高麗の里、清流の谷戸。里山が微笑みはじめた。賑やか好きの人には何もない谷戸。
雑木林の芽吹き前は、梅や桜に負けないあでやかな色がある。
シェ・ノワは閉めたまま。
近くに喫茶店「万年青」があるけれど、この食堂も開けて欲しい。
高麗の里、清流の谷戸。里山が微笑みはじめた。賑やか好きの人には何もない谷戸。
雑木林の芽吹き前は、梅や桜に負けないあでやかな色がある。
シェ・ノワは閉めたまま。
近くに喫茶店「万年青」があるけれど、この食堂も開けて欲しい。
お彼岸にしか立たないはずだった卵が、なぁーんだ、というコロンブス氏の方法で毎日立たせることができるのは、ご同輩もご存知ですね。
ただコロンブス氏のやり方では、ナマ卵は無理ですが.......。
実は最近同じようなことを、スーパーの売場担当氏から教わった。
キウィの食べ方です。
切り口が美しいキウィは、美味く、ビタミンCが豊富で、割合安い。
なるべく沢山食べようとしているが、赤イヌのフグリのような皮を剥き、ぬるぬるする中身を輪切りにするのが面倒で、敬遠しがちな果物だった。
ところが、「上下真半分に切り分け、中身は匙で掬って召し上がれ」、との貼紙があったのである。
なぁ~るほどコロンブスだ!、と納得し感動した。
ただこれにも難点がある。ヨーグルトに混ぜると、ぐちゃぐちゃな猫マンマのようになり、食欲を削がれます。
ところで、ご同輩は煎餅の行儀のいい食し方をご存知だろうか?
なぁ~んだ、と呆れるかもしれませんが教えて上げます。
袋に入ったまま、細かく砕き、カケラを袋からいちいち取り出し、口腔内で湿らせ、奥歯が無いじじばばは、ゆっくり前歯で噛めばいいのです。
こういう作法で食せば、バリバリ音はせず、煎餅の細片が床に散らかりません。
掃除の手間が省け、地球温暖化防止に貢献しますよ。
いま困ってることがある。伊予柑の房を剥くとき、ジュースが飛び散ることです。
お上品な食し方、無いでしょうか?
生卵の場合、尻を潰さなくても根気良くやれば、お彼岸でなくても卵は立つそうですが.....。
お暇なご同輩は試してみて、結果をお知らせ下さいね。
3番目の写真は、プレーンヨーグルト・輪切りキウィに乾燥レーズンをトッピング。
濃縮ブルーベリーカルピスをチョッピリかけました。
暑かったり寒かったりの木の芽時。ふくらんできた木の芽は花の蕾に劣らず美しい。
希望の春がきて、あれもしたいこれもしたい、あそこへいきたいこれ食いたい、と希望だらけ。
おかげでアタマもカラダも木の芽時。手元は変わらず不如意ですぅ。
クシュン。
旧新井邸裏の台地である。外部から覗うよりずっと広い平地である。
既にブルが入り整地をしている。有力者が暗躍した宅地造成でなければいいが.......。
大邸宅の背戸の屋敷林はかなり荒れている。侵入者の煙草による火事が心配だ。
整備清掃作業を業者に発注するのではなく、ボランティアを募集したらどうか。応募者は多いと思う。
入口で三つ葉躑躅を何株も移植していた。市内有志の寄付らしい。落葉性潅木で済み、まぁよかったが........。
寄付ならサボテンでもメタセコイアでもバオバブでもいいのか。景観や管理費を前提に受け入れ基準が必要だ。
なし崩しに手を加えたり団子を売る前に、全体計画を定めよう。急がず十数年かけて計画を実現して欲しい。
市役所には知恵が無い。有力者におもねるだけでなく、西武沿線住民に、意見を求めたらどうだろうか。
市役所は巾着田に関するアンケート調査を、周囲の住民だけに実施した。
その他の住民、特に新住民は眼中に無いようだ。
わが猫額亭の畳も亭主同様古くなった。
新築時に入れた畳は質が悪く、小さい子が這い這いすると服に藺草の切れ端がべったりと張り付いた。
後に入れ替えた畳表は敢えて上等品を奮発した。
その後十数年。畳表の色は渋くなっても頑丈だが、よく通る場所の縁が擦り切れてきた。
入れ替えた時の畳屋は巾着田の入口にある。前を通った時、恐縮しながら縁だけ1枚、修理をお願いした。
名を言うと帳面を探し、猫額亭の記録があった。12年前のことだった。帳面には几帳面に全ての顧客の記録がされていた。
親方はすぐ来て持ち帰り、1時間もしたら縁を新しくした畳を届けてくれた。
そして修理代金をどうしても受け取ってくれない。
以前張り替えた畳はまだ10年は使え、次は畳表を裏返すだけでいいそうだ。
日高飯能の古い店には、最近進出した大手大型店には無い商品知識とゆとりと良心がある。布団屋、家具屋、金物屋、車検工場などなど........。
受け答えには地元なりの丁寧さがあり、流れ者には無くしてしまったふるさとのような懐かしさを覚える。
安さや店の綺麗さだけを求めず、地元の個人経営の店を利用しよう。
畳と女房はともかく、畳屋さんは古いほうがいい。
そういえば、小島先生のお弟子さんに飯能の古い畳屋さんがいた。新作を見せて頂こう。
つぼみがふくらんできた。
きのう今日はまた寒いけれど、花のつぼみに春が追い付いてきた。
そうだっ、希望に胸ふくらます春だ。
無理にでも胸ふくらますためには、先ず、鼻をふくらませなくてはならない。
.......と、鼻がムズムズし、鼻水頻り。やれやれ人並みに花粉症に罹ったようだ。
まだ水分があったのだ。流行にも追いつけた。
ハ・ハ・ハ・ハックション。
チカラ漲るクシャミの5連発だぁ。
3月17日と18日の撮影です。
飯能の裏町に「いいなぁ」と思っていた分れ道がある。
電柱や看板を嫌っていては写真を撮る場所が無い。構わずパチリした。
「小島喜八郎小展」の記事に載せる椿の絵を探していたら、同じ場所の切り抜きが出てきた。平成3年3月に文化新聞社が創刊した同人誌「飯能ペン」の挿絵である。
写真右奥にあるマンションが絵には無く、周囲の家の趣も大分違っている。
変わらないように見える飯能の裏通りも、10年もすると大分変わるものである。ましてナマ身の人間は......。
小島喜八郎「仲町」
先生を知ってからおよそ20年。先生は少しも変わらなかった。
文章も上手かった。優しく野心が無かったので、人気は飯能日高周辺に限られるようだ。
横尾忠則「腰巻お仙」
グラフィックデザイナーだった横尾忠則氏は、アングラ劇場や浅丘ルリ子の怪しいポスターで全国的な人気があった。
文章も上手く、八面六臂の大活躍。ポスターの後は滝、今では分れ道を描いているようだ。
横尾氏の油絵は、ポスター同様にどことなく隠微猥雑。嫌いではない。
だが電車に分れ道を転写するのには「どうもなぁ」と腰が引ける。横尾電車は桜木町事件のように悲惨不気味である。
他の賑やかな図柄は沿線風景に似合わない。JRもどうかと思うが、恐らく横尾魔術に目が眩んだのだろう。
電車を広告で包むことが流行している。電柱や電線のように横暴で嫌いだ。
近頃、西武鉄道も広告で電車を包むようになり、さもしくみっともない。
小島先生の水彩画を窓下に小さく写し、飯能日高にハイカーを招くなら「まぁいい」と思うが.........。
芸術新潮3月号では「Y字路」ですが卑猥なので、「別れ道」にしました。
武田鉄矢は偉いつもりで説教するから嫌い。
福山雅治はイケメンだから嫌い。
週間朝日編集長はデブなのに軽いから嫌い。
鳩山邦夫はカネ持ちで威張るから嫌い。
坂本龍馬は横井小南のパクリだから嫌い。
鳩山龍馬、懐手の物は?! 針 すなお
広告写真と漫画は3月17日朝日新聞朝刊から。
毎週月曜日、朝日新聞朝刊に「朝日歌壇・俳壇」がある。
以前は素通りしていたこの頁を、ホームレス歌人が発見された時から読むようになった。
特に紙面中央の「うたをよむ」という囲みが面白い。
3月8日は池田澄子さんという俳人の「双方ともに、凄ぇ」と題する文章があった。おおよそ以下のとおりです
俳句を作っていることを俳人以外に話したことはない。
たまたま知った人は、優雅な良いご趣味などと仰るので困ってしまうからだ。
と書き出し、90歳を迎えた俳人金子兜太の句を紹介している。
春闌(た)けて尿瓶親しと告げわたる
ぽしゃぽしゃと尿瓶を洗う地上かな
去年今年生きもの我や尿瓶愛す
更に池田さんが師事し、80歳で逝った三橋敏雄の晩年を書き、再び兜太に言及する。
敏雄は「俳句は志して至り難い遊びである」とした。
「世間から褒められるだけではなく自分自身の評価を得られる俳句が作れなければ命は要らぬ」
と晩年の句を廃棄処分。最後は病んでも治療を受けなかった。
そういう師を畏敬するが、老いた敏雄を見たかった。
老いが醸す敏雄俳句の匂いを嗅ぎたかった。
老いるのが生物ならば、自身の衰退をも眺め珍しがって欲しかった。
この話を兜太氏にすると氏は唸って、「うーん、それは凄ぇな、俺には出来ない」と。
「俺には出来ない」と言い切る兜太氏も見事だ。自身を自然の中の一現象、一生物と見る覚悟がある。
敏雄も兜太氏も、双方とも凄ぇ、のである。
つまり「俳句を優雅な趣味だなんて言われたくないわ」ということですかね。
それは俳句を生業にしている池田さんなら当然だろうが、素人はなにも構えることはない。「へ~尿瓶まで俳句にするかねぇ」と感心するだけでよろしい。
感心するだけでなく、尿瓶頻尿物忘れなど不具合を句や歌にしてしまおう。深刻にならないように川柳狂歌になればすごくよろし。世間の評価なぞ気にせず自分がよければいいのだ。
定年後の過ごし方に困っている皆さまにお勧めします。
3月15日は中原中也を紹介し、中原の短歌と詩の味わい方を教えてくれてますよ。
この前の湿って重い雪は椿の幼木を大分痛めつけた。
根こそぎ倒れてしまった椿は、枝を軽くするため蕾が沢山付いていたが切り捨てた。丸坊主にした椿はとりあえず斜めのままにしておいた。
鉢植えの椿は蕾を付け過ぎる。大半を咲く前に取らないと、花の後枯れることがある。
鉢から庭に移植すると5~6年は伸びるばかりで花が付かない。
庭にあった幼木は花がろくに付かないほど刈りこんでいた。
土手に移植してからは伸びるまかせたため、常緑の葉は黒いくらいに濃く、こんもりしていた。
伸びるに任せていたのは間違いだった。
椿は自分の生きる場所を確保するために、根を張るよりも枝や背を伸ばすために全力を挙げていたようだ。だから湿った重い雪が葉に積もると、ひとたまりも無く倒伏してしまった。
雪が融けようやく土が少し乾いたので、元の姿勢に戻し杭で固定した。冬の間にふやけた身体には一仕事だった。
無事だった椿も花が終わったら大幅に枝透かしをしよう。
大樹は多くの試練に耐えて生き延びたものだ。しかし最近、高麗の里では盛んに伐採している。
いろいろ都合や差障りがあるのだろうが、大切にしたいですね。
展示作品は古い。本格的に写真をやっている人には物足りないかもしれない。
だがデジカメを始めたばかりの森生にとって、椎名誠写真展は充分楽しめ、勉強になりました。
五つの旅とは、
・チャーリーのイッカククジラ狩り
・ロシア極北狩猟民族イーゴリさんと犬の話
・砲艦リエンタール号マゼラン海峡をいく
・チベットの聖山カイラス巡礼記
・タクマラカン砂漠「楼蘭」探検記
である。それぞれの記録写真に、数行の添え書きがあり、纏めると短い物語になる仕掛けだ。
写真は勿論大したものだが、この添え書きがいいんですね。
週刊誌に書いているような言葉遊びやおどけは無い。無駄が無く飄々。これなら好きですね。
椎名さんを開高より低く見ていたが、写真家としての腕があり、開高の辛辣さや粘着力や詩情は無いが俳味があり、ホッとできる。椎名さんは椎名さんでいいのダ。
会場に、写真展ご挨拶が展示されていた。薄暗い会場で勝手に抜き書きした。
いつか出したい写真集があった。
一枚の写真にはかならず物語がある。二枚になればもう少し物語が進む。
もっと先には思いがけない話があるかもしれない。
物語は旅だけではなく、わたしの周辺にもっとたくさんある。
次の写真集は「むかしむかしあるところに......」という題にしたい。
そうだっ! 「林住記」の写真はヘタでいいんだ。オドロキやワルグチやワハハを撮ればいいんだ、と励まされた写真展でした。.........うまくいくかなぁ。
上の原稿は、許可を頂き会場で写しました。「五つ旅の物語」は講談社から出版されています。
文頭の画像は当展HPの画像を加工させて頂きました。ご挨拶原文はHPに載ってます。
この後、キャノン・ショールームで大満足 それは別の記事でまたね。
ようちえん にゅうえんしきで ぼくがなき
そつえんしきで ママがなく
14年前の朝日小学生新聞に載った一年生秋元健太クンの短い詩だそうです。この短詩を紹介してくれた3月10日の「天声人語」に、ホロリとさせられた。下はそのあらましです。
卒園式で父母を泣かせてきたのが「思い出のアルバム」だ。
顔中を口にして歌う子に苦労を重ね、母親や先生方の涙腺は緩む。
作詞は基督教徒で保育園を開いていた増子とし。
作曲は住職で幼稚園を経営していた本多鉄麿。
半世紀前の歌作りには次代を担う子どもへの愛情が滲む。いわば玄人の歌だ。
片や、親は育児の素人から危なげに出発し、わが子については誰よりも通じた玄人になっていく。
卒園式や卒業式は両親の成長の節目でもある。
泣き笑いを重ねて迎える親子のひと区切り。そして新たな旅立ち。
薄桃色の日ざしの中で、それぞれの心のアルバムに育ちの跡が刻まれる。
泣いてよし笑ってよしの集いで、春は程よく厳かな、晴の季節になる。
柄にも無く森生の涙腺も緩んだ。だが、この歌を知らなかった。早速調べてみた。では.......。
「思い出のアルバム」
................いいなぁ。涙腺は全開になりました。アルバムの近くで見つけたこの歌にも。
森山良子さんもいいけれど巧すぎる。2曲とも子どもたちの合唱だからいいんですねぇ。
顔中口にして歌ってるところが.......。
君たち、いつまでもお友だちでいてね。
そしてママへ。お子さんは今この時、一生懸命親孝行をしてるんですからね。
と、じじばばになったので言えますが...........。
ここで終わりにすればホロリですが、そうはいかない。泣かせた天声人語氏に仕返しです▼
永六輔さんによると、「卒」には終わりの意味があり、「卒業」は正しい。
「卒園」では幼稚園が小子化で「閉園」ということになる。
「卒遊」がいい、と言ったかどうかは覚えてません。
来年も生きていたい。そしてシアワセな数日が欲しい。そのための先行投資が必要だ。
と決意し、池袋のデパ地下へ行った。
池袋とはいえ東京のホワイトデーは飯能に較べ殺気立っていた。
いちばん混み合っている売場へ一直線。
HENRI CHALPENTIER(違ってないかな?)。
女性に人気があるらしい。若い雄羊の長い行列。やっと順番がきてマカロンを選んだが..........。
「ひぇっ! マ・マカロンて要冷蔵なの? と・と・と・取り換えてちょ」
帰りの旅路は長い。カッコよくきめた男女店員に迫られ、どぎまぎしながら結局選んだのは........、
LES FINANCIERS AU HRAISE(大丈夫かな?)。
これって経済的とかお徳用って意味じゃないかぇ? まっいいか、おフランスらしいもの。
投資額? それは、ヒ・ミ・ツ。
大切な目的を果たし、ふぅ......。
そして、ここまで来たんだから少しくらいゼイタクしても罰は当たるまい、と。
Cerfeuil(軽井沢創作自然野菜瓶詰屋)ジンジャージャム1470円。
LE BIHAN(パン屋)菓子パン3個614円。
ゑびすDAIKOKU(惣菜屋)葱ぬた200g675円。
..............〆て高額也。
飯能日高では決して手に入らないものもの。
暫くは眺め、それから何日かかけて、ちょっとずつ食すつもり
あの子とあの娘とあのお方
LESナントカはさりげな~くプレゼントするつもり。
来年が待ち遠しい。
・・ 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそ惜しけれ ・・
...........相模
あなたのつれなさを
恨んでは思いなやみ
私の袖は
かわく間さえないというのに
ああ その上に
あれ見よ 恋の痴(し)れものと 世に
指さして嗤(わら)われるわが名
わが名のいとおしさ
短歌は王朝女流歌人相模が詠んだもの。続く8行は田辺聖子先生の口語訳です。
相模は何不自由無く育ったお姫さま。内親王家サロンで大活躍し、後に相模の守として赴任する有名歌人に求婚され結婚。夫婦仲は良かったが結局離婚。以後色々な男と恋愛遍歴を重ね、再び内親王家に仕えてから、歌壇で重んじられた堂々たる貫禄の女人だそうな。(あの大車輪・勝間和代さんとは大分違いますね)
だからこそこの短歌は重みが利いており、このくらいの重みができてからが「女」というものである。
と田辺先生は決め付けている。(あのー、重みといっても体重じゃないはずですからね)
そしてこれから先がスゴイのだ。そのまま転記します。
日本の男性は、旧来の慣いとて「女」に正面切って向き合う器量がなく、.........というより、その能力が開発されてない。
だから自分より年下の、ひよひよぴいぴいのあまっ子ばかり相手にするのである。
男が若い女ばかりに関心をもつのは、種族保存の本能でっせという説を男たちは信じているが、なーに、おとなの女と丁々発止とやり合う自信がないだけのことである。
一人前の女とチャンと渡り合い、言い寄ったりはねつけたり、恋させたり恋したり、というのができるのこそ、オトナの男の貫禄というものであろう。
「ヤダー、ウソー、カワユイ」しかいえないひよっ子女ばかり相手にしてるから、日本の男は海外へいくと、もてないのである。女へのアプローチの訓練ができてないんですね、コドモばっかり相手にするからだわさ。
どーもすいません、凄い気焔ですね。よほどご機嫌がナナメだったのだろうか。
ただ、そこはお聖さん。ご主人のカモカのおっちゃんに似た熊八中年を登場させて、ぼそぼそと、
「しかし、........男にも、選ぶ権利、というもんがありますのでねえ........」
とまぁ、こういう風な解説が「田辺聖子の小倉百人一首」にはふんだんにあります。
挿絵は色っぽく、とびきり美しい。こっそり言うと、ブログネタ満載です。
美しいシンビジウムは、陸奥の守奥方相模ことぽっち~女史のブログから届きました。
男はともかく、女史の各地遍歴は確かです。あまっ子はとうに過ぎ、還暦までにはあと25年くらいはありそ。