林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

円覚寺舎利殿

2018-10-05 | 遠い雲

毎日読んでいるブログ「あれれこれれ」に、台風24号が円覚寺の舎利殿を壊した、との記事がある。

鎌倉は海沿いの街なので、暴風の被害が相当あっただろうとは思っていた。
しかし円覚寺は山あいの北鎌倉(山ノ内)。それも谷戸の奥に鎮まる舎利殿の、暴風被害には驚いた。
そして遥か昔の舎利殿の様子を思い出した。

いま、国宝・舎利殿に立ち入ることはできない。
しかし森生が小学生の頃は、子どもたちが勝手に内部に入っても、雲水に咎められることはなかった。
薄暗い内部の黒い石張りの床が、冷たく気持がよかったことを覚えている。

巨樹に囲まれた舎利殿左側の急斜面をよじ登ると、そこには畑が広がり、まるで別天地だった。

畑を横切り、更に急坂を上れば六国見山の頂上である。
西は大船の町並。その背後の山並みの先には、丹沢・箱根の山塊と、富士山が見えた。
南側は輝く相模湾と伊豆半島。江の島は丘陵に遮られていたが、広い風景に見とれたものである。

ノブちゃんが持って来た白い食パンは、凄く美味かった。

近所のノブちゃんは総菜店を継ぎ、まだやっているはずだ。
森生は実家も両親の墓参りにも行かないので、10年以上も会ったことがない。
シンちゃんはほかの町へ引っ越してしまい、アグちゃんと隣のショウちゃんは、随分前に亡くなった。

鬱蒼とした杉森に包まれていた円覚寺は広く、子どもたちの遊び場だった。
公園のように明るくなってしまったいま。
観光客が溢れ騒々しい。

おじぃさんのふるさとは、心の中にある。

  

  写真は笠智衆写真集「おじいさん」朝日新聞社刊から。

  181005



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4 コメント

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大船~台~北鎌倉 (カナブン)
2018-10-05 18:06:45
懐かしさ半分痛ましさ半分で拝読致しました。5年前、駅で言えばモノレール富士見町の台という町に住まっておりました。観音のカノンちゃん(カノンちゃんグッズが売ってます)が窓から見えて…北鎌倉へは裏道経由で散歩がてら鳩サブレを買いに行ったり。あのお寺さんが台風被害にあったのですね。佳きものが壊れてしまう、心が茫然と立ち尽くす、そんな感じです。 うちのベランダはいまだ行き来自由です。2号室のベランダの巨大アロエの鉢が転がらないかが心配です。
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富士見町 (森生)
2018-10-06 09:27:51
カナブンさま
富士見町 懐かしいなぁ
70年振りの小学校の学年合同同窓会が 富士見町で開催されました
早目に会場入りするつもりで モノレールを降りてから すっかり様変わりした街並みに迷い 到着はスレスレ
同級生は殆ど忘れていた人たちだった

北鎌倉への裏道は 北大路魯山人邸裏の切通しですね
母の里である寺分村へ行く道でした

同窓会の過去記事が4本あります
検索窓に イタちゃん と書き このブログ内で を押すと出てきます
よろしかったら ご覧ください
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懐かしの舎利殿 (BB)
2018-10-06 10:17:45
イタちゃんを検索して拝読しましたよ。
おちいさい時のことがあんなに生き生きと甦るのに驚き!
こころの中のふるさとは色鮮やかですね。
ついでに、ハゲアタマの感触まで想像してしまった。ウワワ。

円覚寺舎利殿は、20歳のBBのデートの場でありました。
(学校が雪の下にありましたが在学中に焼失)
東京オリンピックの東洋の魔女の活躍を、小町通りの蕎麦屋のテレビで見ました。(外から覗き見)
森生さんチ(ブログ)に伺うと、こうやって時々、昔話をしたくなります。
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あぐちゃんのこと (森生)
2018-10-06 11:28:33
BBさま
同郷だったんですね!
雪ノ下には叔母さんちがあり 巨福呂坂を越えて行きました
変わり過ぎた鎌倉には 行かない方がいいですよ

検索窓に あぐり と入れ このブログ内 をポチット押して下さい
亡くなったアグちゃんのことが書いてあります
ショウちゃんのことは まだ書けません
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