<平和の俳句2023 つなぐ戦後78年>
辱かしめ受けたら飲めと渡されし粉
古谷 昌(93) 東京都江戸川区
◆学徒動員で働いていた工場で、他の女子生徒と一緒に受け取った
新聞紙を折った小さな包みを開くと、きらきら光る粉が入っていた。
1945(昭和20)年8月15日昼すぎ、現在の東京都墨田区にあった工場。学徒動員で働いていた15歳の古谷昌さんは他の女子生徒とともに集められ、職場の主任から「辱めを受けることがあったら、飲め」と新聞紙の包みを渡された。誰かが「青酸カリだ」と言った。
都立第七高等女学校(現・都立小松川高校、江戸川区)に通っていた。戦況悪化で校舎は工場として使われ、無線機を作った。「何を作っているか、家族にすら言っては駄目だと。言いたいことが言えなかった」
無線機の製造元が45年3月の東京大空襲で被災すると、動員先は墨田区の工場に変わった。約50人いた同じ学級の生徒は、疎開も含めて半数に減った。そして迎えた終戦。「辱めが何かもわからない。勝つと信じていた日本が負けたことが悲しくて、友人と3人で泣きながら帰りました」。包みを開いたのは、その帰途でのことだった。
戦後50年のころ。級友らと集まり、あの粉の話が出た。自宅の鏡台の引き出しを開けると、新聞紙はまだあった。粉は蒸発したのか、丸い染みだけが残っていた。(奥野斐)
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きょう15日は、戦後78年の終戦の日。今年は台風の接近、上陸に伴う緊迫感の中で、平和を願う鎮魂の日を迎えます。東京新聞は今夏も、読者が平和を詠んだ「平和の俳句」を紹介しています。戦火がやまないウクライナに心を寄せる一方で、戦争体験の風化を懸念する思いもあってか、今年は昨年を524句上回る6746句が寄せられました。本日は、投句された方々が俳句に込めた気持ちも一緒にお伝えします。東京新聞「平和の俳句2023」特設ページはこちらから。
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