オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

鯨が食べてる途中でしょうが!

2009年09月11日 09時14分59秒 | 今週の気になる人


<湯河原駅前にある土肥ジロー實平とその妻フローラの像>

安房へ旅行にいってきました~

頑張って旅行記を書くぞ~。前回の伊豆記とその前の笠置山紀行と越前カニ尽くし旅情(蟹を食べてて歯が折れた)をまだ書き上げてないのに、大変心苦しいのですが。

まず、前日はお泊まりの仕事だったのです。超特急で11時半までに事務仕事を終わらせ(いつもは12時半ぐらいまで掛かる)、超特急で職場をアウト。家に帰って準備をして超速急に出立するつもりだったのですが、数日前に衝動的に注文したドゥ・ニースのジュリオ・チェザーレのDVDが届いていたので仕方なく1時間ほど観てから、午後1時ぐらいに東に向けてゴー。

どうせ昼間は混んでるだろうし伊豆まで4時間ぐらい掛かるだろうと踏んでいたら、なぜか2時間半で伊豆に到着。ならば、せっかく数日前に礼比古さんと修善寺のロープウェイについての楽しい会話を交わしたところでもあり(普段の私は舘山寺のロープウェイのお隣の会社で働いていることであるので)、伊豆長岡の葛城山のロープウェイの頂上にある頼朝の像を観て、それを今回の旅の始点にでもしようかと思い立ちました。
しかし沼津に入った時点で、「まてよ、伊豆なんかどうせ今後何度も来るんだから、葛城なんかよりも今回の旅の始まりに相応しいのは湯河原だ」と思い直して、急に進路転換。
そこからが大変でした。清水町と函南町を経由して湯河原まで行くのに1時間半掛かっちゃった。いつものことながら道が迷路すぎます。苦手な町・長泉町と清水町。
熱函道路の途中に湯河原へ抜ける近道らしい看板を発見して、そちらへ侵入。見知らぬ山道をうねうね進んでいたら、いつのまにか見たことのある道路になっていた。ここは以前私が「絶対少年紀行」をしたときに「空の上には猫がいた」と書いた道路でした。猫がウヨウヨいる。

「なつかしい~」と思いながら坂道を上っていたら、以前暗闇では気づかなかった黄色い看板発見っ。これはっ。

この看板のある函南町軽井沢は、頼朝伝説の濃厚に残る土地なのです。
隣接する平井郷(紀六久重の伝説)と田代郷(田代冠者信綱・比企尼・文覚上人の伝説)と並んで、軽井沢には「名馬生唼(イケヅキ)の伝説」が残る。この看板にある「駒形堂」とは、その名馬伝説と関係のある場所だといつか本で読んだことがあります。まさかこんな時に見つけられるとは思わなんだ。この像はわれらが畠山国清卿の遙か祖先(プッ)・畠山重忠が矢ジリでガリガリ掻いて刻んだ主君頼朝公の姿ですってよ。

頼朝がこよなく愛した名馬「いけづき」については数々の伝説があり、全国各地にたくさんの伝承地があるようなのですが、ここ伊豆ではこの軽井沢がその生誕地だとし、この駒形堂がその証拠だとされます。こちらのサイトさんがこのお堂について詳しいです。だが変な堂だ~。

 

そこを通り過ぎて、湯河原パークウェイ(460円もする)を使って湯河原に侵入。
ここでおさらいをしときましょう。

治承4年(1180年)旧暦8月17日に伊豆韮山で山木判官を討って挙兵した頼朝は、8月23日の石橋山の戦いでボロ負け。忠実な部下の土肥二郎実平の支配下の内の湯河原及び箱根の山の中を必死で逃げて廻るのですが、5日後の8月28日に真鶴(まなづる)海岸から、数人の配下と共に小船に乗って東に向けて華麗に脱出を果たすのです。このとき頼朝に付き従っていたのは、通説によると6人(謡曲『七騎落ち』など)

この「お岩(いわ)海岸」の「頼朝船出の場所」に立っておこうと思って。
実をいうとわたくし、湯河原や真鶴は大好きで何度も行くんですが、肝心の岩海岸は行き方が分からなくて、到達できたためしが無いのです。

地図で見たらどうして行けないのかが良くわからないのですが、行き方が分からない。決して行けない場所ではなく、岩海岸は真鶴でも一番の海水浴場なのですが。

時刻は既に5時前で周辺は次第に暗くなってきていて、焦った私は重要な真鶴の分岐路で真鶴ブルーラインの方に入ってしまう。入って2mで気づく。ノー!! そっちは有料道路だ。いやいや、実を言うと私はこの道路を通るたびにいつもなぜだかこのブルーラインの方を無意識に選択してしまうので(市街地へ至る道は何かの結界でも張ってあるんじゃないか)こればかりはいつもながらの失態なのですが(どうせ200円だし)、だがしかしっ、この道路は入ったら最後小田原に至るまでUターンできないのだっ。なんだこのへんなどうろ。景色は抜群なんですが、岩海岸の上の超極美麗なアーチ状の橋を渡りながら超高速でろくに景色を眺められないままに、立ってみたいと思っている地点の上を有無を言わさず通り過ぎてしまう。そんなところなのです。
まあそんな感じで、「そっち行っちゃいやーん」「あたし今目指すところの真上を走ってるっ」「引き返したい引き返したいっ」「景色は抜群に良いっ」と一人で大騒ぎしながら岩大橋の上を爆走し、数㎞先でとぼとぼ引き返した旧道の上から、その岩海岸を見下ろすことが出来たので、今回はこれでもって目的地を見たことにしときました。そろそろ暗くなることですし。

ここから頼朝は船出をしました。
あそこのどこかに「頼朝船出の碑」が。
遙かに房総半島が見えるような見えないような。(生憎天候があまり良くなくて)

で、そこから反転して伊豆の国市へ。
朝から何も食べてませんからね。少しはカロリーを補充しとかないといけませんからね。

≪一匹の鯨≫

この数ヶ月、R-30ラーメンを食べたくて仕方なくてガマンできなかったんだ。
をををうっ、久しぶりに訪れる鯨軒、店主さんも店長さんもいつものおねーちゃんもいなくてラーメンを作る人が変わってるっ。器も変わってるっ。
しかしスープの香りは変わりなく、味わいは確実にパワーアップされていたのでした。ほほほほほほ。うまいうまいうまいうまい。

ここでおさらい。
一匹の鯨の「R-30ラーメン」とは、鶏からの淡いが濃厚なスープに生姜・茗荷・春菊が惜しげなく投入されたラーメンで、バランスぎりぎりのところまで迫っている薬味感が絶妙な絶品ラーメン。普段「今の私好みのラーメンには豚骨感が絶対欠かせない」と吠えている私でもこのラーメンだけは別格で、一方商標の「R-30」とは「30歳未満お断り」という意味でして、かくいうわたくしが初めてこのラーメンを食べたのは、奇しくも30歳の誕生日の日だったのでした(ウソ)

駄菓子菓子、うっかり太麺で頼むのを忘れてしまっていて、細麺で来てしまいました。決してこの太麺だって拙いわけではなく、意外にワシワシではありますが、でもやっぱりわたしにはあの超極太麺じゃなけりゃあ。

お腹に具合を聞いたらなんとなく大丈夫そうだったので、もう一杯注文。

このお店の豚骨ラーメンはR-30のと並んで私がかつて週に3日このお店に通っていた頃、「最も美味しい」と定番にしていたメニューでしたが、ここ2年はいろいろあって全然食べることが出来なかったのでした。ほんと久々ぶりだっ。
だがしかし、スープの表面を見ると私の記憶の中にある物より格段に進化してしまっている。

表面がブクブクに泡立っている。泡豚骨。
いやかつてもこんなだった気もしますが、、、。
むしろ一時期極度に先鋭化した頃の男味豚骨醤油のスープがこのようだった気がする。舌触りが極度にマロマロしていて甘~い。これはこれで美味しいのですが、2杯目にはとても重い。とても重量に打ちのめされながら完食しました。こりゃすごい。完敗です。あんなに腹ぺこだったのに。いつか復讐してやるっ。
でもこのお店の超極太麺はやっぱり堅い噛み応えと舌触りと小麦粉の香りが最高でした。

さすがに満腹になってしまったので、修善寺町に移動して熊坂の狩野川公園で仮眠。なんたって昨日は宿直だったからな ・・・zzz。気が付いたら午後11時。寝過ぎだー。慌てて飛び起きて東行開始。ひたすら1号線を、皇居付近でやたら複雑な道筋にイライラしつつ、「さすが東京はラーメン屋ばかりだなー」と別方面の興味事で気を紛らせながら午前1時半くらいに千葉県に突入。今日は浦安駅前のネットカフェで情報収集をするために再び仮眠です。(なんせほとんど千葉県についての知識が無いもんで)

朝7時にネカフェを出発。
目指すはすぐ近くにあるはずの「行徳」地区。
ここからが本当の「房総頼朝紀行」の始まりです。
あらかじめ言っておきますが、わたしは頼朝様が大好きだと常日頃言っていながら、その実伊豆以外はどうでも良いと思っているので、伊豆を去っていった頼朝がどういう行程を辿ってまた伊豆に戻って来たのかこれまで知る気もありませんでした。今回房総を訪ねることになったのも偶然の成り行きで、この忙しい8月は禄に情報収集する余裕もありませんでしたから、私には前日のお泊まりの間に適当にネットサーヒンしたのとこの時のネットカフェで漁った情報だけが全てでした。だって市川市と市原市、勝山と勝浦、幕張メッセと東京ビックサイトは同じ場所だと思っていたくらいですもん。

とりあえず食い入るように読んだのがこのサイトさん。

http://harukisaito.web.fc2.com/yoritomodennsetu.html

そうかー。頼朝の上陸候補地は3つあるのかー。
本来なら伝説行脚的には州崎→鋸南→行徳と訪れるのが面白い道筋でしょうが、わたくしは逆行程で辿らなければなりません。

とりあず上のブログさんの文章をじっくり読んでくださいね。
千葉県にお住まいの方はあらかじめフィルターを厚めに被っといてください。わかりますわかります。私だって静岡県外の方が伊豆の頼朝史跡を訪れているブログなんかを読んだとき、「なんでそこしか行かんっ。その隣りにもっと面白いところがあるでしょうにっ」って思いますもん。全ては地理的不案内がもたらすわざ。大丈夫、本当にそのときの体験がおもしろかったら、追体験の為に10年後ぐらいに再びその土地を訪れますから。

行徳地区の散策は面白かった。
車がよく通る普通の町並みなのですが、味のある建物がそこかしに点在していましてね。行徳って「ぎょうとく」って読むんですかね。表通りではなく奥の奥の方に寺社が連なっていて、富士塚などもあったりしましてね。

で、肝心の頼朝ゆかりの史跡というのがココ!
笹屋うどん店。
房総に上陸した頼朝は、まずここで饂飩を食べたんですってさ。
詳しくはコチラ

こういう伝説が作られる過程がわたくしは面白いですね。
行徳が頼朝の上陸地だって別にいいじゃん。
ただここに上陸した頼朝が逆ルートで房総半島に戻っていく姿を想像すると可笑しいのですが。房総的には頼朝が房総各地をくまなく歩き回っていないと話にならないのですから。

うどんとそばは鎌倉時代には当たり前のように食べられていた食べ物ですが、残念ながらラーメンはまだ存在していませんでした。「鎌倉時代にはまだ“うどん”という名称がなく」、「蕎麦は上流階級の人には食べ物と見なされていなかった」とかウィキペディアには書かれていますが。
このうどん屋さんから歩いて7分のところに頼朝上陸地と伝承される常夜灯があるというですが、見に行ったら何かの工事中で、見られませんでした。

続いて向かいましたのが、今回の旅のメインイベント・幕張メッセ!

 

 

(・・・つづく

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