怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

リスのえさを地下室で干している最中だ。

2018年10月22日 | 奉仕活動
洗濯物干し場の片隅に置かれているこの食材。

くるみだ!こうやってしばらく乾燥させたあと、割って中身を取り出す作業が待っている。

クルミと言えばリスだな!
秋の広告にはリスのイラストが多用されるドイツだ。
リスなどの動物だけでなく、ニンゲンにもこうやって食べられているクルミ。これらは近所の人にもらったらしい。以前、ウチにもこの木があったのだけれど、義両親たちは切り倒してしまった。
「切ったり植えたり、両親のやることはわかりません」
と夫が嘆いていた。彼はまったく庭仕事に関心がないのにそうした作業にこんな感想を持つのが不思議だ。

切ったり植えたりすること自体に楽しみを見出しているのだろう。
いいじゃあないか、自由にやってもらえれば。

長期外国生活で変わってくるさまざまな感覚

2018年10月22日 | ひとびと
興味深いコメントをもらった。

行きつけの医院で撮影した男性用小便器を添付した記事についてだ。
これを読んで、はっとした。
私の物事に対する感覚が非常にドイツ化していることだ。
この記事を作成中に、私は便器写真を掲載することについてまったく閲覧に差しさわりがあるという発想がなかったのだ。
全くないのだから、困ったものだ。このようにしてコメントでももらわないと知らずにどんどんトイレ写真を掲載し続けていた。
・・・っていうか、過去にはかなりたくさんのトイレ写真をブログ記事にしているので、このコメントをくださった方は、比較的新しいこのブログ読者とも想像できる。
いらっしゃいませ、りすわ~るどへ!
りすわ~るどには、他のブログにないドイツを紹介しているので(義両親同居ってのがその最大)容赦がないことをときに覚悟してもらおうとお願い申し上げる。

それに対し、こうした意見もあるので、人によって感じ方はさまざまである、と結論できる。

汚いものに関してはドイツ生活、または日本以外の外国生活では慣れが必要だ。
ここに来た当初、あらゆる場所が汚く感じたものだ。神経質なほどに衛生を重視する日本の環境にいると、比較的汚いもの平気だった私にもドイツ生活の初心者時には不衛生極まりなく感じるものばかりだった。

今は状況が変わってきているが、数年前までは大抵のパン屋では店員が手づかみでパンを取って客に渡していた。
もちろん、いちいちその手を消毒している暇などない。現金受け渡しも同じ手で行われていた。
肉屋でもそうだったらしい。それは想像するだけでも凄い光景だぞ。私は肉屋に行かないのでその実際を見たことがない。

ドイツが汚いのは移民・難民が多いからだろう、と思われている方々もいるだろう。
難民を一気に受け入れたのは確か2014年前後だ。それ以前からここに住んでいる私だ。また、夫は5年間の日本生活で、日本の一番気に入っている部分が「衛生的である」という発言をしていることから、日本のきれいぶりは世界一と断言してもいいだろう。

そんな日本からきた私が、今ではすっかり汚いものが平気になり、それを平気で撮影して公開してしまうようになった、と理解していただきたい。
これからはなるべく気をつけて写真掲載に励みたい。

では、さっそく。閲覧注意。
今度は汚いものではない。

公序良俗に反する、とか意見をもらいそうな画像だ。
いや、著作権侵害?
仕事先で何気に置かれていた何枚かの絵葉書の一枚だ。

全裸の男女の後姿なのだが、男性は人によっては性器の一部がはっきり見えているんだ。

不思議なことに、こちらのテレビ放送23時ごろまでは女性の乳房が丸見えの映画やドラマは少ないのだが、男性器丸出しは結構あるんだ。
ベッドシーンでなく、着替えやシャワーのシーンであることが多い。
初めのうちはいちいちびっくりしていた。ここに移住して数年間は夫と一緒にサウナへよく行っていた。混浴なので、ごく普通に、男性器を見てしまうことを鍛えられた。

こんな環境にいると、下の絵葉書など、ほとんど普通にやり取りできるレベルの裸像だ。


右端の子供が、この全体の様子を和ませてくれる。うん、かっこいいねぇ。

前衛的という風にも感じない。
「ちょいとこんな風にしてみよう」って周囲のスタッフに尋ねたら同意を得て、早速脱いで、撮ってみた、という印象さえある。
右上には「ベルリン大改革」という意味のタイトルが書かれたあるぞ。
うふふ、効果的かもしれない。





アジア地域より娯楽の少ないここは何でもイベントになりうる。

2018年10月22日 | 歴史
地元バス会社の名称変更、鉄道網との連携などの事業拡大で市長の挨拶を交えた式典が街中の広場で開かれていた。

日本でも全くないわけではないだろうが、ここでは「そんなことぐらいで」と思うようなテーマに華々しく人々が集まったりする。
4,5年前、近所の中国人音楽家夫婦が自分の生徒たちの発表会を開いたときに私が手伝いに行った。
彼らは私に「ここって、娯楽が少ないから発表会も一族郎党でやってくるんだ」と私に解説したのが印象的だった。

街中を行く通りがかりの人々も立ち止まってしばらく式典を眺めていた。さすがに一族郎党でやってくる、なんて催し物ではなく、関係者とたまたま通りがかった人々によって盛り上がりを演じていた。

私は何か飲料とか小物とかの品を配らないのかな、ってしばらくその場で佇んでいた。
このバス会社はときどき無料布袋を配るんだ。
だが、何もなかった・・・
私も次の約束があるので、途中で切り上げてその場を去った。
もしかしたら、私がいなくなってから何か配られたかな、ってしばらく思考をぐるぐるめぐらせていたせこい私。