秋葉山三尺坊を祀る袋井市の可睡斎と浜松市の秋葉山で、「火わたり」の儀式があるというので行ってきました。
火の神様である三尺坊の導きに従って火の上を歩くと、来年一年間健康に守られ、家は火災からまぬかれ、商売繁盛金運招来世界平和犬猫幸福暑寒迄彼岸交通安全諸魔馬降伏天下統一、さらにお盆とクリスマスにはモテモテだというのです。
三尺坊の聖日は毎年12月15日だそうなのです。しかし“総本殿”を名乗る可睡斎と“総本宮”を標榜する秋葉山が同じ日に祝典をぶつけるのではなく、秋葉山の方は15,16の両日にしてあるというのが秋葉山初心者には嬉しいですね。おかげで両方に行くことができます。
可睡斎と秋葉山が正統を争った歴史を知っていると悲しくなりますが、三尺坊天狗を可睡斎に取られた秋葉山がめんどくさいから15日を可睡斎に譲って自分は16日にした、ということでしょうか。…いや、秋葉山関連のアナウンスでは、15・16両日と歯切れ悪く記しているものと、「16日開催!」と力強く断言しているものがあって、どちらが本当なのか迷うのです。秋葉山本宮的には「最初から16日だったのだよ」ということにしちゃってるのかもしれないです。今年は15、16日が土・日だったから良かったものの、普段の年はどうしているんでしょう? 全国の秋葉山でも15日か16日のどちらかに同じ火わたり・火まつりの儀式をしているんですが、日付がどちらかでその神社の系譜上の位置づけもわかるのでしょうか。
そんな中で、愛知県瀬戸市のこの神社だけが11月開催で首をひねります。愛知県は意外と大きな秋葉山が多いので、こういう存在は気が抜けない。
まず行ったのは可睡斎(12月15日)。
可睡斎の火わたりの儀式は20時からです。…というので、7時半ぐらいに着くように行ったら、お祭り的な火のパフォーマンスみたいのは終わってしまっていました。「火防大祭幻想的な炎に包まれた野外特別イベント~音と光の響炎」(風の祭典(和太鼓)・久野城陣太鼓・ファイヤーダンス・沖縄エイサー太鼓)は18:00からでした。失敗失敗。
会場にはそこかしこに火が燃えていて、また参道にはローソクの入ったコップによる燈明が並べられていて、非常にそれらしかったです。このローソクコップ、無意識に通路のスミを歩く癖のある私には、どうも蹴っ飛ばしてしまいそうで恐くて堪らなかったんですけど。しかし見ていても、蹴っ飛ばしたり倒したりする人が一人もいなくて感心した。あんなに人が歩いていたのに、さすが三尺坊さまだ。
本堂前の階段の下の広場に大きな護摩檀がしつらえてあります。
がんがん火が焚かれてとても暖かい。
でも、この火の上をみんなで歩くのかと思ったら違いました。(燃えてしまう)
この火は、みんなが(※お金を払った人限定です)護摩木を放り込むだけ。
周りでお坊さんがお経をあげていますが、右側の赤い衣のお坊さんたち、天狗のお面を頭にかぶっています。うーーん、写真じゃ良く見えなかったですね。暗かったですもん。
写真だとかろうじて分かるぐらい? これ、天狗ですよ。
やっぱり天狗面は空気を変えます。かっこよかったですよ。
続いて、連発で天筒花火の奉納。これは見ているだけでも熱かったです。
すぐ近くで見れて、風の向きによっては火花も降ってきました。
計30発ぐらいでしたでしょうか。
続けて、会場を本堂横-御真殿階段下に移して火わたりの儀式。
これが意外と準備に時間がかかって身体が冷えてきてしまいます。
そりゃ、事故が起こっては大変ですから準備は時間が掛かるでしょうけど。
その準備の段階の儀式が複雑怪奇なんですけど、意味が分からないので見ていて面白い。剣で炎を「シュッ、シャッ」って言いながら切っていたりして。
で、火わたりなんですが、最初に渡ったのは「迦楼羅神」です。それに坊さんたちが続く。一体燃え盛る火の上をどうやって渡るのか不思議でしたね。テレビでも良く火わたりの画面が流れますが、ずっと不思議でした。どうやってるんだろうって。そういえば私は火渡り初体験だ。続いて一般庶民の火わたり修行です。(無料)
種明かし。こうなってたのかー。
火の真上を渡る事には違いはありませんが、足の真下は既におき火になっまして、熱いというよりは「なんだか暖かい」です。事前に靴と靴下を脱がないといけないのですが、待つ場の地面が事故防止の為か水で濡らされておりまして、とても凍えるのです。だからかえって火の上は「ずっといたい感じ」でしたのよ。
でも子供なんかは火の前でおじけづいてしまって足がすくんでしまうのが何人もいて、ほほえましかったです。
ここでは参加賞までありました。「三尺坊の御朱印」か「しめ縄」のどちらかを選べます。私は御朱印のカードを貰ってきましたー。これで来年一年健康だー。私のなかなか治らないニートの病気が治りますようにー。
「迦楼羅神」との記念撮影までやってました(爆)。(頼めばお坊さんが神とのツーショットを撮ってくれます。ありがたやありがたや)。この記念撮影は今年初めての試みだそうです。あくまで「天狗」ではなく「カルラ様」だそうです。可睡斎の秋葉山三尺坊は迦楼羅神の化身とされていますのでね。この衣装とお面が私も欲しいです。手に持った赤い旗には「火の用心」と書かれてあります。なんだかトサカがありますよカルラさま。
かっこいいな。
前回行けなかった徳川家康が隠れた六の字穴は、今日は行けるようになっていました。でも真っ暗。フラッシュで照らしてようやく穴の場所がわかる。でも残念、「危険 立ち入り禁止」と書いてある。…明るい時に来れば隙間から中を覗けそうね。
下は人が多いのに、ここは静寂に包まれていました。
翌日(12月16日)、秋葉山へ。
夜の秋葉山本宮上社本殿。まっくら、、、これなら上には天狗がいそう、、、 かどうかは真っ暗で全然わからないや。
秋葉山の公式サイトを見ると、「火まつりは22時から」と書かれているのですが、それは本宮上社での神事らしいのです。これとは別に、「火渡り」は秋葉寺でおこなわれるらしいのですが、公式サイトにはその説明はちっともありません。そもそも秋葉山の中腹にあるという秋葉寺についてはネット上の情報も少ないし、公式サイトも存在しないし、公的には「秋葉山の本宮の一部」という扱いらしいのですが(※ウィキペディアのノートでの情報)、だとすると秋葉山の公式サイトでまったく触れられていないのが解せません。秋葉寺の「火渡り」と秋葉山本宮ての「火祭り神事」はワンセットだそうなのですが。いろんな人の体験記を読んだ結果、「本宮の神事が22時からなら、火渡りは可睡斎と同じく20時ぐらいだろう」と推測して、それに合わせて出掛けることとします。
残念ながらこの日は、再び私のゼンソクが激しく出ていました。(またかい)
きのう可睡斎で火渡りをして健康は保障されたんじゃなかったんかい?
今日の喘息はとても頭が痛いのです。頭痛のある喘息なんて初めて聴いたよ。(…私は自分の病気が仮病じゃないかと自分で疑っている。おかしいところが多いもの)
で、車で山頂の駐車場に着いたはいいのですが、ここからどうやって中腹の秋葉寺へ行くのか、その道が分からない。見下ろすと参道らしいあかり(?)が見えるのですが、どこからあそこへ行けばいいのか? 駐車場・鳥居付近をうろうろしてしまいました。結局、その付近には道らしい道が無く、長い階段を上って山頂付近へ行きます。するとそこに下に向かう道がありました。登って下りる。すでにこの時点で、私は息も絶え絶えです。よく見たら公式サイトのマップにルートが書いてあるのですが、字が小さくてこれ、読めませんでしたよ。で、下り始めたはいいんですが、真っ暗です。しまった懐中電灯を持ってくるんだった。上から見えた光はなんだったのよ。駐車場には人がたくさんいたのですが、秋葉寺へ行く人は少なく、ごくたまに私が追い越す人はみんな灯りを持っています。暗いです。危険です。でもみなさん優しくて、ゼイゼイ言いながら追い越していく変な私の行く先を、後ろの方から照らしてくれたりしていました。ありがとうです。
暗闇で突然出くわす山門。びびった。
山頂から秋葉寺までは20~30分ぐらい。
人は、、、、 そんなに多くない。
昨日の可睡斎の火渡りでの人数と比べると悲しくなってきてしまいます。こっちが本物なのに。
ここのお寺は社務所・本堂・宿坊・大黒殿が全部繋がっていて大きな建物になっているのですが、一番すみにある立派な建物が「三尺坊」です。じっくり眺めてみたかったのですが、、、 暗くて良く分からん。
三尺坊の中にあった赤い仏様。これは!観音様? 坊内ではなく玄関脇に置かれていたので御本尊ではないみたい。そして左の細長い権現様は、、 三尺坊天狗! 剣を持っておわします。ポリネシアの彫り物みたい。
三尺坊内にあった絵。大天狗来臨。平成14年11月? なに?
おもてには薪が組んであるのですが、火が付けられるまではとても寒いです。山の中ですからね。でも、火が付くととても暖か~い。火だ! 火だ! 火は偉大だ!
火壇の上に人がいるのに、火がつけられてしまいましたよ。
上の人は何か白いものを掴んでいて、火が燃え盛るまで我慢をしています。
炎が高くなると、上の人はばっと掴んでいたものを離して火から飛び降りる。
こんなものでした。
この白い紙(布?)の幌が熱風にあおられて浮くたびに喝采がおこります。どうやら風で四隅の紐が切れて白いのが飛んだら成功らしい。四隅の紐は長い竹の枝に結びつけられていて、消防団らしき人たちが必死で(紐が切れるように)引っ張っています。成功でした。紙が宙に飛ぶと、見物者たちがそれに群がって千切っていきます。あれを家に持ち帰ると幸せになれるのかな。
燃える火の周りで坊さんたちが延々といろいろなことをやっています。暖かいのでそれを見ているのは楽しかったです。火がおさまると、「火渡り」の開始です。
竹の枝で火の真ん中をぱっぱっと掃き分けると、ひょいひょいと無造作に渡り始めます。お、おわっ。可睡斎みたいなカラクリは無しですぞっ。びっくり。
結局、火はもうほとんど落ち着いているので、赤い色が見えたとしてもそれは花火の火花と同じで、踏んでもそんなに熱いものではないんですね。むしろ、渡る前と渡った後の地面が凍るように冷たかったので、火の上はちょっと温かかったぐらいで、むしろ感想としては「足が冷たかった~」。
ま、いいです、これで私は一年健康です。やっほい。
これが終わるとみんなで山頂を目指すのですが、、、、、
上り坂で私は死にました 健康のばかやろーー。
続きまして、山頂の本宮での火祭り神事。
火祭りというくせに凄く寒いのです。公式サイトの祭りの説明では、火が燃え盛っているようなイメージを感じますが、あれはウソです。(私が秋葉寺に行っている間にこれは終わってしまっていたのでしょう)。寒い寒い寒い。たかだか800mの山なのに、暖かいはずの静岡県なのに、やっぱり寒いです。まあ、でも、青森の恐山はこの10倍寒い。イルクーツクはさらに20倍寒いのだ、と思いながら我慢する事にします。ここは星空がとてもきれいです。
前に来たときにジュビロ絵馬が置かれてあった舞殿で儀式は行われました。
この方たち、寒くないのかな。
かなり長い儀式でしたが、全然寒い様子を見せずにじっと座っていました。さすが。
儀式は、「弓の儀式」→「剣舞」→「炎の舞い」の順番で行われました。
10時から始まるという事でしたが、もっと開始は遅かったのじゃないかな。見ているこちらも修行しているような神事でした。火の大切さは心の底から感じました。長かった。良い行司でした。終わって車に戻って時計を見たら、11時45分でした。
この季節に神への祈りをするということはこういうことなのですね。
私はいつも気軽に「世を捨てたい」とか「隠者になりたい」と考えてしまう性格なのですが、まだまだ俗世の欲望にがんじがらめになってしまっています。最近階段を見ると呪いを吐くことに慣れてしまっていて反省しますが、天狗に会いに行くというのは大変なことなのです。寒さ暑さは超越すること。未熟な者には熱いか冷たいかなんて本当なところは分かりません。
今の私にはまだまだ無理ですが、私もいずれちゃんとした天狗になりたい。今は全然ムリなことですが、ちゃんと心の準備はしておかなければな、と思いました。そのためにはしなければならぬことは果たさねば駄目なので、ちゃんと仕事はしなければな。
で、手軽に行くんだったら袋井にある可睡斎、ちゃんと楽しむんだったら秋葉山だな、と思いました。
そうそう、今日は上社にも巫女さんがいまして、ちゃんとキラキラのかんむりでした。やっぱりとっても色っぽかったです。写真は、、、、 撮れませんでした。あそこは見渡しが良かったので遠くから撮れば良かったのにね、と今思いますが、全然そんな気にもなりませんでした。(寒かったから?)。変な私だ。また行こうっと。
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