新聞記事から。抜粋ですが長いかも。
人文知を軽んじた失敗。
歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉
藤原 辰史
京都大学人文科学研究所 准教授
ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。言葉がなければ、
激流の中で自分を保てない。言葉と思考が強ければ、視界が定まり、
周囲を見わたせる。どこで人が助けを求めているか。流れを読めば、
救命ボートも出せる。歴史から目を逸らし、希望的観測に曇らされた言葉は、
激流の渦にあっという間に消えていく。
歴史の知はいま、長期戦に備えよ、と私たちに伝えている。
長期戦は、多くの政治家や経済人が今なお勘違いしているように、
感染拡大がおさまった時点で終わりではない。パンデミックでいっそう
生命の危機にさらされている社会的弱者は、危機の終息後も生活の闘いが
続く。誰かが宣言すれば何かが終わる、というイベント中心的歴史教育は、
二つの大戦後の飢餓にせよ、ベトナム戦争後の枯葉剤の後遺症にせよ、
戦後こそが庶民の戦場であったという事実をすっかり忘れさせた。
封鎖下の武漢で日記を発表し、精神的支えとなった作家の
方方:ファンファン氏は、
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は
(中略)ただ一つしかない。
それは弱者に接する態度である」
と述べたが、
これは「弱者に愛の手を」的な偽善を意味しない。
在宅勤務が可能な仕事は、「弱者」の低賃金労働に支えられていることに
寄ってしか成立しないという厳粛な事実だ。今の政治が医療現場にピントを
合わせられないのは、世の仕組みを見据える眼差しが欠如しているからである。
南洋の戦場に行き、生還後、人間より怖いものはないと私に教えた
元海軍兵の祖父、感染者の出た大学に脅迫状を送りつけるような現象は
関東大震災のときにデマから始まった朝鮮人虐殺を想起する、と
伝えてくれた近所のラーメン屋のおかみさん。そんな重心の低い知こそが、
私たちの苦悶を言語化し、行動の理由を説明する手助けとなる。
これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と
何度も叱られ、予算も削られた。
だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、
あなたたちだ。
長い時間でものを考えないから重要なエビデンス(証拠)を見落とし、
現場を知らないから緊張感に欠け、
言葉が軽いから人を統率できない。
アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流には立てない。
コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。
危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、
私たちはもうコロナ前の旧制度には戻れない。
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藤原さんの論考
「パンデミックを生きる指針 歴史研究のアプローチ」は
ウエッブサイト「B面の岩波新書」に掲載中。
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第一次世界大戦は、戦後の飢餓と暴力、そして疫病による死者の方が
戦争中よりも多かった、そうです。
うろ覚えですが、人文学は不要みたいなことを言われたことあった。
そんな前でもないと思う。
上記に、何度も叱られ、予算も削られたと書かれている。
最初、読んだ時、難しいと思いましたが、何回か読んで分かりました。
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友人がメールで「今、少しずつ部屋の片付けをして、
捨てる物が山のように出てきます。
たくさん捨ててるのに、全然スッキリしません(笑)」と書いてありました。