毎日読んでいるブログ「あれれこれれ」に、台風24号が円覚寺の舎利殿を壊した、との記事がある。
鎌倉は海沿いの街なので、暴風の被害が相当あっただろうとは思っていた。
しかし円覚寺は山あいの北鎌倉(山ノ内)。それも谷戸の奥に鎮まる舎利殿の、暴風被害には驚いた。
そして遥か昔の舎利殿の様子を思い出した。
いま、国宝・舎利殿に立ち入ることはできない。
しかし森生が小学生の頃は、子どもたちが勝手に内部に入っても、雲水に咎められることはなかった。
薄暗い内部の黒い石張りの床が、冷たく気持がよかったことを覚えている。
巨樹に囲まれた舎利殿左側の急斜面をよじ登ると、そこには畑が広がり、まるで別天地だった。
畑を横切り、更に急坂を上れば六国見山の頂上である。
西は大船の町並。その背後の山並みの先には、丹沢・箱根の山塊と、富士山が見えた。
南側は輝く相模湾と伊豆半島。江の島は丘陵に遮られていたが、広い風景に見とれたものである。
ノブちゃんが持って来た白い食パンは、凄く美味かった。
近所のノブちゃんは総菜店を継ぎ、まだやっているはずだ。
森生は実家も両親の墓参りにも行かないので、10年以上も会ったことがない。
シンちゃんはほかの町へ引っ越してしまい、アグちゃんと隣のショウちゃんは、随分前に亡くなった。
鬱蒼とした杉森に包まれていた円覚寺は広く、子どもたちの遊び場だった。
公園のように明るくなってしまったいま。観光客が溢れ騒々しい。
おじぃさんのふるさとは、心の中にある。
写真は笠智衆写真集「おじいさん」朝日新聞社刊から。
181005
富士見町 懐かしいなぁ
70年振りの小学校の学年合同同窓会が 富士見町で開催されました
早目に会場入りするつもりで モノレールを降りてから すっかり様変わりした街並みに迷い 到着はスレスレ
同級生は殆ど忘れていた人たちだった
北鎌倉への裏道は 北大路魯山人邸裏の切通しですね
母の里である寺分村へ行く道でした
同窓会の過去記事が4本あります
検索窓に イタちゃん と書き このブログ内で を押すと出てきます
よろしかったら ご覧ください
おちいさい時のことがあんなに生き生きと甦るのに驚き!
こころの中のふるさとは色鮮やかですね。
ついでに、ハゲアタマの感触まで想像してしまった。ウワワ。
円覚寺舎利殿は、20歳のBBのデートの場でありました。
(学校が雪の下にありましたが在学中に焼失)
東京オリンピックの東洋の魔女の活躍を、小町通りの蕎麦屋のテレビで見ました。(外から覗き見)
森生さんチ(ブログ)に伺うと、こうやって時々、昔話をしたくなります。
同郷だったんですね!
雪ノ下には叔母さんちがあり 巨福呂坂を越えて行きました
変わり過ぎた鎌倉には 行かない方がいいですよ
検索窓に あぐり と入れ このブログ内 をポチット押して下さい
亡くなったアグちゃんのことが書いてあります
ショウちゃんのことは まだ書けません