奥村土牛「水蓮」
中央大学名誉教授で哲学者の木田元先生が亡くなった。
哲学などいうものには全く縁がないので、初めて聞くエライ学者だそうですが、天声人語が紹介する話が面白かった(8月19日)。
木田先生談。
哲学なんて半分詐欺のようなことをやっていて.....
物事を疑い相対化して見る。そんな思索の積み重ねが大きな業績に結実した。
なるほどな、哲学とはそういうものなのか(と少し分かったつもり)。
戦後、テキ屋の手伝いやコメの闇屋をしたりして東北大に入学するまでは、綱渡り渡世だった。
しかしそれが人間的にも学問的にも幅の広さをもたらした。
そして未来を見通す目を持っていた。
技術を制御できると考えるのは人間の「倨傲」でしかない。
技術は人間の思惑を超えて自己運動してゆく。
畏敬しながら警戒せよ。
著書「技術の正体」の再刊版では、福島原発事故を嘆き、
人間が技術の部品と化し、技術に酷使されている。
と告発している。
へー、苦労したんですな。
随分低レベルな事だけれど、告発とかはわが家のクーラーの事故でも森生が実感したことであり、あの記事はこのように書けばよかった。
ただ「林住記」では、こういう難しく凝った表現ができなかっただけである。
再び木田先生談。
若い頃は喧嘩のプロだった。
晩年はだんだん仙人に近付いている。
むむふむ、波乱万丈の青春の彷徨を経て、偉大な先生になったんですね。
不肖・森生も物事を疑い、相対化して見ている(つもり)。だが記事の更新に追われて、思索の積み重ねが全然足りないの。
こういう老後の過ごし方は考えなおさねば.....。
木田先生は、ハイデガー研究の日本における第一人者だった、そうだ。
ここで森生は「おいおい、またかよ」と思索した。
日本の学者は、須く欧米のエライ学者の学説を研究する。なに故に、欧米の学者から研究の対象にされる学者にならなかったのだろうか、と。
倨傲(きょごう)=おごりたかぶっていること。 彷徨(ほうこう)=さまようこと。うろつくこと。 須く(すべからく)=当然(かな?)。
ハイデッカー=客室の床が通常より高い位置にあるバスや車両。例えば上のハトバスは「スーパー・ハイデッガー・バス」だそうです。
マルチン・ハイデッガー(Martin Heidegger)=ドイツの哲学者。手に負えないのでウィキペディアを直接読んで下さいね。
140826
それは買被りです
哲学なんか全く無縁ですし 理系の知識はゼロ
苦し紛れに 見たものは 何にでも食いついているだけです
じじばばの一極集中は困ったものです
彼岸花の前に そそと咲く キツネノカミソリを お勧めします
レンゲショウマですが、御嶽駅からバス・・ケーブルカー・・リフトでお花が咲いてるところまで行けるので、歩くところは少し、カメラ爺・婆がたくさん行ってますよ。
9月には巾着田がにぎわいますね。