南瓜がカラダにいいことは知っている。
南瓜の姿には愛嬌があるが、どうも好きになれない。
それは子どもの頃、南瓜が主食だったからだ。一生分食ってしまったからだ。
多分カラダは殆ど南瓜から出来上がっている。
食料難の頃、庭を壊して南瓜は母が作っていた。
肥料は下肥しか使わないのに、どういうワケかいくつも収穫できた。
畑が殆ど無い山あいの古い町にも、横浜辺りから食料品を買出しに来る人がいた。
隣の農村には阿漕な農家が多く、今考えると、いわば穴場狙いの人たちだった。
母は余った南瓜を家の前の県道に並べて売った。
家にお金が無いことは知っていたが、酷く恥ずかしかった。
南瓜には随分世話になった。
南瓜の思い出はひもじく、恥ずかしく、申し訳なく、悲しい。
だから南瓜を好きにはなれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます