怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

日本のタトゥー普及のためには人々の意識の変化が必要なんだろうな、ドイツはすでに済みさっ

2019年08月21日 | 歴史
アフガニスタン人Sさん(男性30歳代)、ドイツ人M子さん(女性60歳代)と三人で雑談していた。
話題がタトゥーになった。
ドイツではもう誰でもしていると思われるタトゥーだ。M子さんによると、彼女が若い頃はタブーのひとつだったらしい。
これは私には結構な驚きだった。義父は腕のかなり目立つところにタトゥーがある。
西洋ではタトゥーは気にならない普通のことなんだ、と義父と初めて会ったときに判断した。
普通の人々には縁がない時代もあったことをM子さんとの会話で初めて知った。
ある種の職業(義父がそうだったように、船員など)や裏社会の人々が好んでタトゥーを入れていたのだそう。
一緒にいたSさんも、アフガニスタンの裏社会の人々で好まれていると言った。
そうか、世界各国、タトゥーはそういう傾向があったのね。

Sさんの在独アフガニスタン人仲間の一人が、顔に大きなあざがあるのだそう。その人はわざとそこにタトゥーを入れたのだとか。
それを聴いたM子さんは言った。
「ああ、それじゃあ、ある特定の仕事には採用されにくくなりますよ」
この発言も驚いた。そうか、そうなんだ、ここでもそうなのね。
衣類などで目立たない場所なら構わないが、顔のような部分となると、採用を拒む業界も多いらしい。

話し合っている隣のカフェのお兄さんは腕全体がタトゥーで埋まっている。
彼はそこの経営者らしいので全く差しさわりがないだろう。また、彼と接する人々は数秒で彼の穏やかな気質に好感を持つだろう。

人々の多くはタトゥーを趣味趣向の一種として受け入れているが、そうではない部分もまだあることを知っておかなくてはならない。
「日本では、タトゥーを入れた外国人旅行客に温泉やプール入場を許すか許さないか討論があります」
と言ったら、今度は二人がが驚いていた。

人々の物事の感じ方、考え方の変化が早いのはこちらのほうだと感じる。日本は物資の変化は早く受け入れられるが精神面では少々時間がかかるという印象をタトゥーで思う。

そんな会話を楽しんだ後、M子さんの足首を見て笑ってしまった。

そっか、あなたもやっていたのね。日本旅行の時には長い衣類で行ったほうがいいのかな?
いや、これくらいだったら受け入れてくれるだろう。
プールもお風呂もOKね?

写真に入り込んでしまった女児は8歳。
ずっと独身のM子さんだが、子供の扱いは上手だった。


郵便投票が面白いと感じる

2019年05月17日 | 歴史
義両親と夫に投票用紙が届いた。
みな、郵便投票をするようだ。

この郵便投票解説用紙、イラストだけで何となくわかるだろう。

政党や候補者名を書くのではなく、印刷されたところにチェックを入れるだけだ。
これだったら、たくさんいるとされているドイツで生まれ育った難読症の人たちに少しやさしいのかもしれない。

こうしたやり方の違いはそれぞれの歴史や文化背景、また、人種の違いの特性などで違ってくるのだろうな。
日本も郵便投票を普通にして欲しい、などと書いてはいけないだろう。
文字を書くのは面倒だから、マークシートのようにすればいいのではなかろうか、というのもダメなのだろうな。
日本はなんだかんだ言って、文字の国だ。
太古の昔から文字を贈りあうのが好きだったものね。識字率も欧州より抜群に高かった大昔。

日本語がほとんどできない日本に住む日本国籍の人々も多くいるだろう。
実家近くのパスポートセンターでパスポート更新手続きに来た若者が、母親らしい人に通訳してもらっていたのを見たことがある。
もっと増えてくれば考えるかもしれない。投票用紙にローマ字が添えられるかも?

ちなみに、わたしも郵便投票を一度経験している。
海外在住日本国籍者の特権。ちょいと面倒だけれどね。あらかじめの登録、書類申請などのやりとりが発生する。
ま、数年に一度のことだから楽しくできる。



いよいよ本格的な多民族国家を目指すのを感じた赤十字。

2018年10月25日 | 歴史
バスの中から見かけた光景がブログ記事に相応しいと思って、次の機会に徒歩でそこまで行った。
バイエルン州赤十字。

その上方にはためく旗がこれ。

たぶん、反対側から見るのが正解、これは裏側。逆光になってしまうのでこのように撮影。

新たに作ったのだろう。
赤十字の赤い十字にキリスト教との深い意味があると認識しているのだろうか。
そうだとしても、すでにこの地で1500年以上影響力のある宗教だ。気を遣って別種宗教も受け入れます、などという強調はしなくてもいいのではないか、と単純に思ってしまう。
このようになった詳しいいきさつをきちんと知らないので、機会があったら聞いてみたいと思う。

一番下の四角はどの宗教のシンボルなのだろうか?ちょいと検索してみたけれど見当たらない。
キリスト教とイスラム教以外のその他の宗教まとめて、って意味かも・・・・
赤十字の目的は「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」ってことだから、赤十字だけで他の宗教も包括しているって考え方には・・・無理だろうなぁ、・・・ならないだろうなぁ・・・
多民族国家の苦しいところ、さあ、ドイツの皆さん、頑張ってくれ。
日本も移民が非常に多くなってきていると読んでいる。
日本赤十字社、ドイツの真似をするかな?日本は欧州のまねが好きだから。

アジア地域より娯楽の少ないここは何でもイベントになりうる。

2018年10月22日 | 歴史
地元バス会社の名称変更、鉄道網との連携などの事業拡大で市長の挨拶を交えた式典が街中の広場で開かれていた。

日本でも全くないわけではないだろうが、ここでは「そんなことぐらいで」と思うようなテーマに華々しく人々が集まったりする。
4,5年前、近所の中国人音楽家夫婦が自分の生徒たちの発表会を開いたときに私が手伝いに行った。
彼らは私に「ここって、娯楽が少ないから発表会も一族郎党でやってくるんだ」と私に解説したのが印象的だった。

街中を行く通りがかりの人々も立ち止まってしばらく式典を眺めていた。さすがに一族郎党でやってくる、なんて催し物ではなく、関係者とたまたま通りがかった人々によって盛り上がりを演じていた。

私は何か飲料とか小物とかの品を配らないのかな、ってしばらくその場で佇んでいた。
このバス会社はときどき無料布袋を配るんだ。
だが、何もなかった・・・
私も次の約束があるので、途中で切り上げてその場を去った。
もしかしたら、私がいなくなってから何か配られたかな、ってしばらく思考をぐるぐるめぐらせていたせこい私。

すでに昔々の戦没者のための新しい慰霊碑

2018年10月21日 | 歴史
ときどき通る道に何やら新しい物体が現れた。

ひどく錆びているような印象だけれど、古くはない。
何だろう、って刻まれた文章の一番上だけを読んだ。(全部読む気がない・・・って・・・)
戦没者追悼碑だった。もちろん、ドイツ国内で一番新しい戦争は日本と同じなので、すでに70年以上前のできごとだ。
これが建てられている周辺に空爆があったようで、大勢の人々が亡くなった事に対する慰霊だ。
最後に「これがこの街の最後の戦争でありますように」ってあるのが複雑な心境にさせる。
まあ、この場合、世界各国の平和というよりここのこの地だけを考えてそう表現したのだから理解してあげなくてはならないかな。
何年か前だったか、この街で生まれ育った若者がアフガニスタンに派遣され死亡し、その葬儀か何かで首相がやってきた、という記憶がある。

さて、日本人の私。
この碑の隅々を観察。

やっぱ、テキトーな造りだよな。コンクリートの土台がまっすぐでなかったのか、碑が曲がって作られたのか?

ところどころに鉄板を入れているのは隙間ができてしまい、強度を保てないのでとりあえずそうしました、って素人はあきれてしまうのだけれど、合っているかな?
見た目に全然美しくない。日本の物だったら、もっと上手にやるだろうなぁ、としげしげ眺めて撮影した。