみや苦しみの最中や乗り越えた時ではないですか?
人は本当に求めたとき、そのもののありがたさや強さ、自分の弱さがわかるのでしょう。
苦しみを受けること。悲しみのただなかにいることへの嫌悪を感じるのは無難に生きようとする、実は自分のエゴなのでは?
そこを越えていくことでわかること。本当に自分の求めているものやこの世界での位置、真実がわかってくるのは、実はその後からなのでは・・?
いろんなものが怖くてじっとしている、そんな端で立っている人にいつまでなっているつもりですか?
わたしの本当の生き方がほら、こうしてそこに流れているというのに・・。
お返事ありがとうございました。
繁野さんの綴られる言葉・・少し変わってきたような・・。
”本当に愛のことが分かるのは、悲しみや苦しみの最中や乗り越えた時”
そうかもしれません・・・。
愛が分かった時には、苦しみも悲しみもこれから受け入れようと前向きになれるのですが、やっぱりどうしても逃避しがちになります。
真実や愛にふれたいのに、どうしてなかなか進めないのでしょう・・・
私もエゴイズムなのだと思います。
いつも素敵な言葉をありがとうございます
"詩がすこし変わってきたような・・。"
そうですね、すこし躍動感があらわれてきているのかもしれませんね。
人ってこの世界で生きてますよね。動物は毎日食べるものを探し、毎日毎日を何の保証なく生きています。人も以前はそうだったのでしょう。でも、文化文明が発達してあらかじめの計画が立てられるようになったのでしょう。
それでも生きている人であることに変わりない。人はいつのまにか底辺に流れている生きていく生命であることを忘れてしまうようです。
なかなか進めない時期はむりせずに留まっていた方が良いようです。わたしもつい最近までそうでしたから。一定の休みの時期を終えて、今歩みはじめようというなにかが躍動をはじめている、そんな自分が今はあるのです。
夕美さんも詩の後のひとりごと。とても楽しく拝見しています。あんな感じの書き物もおもしろいですね。自分もやってみたいけど、なんかうまくいきそうにない感じがします
すすめない時期は、留まっていた方がいいのかな・・・
連休中は、自分を見つめるいい時間でした。
私のブログも読んで頂いて、ありがとうございます。
詩は懸命になって書いている自分がいますが、
”ひとりごと”では、力を抜いて、ありのままの自分で書いています。
かなり三枚目なので
繁野さんの”ひとりごと”も読んでみたいな~
なんて思ってしまいます。
でも、詩のイメージがありますものね・・ためらうお気持ちも分かります