goo blog サービス終了のお知らせ 

YAMACHANの雑記帳

山本太郎のれいわ新選組と立憲の小沢一郎を応援しております。
密かに自民公明ゆ党からの政権奪取を夢見ています(苦笑)。

タレントの前田武彦さん死去

2011年08月06日 09時16分22秒 | ●YAMACHANの雑記帳
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110805/k10014728771000.html

人気番組の放送作家や司会者として人気を集め、「マエタケ」の愛称で親しまれたタレントの前田武彦さんが、5日、肺炎のため亡くなりました。82歳でした。前田武彦さんは東京の出身で、専門学校で演劇を学び、大学を中退したあと、昭和28年にNHKがテレビの本放送を開始したときから児童向けの番組の台本を手がけました。その後、一世をふうびした民放のバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」などの人気番組で放送作家として活躍しました。司会者としても、音楽番組や、大橋巨泉さんと共演したバラエティ番組での軽妙な語り口や毒舌で人気を集め、「マエタケ」の愛称で長年、親しまれました。前田さんは、俳優としても映画「釣りバカ日誌」シリーズに出演するなど、タレントとして幅広く活動を続けていました。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011080602000090.html
前田武彦さん 死去 「ゲバゲバ~」司会で人気
テレビ草創期から放送作家、司会者として活躍したタレントの前田武彦(まえだ・たけひこ)さんが5日午前11時16分、肺炎のため死去した。82歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
立教大学中退後、放送作家として活動を始め、テレビ放送が始まった1953年にNHKの「こどもの時間」で脚本を担当。日本テレビ系のバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」の脚本も手掛けた。故青島幸男さん、永六輔さん(78)らと放送作家として活躍した後、タレントとしても活動。毒気を含んだ話術で人気者となり「マエタケ」の愛称で親しまれた。68年から始まったフジテレビ系の音楽番組「夜のヒットスタジオ」では芳村真理(76)と司会を務め人気を集めた。また、大橋巨泉(77)と生放送の司会を担当し、69年から71年まで日本テレビ系で放送された「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」では高視聴率を記録し、今も伝説的なお笑い番組として知られる。
73年、当選した参院選の共産党候補に向けて生放送中に万歳のポーズをしたことに批判が集中。一時は一線を退いたが、俳優として映画「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」シリーズなどに出演した。
◆「ケロンパ」名付け親
 女優うつみ宮土理(67)の話 幼児向け番組「ロンパールーム」に出演後、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」に出た私が周囲の人から悪口を言われてもけろっとしているのを見て、「ケロンパ」というあだ名を付けてくれた。人を褒めるのがうまくて、随分引っ張ってもらい、感謝している。もう一度、一緒にお仕事をしたかった。残念だし、寂しいです。「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」のプロデューサーを務めた井原高忠さんの話 嗚呼(ああ)また共にテレビの開拓時代を過ごした戦友が一人逝ってしまったか、という思いです。同時代に生きた仲間である彼にとって、きっと今の日本は腹立たしいことだらけだったと推測します。楽しかった“あの時代”の思い出を胸に旅立ったことでしょう。
*1973年夏、武彦は生放送で司会を務めていた『夜のヒットスタジオ』のエンディングで日本共産党の候補者が当選したことについて万歳したことから、それが反共・右派である当時のフジテレビオーナー・鹿内信隆の逆鱗に触れ、秋には司会降板となった。さらに、その他の出演番組からも降板、もしくは番組自体が打ち切りになることが相次ぎ、武彦はその後数年間に渡ってメディア出演の機会の大部分を失うこととなった。(ウィキペディア)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110806-OHT1T00002.htm
前田武彦さん死去 昭和彩ったフリートークの天才
「マエタケ」の愛称で親しまれたタレントの前田武彦さんが5日午前11時16分、肺炎のため亡くなった。82歳だった。東京都出身。テレビ草創期から放送作家、司会者として活躍した。葬儀・告別式は近親者だけで営まれるという。所属事務所は、後日に「お別れ会」を開催することを検討している。都内の自宅で取材に応じた長男で会社員の塁さん(52)によると、前田さんは7月28日、体調を崩し、入院した。腸閉塞と診断され、脱水症状、ショック症状が出た。ここ1週間は意識もなく、肺炎を併発し、力尽きた。最期は家族に見守られながら、静かに息を引き取ったという。
「入院した時も深刻に考えていなかった」。塁さんが説明するように、死は突然だった。約5年前に大腸がんの手術、最近は腎臓も弱くなり、糖尿病で通院していたが、元気だったという。入院した日は59回目の結婚記念日。前日は「明日は、すしにしようか、中華にしようか」と楽しみにしていた。
7月16日、TBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」(土曜・前8時30分)にゲスト出演したのが最後の仕事になった。8月末にも出演する予定で、本人は心待ちにしていたという。
前田さんは脚本家として芸能界に入った後、司会者としても活躍した。脚本通り進行するだけでなく、フリートークをまぜる新しい司会者像を作った。68年に始まったフジテレビ系音楽番組「夜のヒットスタジオ」の初代司会者を芳村真理(76)と担当。持ち前の毒舌で、若手歌手を泣かしたこともあった。翌69年に「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」をスタートさせ、大橋巨泉(77)とコントを披露するなど人気者になった。
「バンザイ事件」は語り草になっている。73年、「夜の―」の放送中に、参院選大阪補欠選挙で共産党候補者が当選したため、バンザイと唱え、降板させられた。
熱烈な巨人ファンで、ヨットを愛した前田さん。塁さんは「家族中心主義の父でした。感謝している。悔いなく、いい人生が送れたんじゃないでしょうか」と話した。
☆僕にとっても前田武彦・大橋巨泉・永六輔の三氏は、いろんな意味で好きなタレントです。前武さんのご冥福をお祈りします。(合掌)
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へにほんブログ村・ラジオのパーソナリティーなされてた頃を思い出します。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NYダウ 500ドル以上急落 | トップ | ☆黒い雨(今日は、広島に原爆... »

コメントを投稿