もっと若い頃、山道で知らない人から声を掛けられたり、挨拶されるのが煩わしかった。
少し年を重ねた今では迷惑どころか、かえって嬉しくなってきた。
カネも無く、ブランドも無く、もう要らない手袋なんか、だ~れも相手にしてくれないもんね。
だから今では自分から声を掛けることにしている。
珍しい服装の人、一心に作業をしている人、ユカイそうな人、不思議な人たちにだ。
メイワクかも知れないけれど、黙ってたらだ~れも相手にしてくれないからね。
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道端の酷い荒地を耕してる先輩がいた。道を尋ねるフリをして、声を掛けた。
左手の開発残土山脈の裾を歩くと県道の三叉路に出て、すぐそばにこの先輩の家があり、高麗神社に近い、と教えてくれた。
え!? 三叉路そばのあの広い屋敷なら友だちの草毟り名人おばの家だ。
そうすると、この荒地の先輩は名人おばの旦那さん?
そのとおりだった。先輩は地域同人誌に度々投稿している文化人である。
妃殿下や山上の仙人や琉金博士の同級生で、自分と同い年だった。
先輩は大豆の種を蒔く準備をしていた。
大豆は肥沃な土地では葉っぱばかりが茂り、肝心の大豆が多くは採れない、とか。
ふ~む、一つ利口になった。
逢う前は気難しいお方と思っていたが、遊びにおいでよ、とさえ言ってくれた。
椿の枝先をまた貰いに行く時は、裏の木戸からではなく、表門から入れることになった。
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このお婆さまは、かれこれ鸚鵡ちゃんと20年になるそうだ。
鸚鵡は番犬代わりになり、声を掛けてくれて、犬より慰められる、とか。
もう一つ利口になった。
自分から声を掛けてみるものだ。
水島上等兵を彷彿させます。
お付き合いが20年とは・・・・
お婆さんの勝ち。
その他 餌代が犬より少なく 予防注射も要らず
毎日散歩の必要も無く 鸚鵡の勝ちだそうです