10月に職場を改めてから半年が経ちました。
今の職も拘束時間はやたら多いし錆残過多だし給料も安いし通勤時間もひたすら長いのですが、休日は週二日確実にあるのです。(前の職場とは段違いだ)。今の私の生活は非常に満ち足りています。休みがあるってなんとすばらしい。私は休んでいる間に生きている人間なんですよね。
休みの間に何をしているかって言ったら、もちろん私の場合は読書です。再び、私は過去このくらいは無いってくらい読書に勤しんでいるんじゃないかしら。本っていいよね。
さて、5月の3~5日は浜松祭りでした。
私の勤める喫茶店は海老塚町にあるのですけど生来海老アレルギーなので海老がたくさん埋められた塚の伝説(←海老塚町の名の由来)なんてどうでもよくて、わたくしの浜松まつりについての関心はただひとつ! 千歳町の天狗のタコと屋台なのでした。
2年前に見に来たとき、あんまり満足に天狗の屋台の写真が撮れなかったので、改めて写真を撮りに来ました。
ザザ前の大通りには各町の屋台が勢揃いしていたのですが、なんといってもザザのある場所が千歳町なので、天狗の屋台だけは近い場所のザザ脇の一等地に待機していました。
(同様に、近い地区である砂山町のお狐さまの屋台や海老塚町のお海老さまの屋台もどこかの特別な場所にいたのでしょう)
かっこいいよね! とくに鼻のそりぐあいが秀逸。
この目はピカピカ光るんですよ。箱根大天狗神社の天狗面を思い出します。でも、タイミング悪くて光った瞬間の写真は撮れていませんでした。般若連の佐鳴台の般若(=築山御前)の瞳も光りますよ。
天狗連の解説についてはこちらさまが唯一なのですけど、この部分は「懸魚(げぎょ)」っていうんですって。その題材が、「牛若丸の鞍馬山での天狗修行」。それはいいとして、その下にある彫刻はなんなのかしら。ここも懸魚(げぎょ)?
題するならば「乱鴉の饗宴」(←ゲーム・オブ・スローンズ)かしらね。
諸細部の彫り物は源義経の生涯を表しているのだそうです。
黄瀬川での頼朝と義経の対面。
鵯越の逆落としの場面かな。
先頭を駆けるのが義経と弁慶だそうですけど、(弁慶が)よく分かりません。
平家の都落ち?
静御前ですって。
ここはよくわかりません。
“宝物”と獅子と、食べられる化け物。
屹立するように見える見事な大天狗。(松尾神社の猿田彦神)
どうして浜松の松尾神社では「白鬚神」(=猿田彦神)が祭神でそのシンボルが天狗なのか、よく知りません。(ふつうは大山咋(おおやまくい)神なんですよね)
京都の松尾大社の「天狗岩」と何か関係があるのでしょうか。
『浜松市神社名鑑』より。
松尾神社(まつのをじんじゃ) 静岡県神社五等級 旧郷社
鎮座地;浜松市元魚町29番地
祭神;白鬚神・大山咋神(おおやまぐいのかみ)・厳島姫神(いつくしまのひめのかみ)・徳川家康公・他
由緒;御祭神白鬚神は猿田彦神にして浜松の産土神で衣食住を開発され、八方除の守護神と仰がれ諸災難を除かせられる。
大山咋神は醸造・土木・延命の守護神。
厳島神は交通安全。弁財天として智恵・安産の守り神と崇敬されている。
当社は和銅年間の創建で、浜松の総鎮守とされ浜松城内の守護神松尾神社と合祀される。浜松城を松尾城と言う訳である。城主の祈願所として四石五斗を受け、宮司は城内木香間に勤仕した。その功により時を違えて大和当麻国行・井上真改・銀造飾太刀を賜る。享保三年正一位。慶応四年明治天皇より総社の故を以て菊御紋の御茶碗一個下賜される。
鎮座地;浜松市元魚町29番地
祭神;白鬚神・大山咋神(おおやまぐいのかみ)・厳島姫神(いつくしまのひめのかみ)・徳川家康公・他
由緒;御祭神白鬚神は猿田彦神にして浜松の産土神で衣食住を開発され、八方除の守護神と仰がれ諸災難を除かせられる。
大山咋神は醸造・土木・延命の守護神。
厳島神は交通安全。弁財天として智恵・安産の守り神と崇敬されている。
当社は和銅年間の創建で、浜松の総鎮守とされ浜松城内の守護神松尾神社と合祀される。浜松城を松尾城と言う訳である。城主の祈願所として四石五斗を受け、宮司は城内木香間に勤仕した。その功により時を違えて大和当麻国行・井上真改・銀造飾太刀を賜る。享保三年正一位。慶応四年明治天皇より総社の故を以て菊御紋の御茶碗一個下賜される。
松尾神社なのに白鬚神を主神として祀っているところは、ここ以外は無いんじゃないですかねえ。
(熊本県山鹿市の松尾神社にも猿田彦石があるそうですけど)
浜松市のここの場合は、この場所にもともと白鬚神を祀る何かの施設があって、そこに徳川家康が、浜松城内にあった松尾神社を移すことによって半分上書きしたんだと思う。
つまり、「松尾=天狗」という図式が明確に現れているのは浜松独自の風習だって事だ。
(近いうちに松尾大社の天狗岩も見に行ってきますね)
大山咋神は決して天狗の神様ではないんですけど、「日吉神(山王)」とは大山咋のことであり、「日吉=お猿さん」→「お猿さん=猿田彦(庚申信仰)」→「猿田彦=天狗」という連想ゲームはあるのかもしれませんね。
でも修験道(=それぞれの山にそれぞれの神がいる)的な考えで言ったら、山裾全般の里山平和主義世界みたいなものを司る凡和な神に、天狗的な要素は無いんですよね。
浜松市にはもう一箇所、遠州灘沿いの倉松町にも松尾神社があるんですけど、そっちは大山咋を崇めている普通の松尾社です。
現在は磐田市になっている「池田荘」も平安時代は松尾大社の荘園だったんですけど、現在はそこに松尾神社は無いみたい。京都の松尾大社は秦氏と賀茂氏と深い結びつきがあるそうですよ。
結局、どうして平山城の浜松城(が建てられる前の引馬古城の裏山)に山の神を奉る松尾神社があったんでしょうね?