林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

秩父の子 金子兜太

2011-07-29 | 知ったかぶり

俳人の金子兜太(かねことうた)は秩父の人である。そして現代俳壇の重鎮でもあるらしい。
俳句は風雅、軽妙、飄逸であらまほしい。
しかし現代俳句の字余りは響きが悪い。また、難しい漢字やカタカナが多く、クソマジメで堅苦しく、苦手である。
だから金子兜太は名前しか知らず、まるで興味が無かった。

 金子兜太、現代俳句協会名誉会長、朝日俳壇選者、「海程」主宰。

「林住記」のために秩父の記事を書いている時、朝日新聞26日夕刊「時の回廊」に金子兜太が出ていた。
むむふむ、と読んでみた。面白い。
その記事の中には6句載っていて、そのうちの3句がいい。

太平洋戦争末期、トラック島で激戦、飢餓に耐え、捕虜を体験。最後の帰国船で島を去る時の句。

          ・・ 水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る ・・

帰国後日本銀行に復職し組合活動に邁進。地方を転々。出世か句作かで鬱屈した挙句、創作の道を選んだ時。

          ・・ 朝はじまる海へ突っ込む鴎の死 ・・

兜太先生は「この句を境に生まれ変わった」と話している。戦友の死とそれまでの自分の死を重ねてもいる由。
この句も字余りで「朝あける」としたほうがいい、とオノレの分際も弁えず添削したが、先生のも悪くはないね。



「俳句にも社会性が必要」と考え、森生が苦手な前衛的かつ反戦反核句を数多く発表したらしい(違うかな?)。
だが森生は世間から「分からない」と批判された未知の句より、若い頃、何気に生まれたと言う次の句がいいなぁ。

          ・・ 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 ・・

今度の秩父行きで、出逢った子どもは内田家住宅で見た写真の僅か3人だけ。秩父は大丈夫か。
腹出し子どもがぞろぞろいる秩父を歩きたかった。どの子も街の子と同じだった。これ、上から目線だろうか。



なお、秩父34番札所水潜寺に、句碑があるそうです

金子兜太はおん歳91歳。熱烈な支持者に囲まれ、断固として揺るがない、とか。
生まれ育った秩父が誇り、と言う(他のネット調べ)のも好ましい。(ウィキ説では生まれは山の向こうの小川町)

種田山頭火も若い頃はヘンな俳句と思っていたが、今は好きである。
金子兜太はこれからなのかもしれない。
食わず嫌いはいけないな。 反省。

 

「炎天の墓碑を」も「炎天の墓」でいいんじゃないか、と思いますが。
重ね重ねの失礼じゃないかって?
はい、失礼です。猛省。

金子兜太先生の写真は朝日新聞から転写しました。

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