林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

猛暑猛烈もうダメだ

2007-08-16 | 高麗便り



上は今朝の朝日記事。
今朝は、既に昨日より暑く、もうダメだ。
熊谷は39.4度、栃木県館林市は40.2度というけれど、
快適な環境に設置した装置で計測したものだ。
上の記事によると、
熊谷市八木橋百貨店前の寒暖計では43度だ。
ゲージが振り切れたそうだ。
アヘアヘ・ふ~。

それで、
今日は、これで、何もかも取りやめ。
死んでいよう。

夜、まだ生きていて、ニュースを聞く。
昨日より暑く、熊谷・越谷・館林は41度近かった。


敗戦記念日に考えた

2007-08-15 | 床屋放談

 

 世間では「終戦記念日」と言うが、首切りをリストラと言い換えることに通じる誤魔化しである。「敗戦」であり、「終戦」ではない。

 あの戦争は元々無理な戦争で、負けて当然だった。
アメリカに占領されて、問題はあったけれど、もしソ連だったら、今でも混乱は続いているであろう。

 アメリカが原爆を広島長崎に落とさなければ、軍人の狂信と面子により、あと数ヶ月は戦争は続き、沖縄戦のような状態が各地で起きたに違いない。
だからと言って、原爆やそれ以前の都市無差別空爆は許せない。南京虐殺や従軍慰安婦連行と同様に、「人道に対する罪」である。

 南京や、慰安婦に対する謝罪を国会で議決すると同時に、アメリカの原爆投下に対しては、謝罪要求決議をして貰いたい。
 そして、アメリカが政府として正式に謝罪したら、許してやろうではないか。

 森男の政治的な信条は、保守リベラルのつもり。そして時々極左または極右といういい加減なものである。
ただ、戦争は絶対反対。安倍コベ氏やオザワ氏には、場合によっては戦争もアリ、という傾向が見える。だから嫌いな人物である。

 マダム寿司大臣とモグラ事務次官が「自衛戦争」をおっ始めた。塩崎貧乏神が介入して、ややこしいことになっているらしい。
 安倍コベ氏が愚図愚図しているから、こういうイカレポンチが留任運動をするのである。
アメリカでちやほやされて、自衛隊を大安売りしてきたNDマダム寿司に自衛隊を預けるより、いっそのこと、自衛隊を国連に丸々寄付してしまったほうが安全安心だ。回転寿司は、干からびないように、厚化粧してなさい。

 安倍コベ氏は、森男の以前からの提案に従い、官邸から靖国を遥拝したらしい。それはそれで結構毛だらけだが、部下の大臣達が一人も行かないのは如何なものか?
ここは一つ、前任小泉氏に習い、国政の重要課題をはぐらかすためにも、靖国へ行き、大いにギョウザ・キムチを刺激すれば、上司への批判も薄れたかもしれないのに、腰抜け伴食大臣どもである。
 途中の「千鳥が淵戦没者墓苑」には何故行かないのか?

 敗戦記念日は、高校野球も海水浴も、会社も役所も、交通機関も銀行も、全部仕事を止めて追悼専門の日にしよう。

 夜の民放TVは、馬鹿馬鹿しいお騒がせ番組がずらり。
笑ってこらえて欽ちゃん参戦、干物女のキス、明石家さんちゃんねる、イケメンおバカトリオ、緊急開催夏の寿司ざんまい、懐かしい歌声ずらり..........。

 一日くらい何もかも止めて、「反省すべきは反省すれば」、消費電力も減り、このクソ暑さも鎮まるのかもしれない。

 @NDとは......

 最新ギャル用語。人間(Ningen)として、どうも(Dohmo).....、の意味。
 ついでに、KYとは、空気(Kuuki)が読めない(Yomenai)、の意味。


敗戦記念日の空

2007-08-15 | 遠い雲

 昼は、竈の中のような池袋で、社長さんのご馳走になった。
簿記学校の同窓生で、田舎に退却しちゃった森男とは異なり、まだバリバリである。
ありがと、また、ね。

  人影絶えた駅前円覚寺の森

 夕方、お盆の最中なので実家に行って、ここ1年で急に賑やかになった仏壇に合掌。

 北鎌倉も猛烈な暑さと、強い光である。
兄の家は冷房があるのに使わない。いくら木立に囲まれているといっても、この暑さでは身体に悪い。その証拠に寝ぼけたことを言っている。

 これからは、お寺にもきちんと寄付をするように。イザという時のために。

 春先死んだ叔母は、兄が叔母の貯金から、漱石の門の修理代の一部を寄付した、と報告したら、いたく喜んだ由。
 なに、あの締りやの叔母さんのことだから、甥の負担で、自分名義の寄付をしたと勘違いして喜んだのサ、と言ったらムッ。

 まだ、死なない門ね。

 でも、義姉には、誠心誠意真面目に、感謝している。
母の一周忌を前に、全てが終わり、寸志を無理やり受け取って頂いた。
亭主でなく、友人か姉妹と、贅沢な旅行を楽しんで下さいね、と言って。

 空は青黒く、木々の梢は際立ち、木陰は深い。

 62年前のあの日と同じ、濃い空の色。だが、こんなには暑くなかった。

 どういう訳か、玉音放送の記憶は全く無い。しかし、建長寺内の中学生達が、炎天下、道一杯になって、大船の勤労動員先の工場から、ぞろぞろと無言で帰って来た異様さを覚えている。

 爆撃を免れた鎌倉は、直接的な被害は無かったが、子供心にも馬鹿馬鹿しく理不尽な事どもを思い出す。

 ・小学校の校庭で薩摩芋や玉蜀黍を栽培したが、収穫物はどこへ行った?
 ・道の歩行は機銃掃射危険あり、と庭伝いの小学生も使わぬ小道を作らされた。
 ・兵隊の布団綿代わりのススキの穂を集めさせられた。
 ・爆風除けに、布団は押入れの前に積み上げ、警報があると押入れに避難した。

 暑い兄の家を早々に退散。義姉からはお土産をどっさり。感謝感謝。

 鎌倉山の叔母の個室には冷房が入っている、と聞いて、見舞うつもりで北鎌倉駅で殺人光線に炙られていたら、秋になったら行こう、と気が変わってしまった。

 大都会、池袋は夜になっても暑かった。
内陸、高麗の家も、物凄く、暑かった。

 今日、群馬県館林は40度を超え、埼玉県寄居は40度寸前。関東平野13箇所で、観測史上最高温度とか。

 やはり、お寺には寄付をしておいた方がいいようで......。


こどもの四季

2007-08-14 | 拍手

 

 時々画像に使わせてもらう切り絵は、滝平二郎の作品です。

 使っているのは「こどもの四季」という河出書房新社から出版された本の挿絵を使っている。他に「きりえの世界」(同社刊)も持っているが、箱入りの重い本なので複写し難く、まだ使ってはいない。

 滝平の切り絵は、68年に加太こうじの朝日新聞連載コラムの挿絵として評判になり、この本が生まれ、あちこちで作品展が開催された。

 森男が勤めていたところでも、作品展を開催したことがある。
そして、滝平先生が若い秘書の女の子を連れて、会場に来て下さった。優しそうな人だし、礼儀として、お茶にお誘いした。
先生はメニューを見て、しばらく考えてからカキ氷を注文した。

 先生は出てきたカキ氷を大急ぎで食べ始めたものだから、ジーンと頭に沁みて、両手で顔を覆ってしまった。
そして、痛みがおさまると、カキ氷の半分を、秘書のカキ氷の器に移して、これ、食べてね。

 先生の切り絵も好きだったが、全く飾らない、ゆったりとしたお人柄が、絵以上に好きになり、先生の本を続けて2冊も買い込んだわけである。

 (「きりえの世界」裏表紙から)

 「こどもの四季」の文を担当した加太こうじは、18年東京浅草生まれ。少年時代から紙芝居の作画に従事し、紙芝居衰退後、60年より文筆業。
 滝平二郎は21年に茨城県に生まれ、木版画から切り絵に転じた。

 あとがきによると、二人は年こそ近いものの、町育ちに対し田舎育ち、せっかちとのんびり、肉好きと野菜好き、と性格や好みは大分異なるものの、昭和の戦争の時代に青春期を過ごしたという共通点から、古くからの知己のように親密な仕事を続けた。

 この本の内容は、二人が過ごした古き良き日本を、子どもの遊びと生活を通して提示し、遠まわしに、公害列島化した日本を批判したものである。
 大きく春、夏、秋、冬と分け、夫々にノスタルジックな文と切り絵が付き、夫々の文末には事物起源を書き加えてあり、勉強になる。
例えば夏には以下の項目がある。

 ・菖蒲湯・かしわもち・水雷艦長・リボン・雨ふり・蛙・夏服・桑の実。ドジョウ・
 ・杉鉄砲・地蔵盆・夏休み・かいぼり・河童・草ずもう・せみとんぼ・かみなり・
 ・昼寝・蚊いぶし・夕涼み・花火・えんにち・ほうずき・灯籠流し・お化け・蛍・・

 森男は二人より二回り年下。中途半端な谷合いで育ち、少年時代は戦中戦後のため食うや食わずで、このように遊ぶことは少なかったし、多くの年中行事は中止されていた。
しかし、書いてある事や、挿絵に大いに懐かしく、また共感するのである。

 そして小声で言うと、「林住記」に使えるネタが多いのです。


つくつく法師

2007-08-13 | 林住期

 「昼寝」 切り絵 滝平二郎

 朝、つくつく法師の声を聞いた。
つくつく法師には、あまり良い思い出が無い。
 夏休みが終わる頃、一斉に鳴いて、宿題はまだ沢山残っている。また辛い新学期だ。
つくずく世の無常を嘆いたものである、な。

 夜、「林住記」に悪口や嫌味を書いていると元気になり、明日はあれをしよう、これを片付けようと、人生に前向きになる。

 が、朝飯を済ませ、とりあえず歯磨きをし、愚図愚図と新聞を眺めながら、出す物を出す頃には、熱気が纏わり付いてくる。そうして戦意を喪失する。

 猫額亭庭園の薬剤散布は止め、新設のショッピングセンター査察は止め、暑中見舞いの返事は止め、お墓参りは止め..........。
明日は少し涼しくなるだろう、そうしたらやろう、と。
 林住期は、つくずくだらけておる、な。

 全ては先送りである。
夏休みが終われば秋休み。別に始まるものは何も無く、やってもやらなくても、どってこと無いものばかりとなりにけり。

 で、ご臨終は今日も先送り。


焼き場に立つ少年

2007-08-12 | 床屋放談

 

 8月12日の朝日朝刊に、小さな死亡記事が載った。従軍写真家、ジョー・オダネル氏の訃報である。85歳、死因は脳卒中。
そして、記事の最後に小さな写真。

 写真の題名は「焼き場に立つ少年」。

 以前、原爆の日の、もっと大きな写真を新聞で見て、大切に保管したつもりが、見つからなくなってしまった写真である。
 森男はこの写真を見て、少年の家族とその後の少年の苦難を考えて、涙した。

 オダネル氏は米軍カメラマンとして、被爆直後の広島と長崎に入り、惨状を撮影した。
写真は、あまりの惨たらしさに、公表を差し支えていた。
氏はその後ホワイトハウス詰のカメラマンとして活躍したが、放射能による健康障害に悩まされていた由(同日NHKTV報道に拠る)。

 被爆直後の長崎では、死体処理が間に合わず、大穴を掘って荼毘に付していた。
そこに、この少年が現れた。背には死んだ弟。
歯を噛み締めて大穴に敬礼。やがて弟を穴に投げ込み、立ち去ったそうである。
オダネル氏は粛然として、声を掛けられなかった。

 ・・・・・・

 小池百合子防衛大臣が、内閣改造直前にアメリカへ出かけて、浮かれている。
 「マダム・寿司」と自称し、「なんとかシスターズ」をライス長官と組み、次回はゴルフを約束して上機嫌だ。

 アメリカから破格の大歓迎をされたそうだが、シッカリ値踏みされて、足下を見られて、それに気付かぬ鈍感な看板オバサン。この写真を大臣に見せても、な~んも感じないだろう。

 ▲画像は、写真名から辿り着いた「HP」のものを転写しました。
  「この頁を印刷してご友人などにご紹介下さい」とあります。一度、ご覧下さい。


北枕

2007-08-12 | 林住期

  「うたたね童子」藪内佐斗司(ブロンズ)

 昨夜は北枕にして寝た。
暑くて堪らず、遂に寝るのにも冷房が必要になった。
気が付いたら熱中症で死んでいるかもしれない暑さなのである。

 森男の生まれ育った相模湾岸地方では、北枕は死者の横たえ方として、忌み嫌われている。
南枕では、エアコンの吹き出し口が頭の上になり、急性心不全でお陀仏のおそれがある。止むを得ず北枕にしたのである。

 どっちにしても、お迎えは近く、いよいよ涅槃(▼)であるな。

 お陰で、昨夜は死んだように眠れた。
朝、目が覚めて、風景がいつもと違い旅の宿。新鮮!

  「こぼすなさま」藪内佐斗司(ブロンズ)

 窓を閉め切っているので、煩い蝉の合唱は遠い思い出。
みの・もんた氏は夏休み。「朝ズバッ」は静かでいい。どうか、このまま夏休みを。
根本クンは夏休み取っちゃダメ。
柴田キャスター。みの色、着ぐるみ、洗い落として下さいね。

     気象予報士・根本美緒クン

極楽、極楽。でも、また鼻水が...........。

▼涅槃・ねはん
 ・煩悩を絶って絶対的な静寂に達した状態。仏教における理想の境地。
 ・聖者または仏陀の死。

童子は大仏殿内で撮影しました。


渋滞学

2007-08-11 | 知ったかぶり

  流れる。

 数学、物理学を駆使して渋滞を分析し、原因を見つけ、渋滞を解消する学問が生まれたそうだ。曰く、「渋滞学」とか。

 高速道路で時速100k、車間距離40m、で団子走行中に、先頭車両が速度を落とすと、後ろの車が次々とブレーキを踏み、渋滞が発生する、とか。
従って、車間距離は40m(50mだったかな?)以上取れば、渋滞の発生が防げる、とか。

 また、3車線の高速道路の通行量は、右追い越し車線40、中走行車線35、左(何車線?)25%で、左車線を走る方が渋滞無しに走行できる、とか。

 要は、みんなで協力して走行することが大切、とか。

 とかとかとか、ととかを連発して記事渋滞無責任なのは、どこにも出かけないので、高速道路なんかは、もうどうでもいいから。
ご用とお急ぎの方は、新潮選書「渋滞学」西成活裕著1260円を。

    お願い、教えて▼
     よく、高速道路の渋滞予測として、
     「東北道の渋滞のピークは明後日の夜、加須インターを先頭に約50k」
     なぞと言うが、通行予約受付をしてないのに、何故そんな予測が出来るのか、不思議。

     車間距離40m以上を確保すれば、渋滞は解消する由。
     だが、今度は高速道路入口が大渋滞するのでは?
     


大男

2007-08-11 | 重箱の隅

 立ち往生。

 高砂親方、ミジメ。言語明瞭、意味不明。朝青龍の方がボキャ豊か。ハッキリ言って殆ど河馬。ほんとに大関だったの?

 朝青龍。弱虫ですねぇ。仮病ズル休み、隠す配慮をしないなんて......。
パパ。モンゴルではズル休み、OK牧場ですか?

 相撲協会のお偉方は言葉足りません。大体、謹慎というより監禁。人権屋は大丈夫? 嘘の診断書を書いたお医者さん、放っとくの? 
横綱は高砂親方にお任せ。どてらを着こんでの炬燵入り。
元寇は、もうこないですか? 神風親方頼みなのかい。

 大男、総身に知恵は回りかね。
この暑いのにデカイ身体でかくれんぼ。
部屋も協会も褌を締め直して、外部から経営者を迎えないと、うっちゃられますよ。

 ・・・・・・

 アツイ! 今朝の予報では、熊谷38度。埼玉県は発火寸前だ。
ご先祖の地、モンゴル平原に避難したいが......。

 褌ほどいて、水でも浴びベー。


アジーッ

2007-08-10 | 林住期

  8/9夕方の天気図と予報

 油蝉がアジーっと鳴いている。お前たちが鳴くからアジーので、「蝉時雨」なんて海坂藩だけの綺麗ごとだっ。
森男もこのところアジーッ、アジーッと泣いている。

 埼玉県では県北の熊谷市が一番暑い。数年前までは県東の越谷市だったが、イメージ悪いと気象庁に難癖を付けて、姑息にも寒暖計の設置位置を涼しい場所に移動した。それで、今は断然熊谷市だ。

 熊谷「あつべえ」売り出し中

 熊谷市民は開き直って目を回し、いっそ清々しい。
「あついぞ熊谷」まちづくり事業を熱く展開して、偉い偉い。
でもまあ連日35度を超えて、よくまあ生きていられるものだ。

 蝉のほか暑苦しいのは自々蝉民々蝉代議士だっ。
クールビズを提唱しながら、いまだに背広を脱がない。よほど冷房を効かしてるのだろう。ネクタイ無しの背広くらいだらしないものはない。
甚平にしろ、陣笠め。

 次ぎ、気象予報士さんよ。あんたがた冷房効かした局内で、暑い暑い、と嘘つくなよ。NHKの朝の予報士とアナ。寒い駄洒落の応酬は止せ、暑くなる。
太平洋高気圧が日本に張り出しているから暑い、なんてことは分かっておる。
何故、太平洋高気圧が張り出すのか、説明しろっ。

 日高市高麗郷のわが猫額亭は、高台。太陽に近い。従って平野の熊谷市より暑い。連日40度を超えているはず。太陽にもっと近い2階は、まさに焦熱地獄である。富士山頂はもっと高くて360度だ。

 似たような記事を投稿したような気がする。
今日は県内各地、体温超えの屋外作業危険日。脳味噌が醗酵して糸を引く。何が何だか分からない。
悪しからず、アジーッ。

●夏休みの新知識。お取り寄せ情報。
気象庁の温度計は、「百葉箱」という快適な環境に特設した、瀟洒な小屋に設置して、継続的に温度観測をしていた。
しかし、現在は「通風筒」という、手の込んだ器具の中で観測しているらしい。
どっちにしても、「快適な環境で」温度観測をしているので、庶民の体感温度は気象庁が発表する温度よい暑いのです。



あついぞ熊谷シャツ(記念品・入手方法はここポチ) 

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夏の大掃除

2007-08-10 | 高麗便り

 小さな親切 大きなお世話

 日高市役所の清掃課はご親切だ。担当課名を隠して、お謙虚でもある。
このクソ暑い盛りに、「夏の大掃除週間」と定めて下さった。おいおい。

ま、真夏の運動不足解消に、大掃除は効果的。でも、熱中症にならないでね。

ハエ・蚊等の害虫駆除? ハエは殆ど見たこと無いし、蚊はどうしたら駆除出来るのか。教えてガッテン。

回覧は今朝10日に廻って来た。1軒1日の回覧速度は昔から変わらない。
何日前に、回覧に出すのが良いか。そういえば、発行月日の記載は無いな。
いろいろ考えさせてくれて、ボケ防止。

健康守る3か条。
60年前の小学生の頃を、懐かしく思い出させて下さった。

「環境衛生推進協議会」にお仕事あげて、年に2回の大仕事。やる気を出させて下さった。補助金出して、何もすること無いご老人を救済して下さった。

この親切回覧に「ご協力」しているお宅があれば、尊敬します。

ところで今日はゴミ収集日。
収集車の去った後は、今日もまた、ゴミが散らばっている。
ゴミ出しの時に、ゴミ袋をシッカリ縛らない不心得者がいるのか、と収集車の作業を何日も観察していた。全部、シッカリ縛ってあった。
収集車に投げ込んで、押しつぶす際に袋が破れて、ゴミが収集車から跳び出すのだった。

清掃課職員諸氏。涼しくなったら、たまには収集車の作業を、点検してみては如何? 前例が無い?

なんたら協議会の諸先輩。毎回同じ回覧、少しは変えてみたら?


あの鐘を鳴らすのはあなた

2007-08-09 | 歌の翼に

  デーモン閣下、鐘10個。

 「あの鐘を鳴らすのはあなた」を反原爆歌にすれば、と前項で書いたが、実は神戸大震災の時には、復興の歌としてピッタリだ、と感じた。
地下足袋を履いて救援活動に邁進した杉良太郎先輩に続いて、アッコさんは瓦礫になった神戸の街頭に立って、この歌で罹災者を励まして欲しい、と思っていた。

 この歌に感動した、と書いているブログが多いけれど、一つ、愉快なブログがある。
作詞家の阿久悠先生の追悼番組があったことに触発されて、この歌の歌詞にケチを付けているのだ。「あなた」という語句の使い方を各種考察し、作詞家の欺瞞が見て取れる、余計なお節介だ、と。...........およよ。
その他色々細かく難癖を付けて、「熱き心に」は構えばかりがデカ過ぎて駄作、「北の宿」は不思議、と博引傍証、大真面目にこき下ろす感動ブログです。
なあるほど、そういう風にも解釈できるかぃ!、と感心して、笑いがこみ上げきた。それに、文章が上手く、気品がある。

 森男にはいささかショックだったが、それでもこの歌は感動的名歌、と信じている。歌には色々な解釈や意見があっていい、と團伊玖摩先生も書いている
だから、めげずに歌詞を下に書きます。なお、作曲は森田公一先生です。

 そして、「ウェブを向いて歩こう annex 」の「阿久悠神話解体」記事を読んでみて下さい。他の記事も上等、そして痛快、またはよく分からない。分からないのは井戸蛙の森男の所為。とにかく、お勧めです。

    「あの鐘を鳴らすのはあなた」

    あなたに逢えてよかった
    あなたには希望の匂いがする
    つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも
    さわやかな希望の匂いがする
    町はいま 眠りの中
    あの鐘を鳴らすのはあなた
    人はみな 悩みの中
    あの鐘を鳴らすのはあなた

    あなたに逢えてよかった
    愛し合う心が戻って来る
    やさしさや いたわりや ふれあう事を
    信じたい心が戻って来る
    町はいま 砂漠の中
    あの鐘を鳴らすのはあなた
    人はみな 孤独の中
    あの鐘を鳴らすのはあなた

    町は今 眠りの中
    あの鐘を鳴らすのはあなた

 話は変わりますが、大発見!。
この歌を聖飢魔Ⅱのデーモン・小暮閣下がギンギンギラギラに歌っている。
おっ!、やるじゃん、です。アッコさんといい勝負です。

 試聴してみてね。→「」10個!


原爆許すまじ

2007-08-08 | 歌の翼に

  ひまわり畑

 原爆反対運動は年中行事化してしまい、成果が上がるどころか核兵器は拡散している。
熱心に活動している方々も多いのだろうが、仲間内にだけにしか通用しない運動を続けているのだ、と偏見を持っている。

 近年「原爆許すまじ」を殆ど聞かなくなったような気がする。良いことだと思う。
あの歌の主旨には賛成だけれど、歌詞も曲も古臭く、陰陰滅滅。今時の若者なら、マジ?、とほざくだろう。
特別な思い入れのある人以外は、普段、歌いたくなる人はいまい。大方は歌にウンザリして、原爆反対運動そのものまでウンザリしてしまうのが、正直なところではないか。

 さとうきび畑、死んだ男の残したものは、風に吹かれて、イマジン........。
歌い継がれている反戦歌は多い。
今こそ、世界中に通用する、新しい原爆反対の歌が欲しい。

 例えば、「あの鐘を鳴らすのはあなた」。
少し歌詞を変えるだけで、いいと思う。先頃亡くなった阿久悠さんも、作曲の森田公一さんも、許してくれる、と思うよ。

 以下、肝心の「原爆許すまじ」。作詞浅田石二 作曲木下航二

ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼土に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの街に

ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの海に

ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの空に

はらからのたえまなき
労働にきずきあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
世界の上に


潮騒

2007-08-07 | 遠い雲

 「海女」森男

 三島由紀夫の「潮騒」には参ってしまい、挿絵を描きたくなったのだ。
おおらかな青春賛歌が誠に好もしく、何回も読み直した。今なら、アラ探しをするだろうが、当時は森男も純粋だったのだ。

 上は伊勢志摩の海女さん。中は若い漁師。下は笛を吹く少年。
どちらも、モデルは無く、ああでもない、こうでもない、と何度も書き直し、最後は版画にするつもりが、草臥れてしまい、切り絵風と版画風に纏めたものです。
 少し自慢すると、下を除き、当時の「サンデー毎日」に掲載されて、1枚1000円の謝礼金を頂き、有頂天になったものである。重ねて言うが、当時の森男は純粋だったのだ。

 実際に志摩に行ったのは53歳になってからだ。
鳥羽市浦村の白浜海岸に芸術村を造る、というバブルな事業に係ったのである。
嬉しかったねぇ。美しい海女に逢える、素朴な漁師に知り合いが出来る、ハイブロウなゲージツカに近づける、と。

 白浜海岸は入江の小さな海岸。浦村に属しているが、漁業権は隣の石鏡(いじか)が持っていた。
        石鏡は歌謡曲界の鳥羽一郎山川豊兄弟の出身地。
        農漁兼業で豊かな浦村に較べると、気の荒い狭い漁村です。
        違っていたらごめんなさい。

パールロードから海岸に下りる道が無いので、観光客には殆ど知られておらず、石鏡の旅館のお客が、教えられて来る程度だった。
旅館組合の昼間労務対策として、海の家を開業するように迫られて、会社は儲かりもしないのに、10年前からこの海岸で食堂付き本格的な海の家を営業していた。

 石鏡の海女さんたちが天草を採りに来る、と聞いて待ち構えていたら、御木本の白装束美形集団ではなく、やって来たのはオバサン海女軍団。尼寺へ行きゃれ、だった。
丸太のようなお身体を黒いゴム製のウエットスーツに捻り込んで、まるでオットセイが立ち上がったよう。

 「漁師」森男

 現実は惨憺たるものでしたよ。でも、今になってみると、面白かった。
本社の連中は、地元の人たちを我利我利亡者と看做して、嫌い、軽蔑していたけれど、わが社は迷走に次ぐ迷走で、嘘ばかりついて13年。信頼されていなかったのだから、勝手なことを言われるのは当然。

でもね......。

 浦村漁協へ文具を買いに行くと、西瓜をご馳走してくれた上に、代金は受け取らなかった組合長さん。お祭りも楽しかった。

 天然モノのハマチの刺身を鱈腹ご馳走してくれて、奥方特製の匂わない美味しい毒だみ茶を飲ませてくれた定宿のご主人。牡蠣の佃煮はいまいち。

 森男の会社の経費で、沢山の有名レストランを案内してくれた浜島町の元勅任官閣下。どうせなら、もっと。

 県庁奥の院まで案内して、秘密とお歴々を紹介してくれた県のお偉いさん。厳しいことを言われ続けたが、森男引き回しを自慢していた風。

 ビジネス料金で、ロイヤルスウィートルームに泊めてくれた有名ホテルの総支配人。生涯最多忙、最贅沢だった。

 献身的に地元を案内してくれた下請け土建会社好人物アル中課長。肝不全で亡くなってしまった。黙祷。......奥さん元気になったろう。

 散々悩ませてくれた海の家のアンチャンたち。勢揃いして、磯部の料亭の鰻尽くし、経費の出所実は知ってたぜ。

 それに、ヤクザの怖いお方々。

 森男の八つ当たりを受け止めてくれた坂手島の綾ちゃんの若いパパも。

みんなみんなみんな、本当に有り難う。

 終わって見れば、酒と薔薇の日々だった。芸術村は実現出来なくて命拾い。
代わりに出来た超豪華ホテルは、人手に渡り、誰も、知らない人ばかり。

「磯笛」森男

 

 簡単に行けるけれど、ほろ苦さが甘くなるまで、あと10年は行かない方がいい。
だから、HPでこっそり楽しんでいる。

「磯笛」 海女が水中作業を終えて、水面に浮上したときにつく息。口笛のように聞こえる。
笛など道具は使いません。


原爆の日

2007-08-06 | 床屋放談

 原爆の日の一連の行事は、毎年同じように見える。お盆や正月の行事のように、年中行事化してしまった。
マスコミの報道姿勢がマンネリ化しているのかも知れないが、またか、と思う。

 平和を祈っているだけでは、国内で語り伝えるだけでは、めそめそしているだけでは、非核三原則の考えは国内でも、広がらないのではないか。
久間もどきは、むしろ増えるだろう。

 毎度お馴染み右顧左眄。ま~るく、穏便に「訴える」だけでは事態は一向変化しないだろう。それどころか、核は拡散している。自治体レベルでは新しい動きがあるが、中央はまるでダメ。
この辺で、戦略戦術を転換しないと、もっと拙いことになる。
 無差別殺戮である原爆投下は従軍慰安婦同様、いやそれ以上の悪業。
国会で、原爆投下謝罪要求決議を成立させるくらいのことは、やって欲しいものである。
政府は国外での反核運動活性化のために、もっと知恵を絞り、税金を投入すべきである。

 あべこべ発言の多い安倍首相が広島の被爆者達の前で、「原爆症認定基準を見直す」、と発言。厚労省幹部は、「寝耳に水、これから検討します、役人ですから」、と。
また始まりましたね。大丈夫かぃ。

 それにしても、被爆者健康手帳所持者25万1834人中、原爆症に認定されている人は僅かに2242人。1%以下!
厚労省の罪は重い。