「人の世に熱あれ、人間に光あれ」。百年前に創設された全国水平社の宣言文だ。部落差別の解消のみならず、水平社の理念は人権運動総体をけん引した。その志を受け継ぎたい。
全国水平社の創設は一九二二年三月三日。京都市での創設大会には被差別部落出身者ら三千人が参加した。明治政府は一八七一年の解放令で「穢多(えた)」「非人(ひにん)」などの身分制度を廃止したが、その後も厳しい差別が続いた。その解消を目指し、水平社は日本で初の当事者団体として結成された。
その歩みは戦後、部落解放全国委員会(現在の部落解放同盟)に継承され、運動により部落差別の解消を「国の責務」とした同和対策審議会答申が勝ち取られた。
一方で水平社時代の戦争協力や戦後も同対審事業を巡る不祥事など、運動には曲折があった。
ただ、日本初の人権宣言として百年前に放たれた水平社宣言の光彩はいまも色あせていない。宣言は当時、米誌でも紹介され、その後は障害者、アイヌ民族など他の人権運動に影響を与えた。
宣言の画期性は差別された当事者が同情を乞うのではなく、自尊の精神を抱いて社会変革を訴えた点にある。さらにその訴えを自分たちだけに閉ざさず、「人間を冒涜(ぼうとく)してはならぬ」と社会全般に普遍化したことにあるだろう。
言うまでもなく、差別をなくす闘いは容易ではない。現在も被差別部落を巡っては結婚などの差別が残り、地名の一覧がネット上に掲載される事件も起きている。
在日コリアンやアジア人らへのヘイトスピーチ、技能実習生らに対する暴行や搾取の横行、入管施設での長期収容や死亡事件にも人権感覚の欠如が表れている。
日本だけではない。社会格差の拡大は排外主義の台頭を促し、ネット社会は偏見や憎悪を助長しがちだ。特に非常時には人権意識が損なわれやすい。コロナ禍での感染者への差別は記憶に新しい。
現代社会を見つめれば、水平社宣言が過去の遺物ではないことが分かる。次の百年に向け、私たちにはその理念を共有し、反差別のバトンを受け継ぐ義務がある。
1922年の政治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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