林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

生まれ変わったら

2018-04-10 | 風に吹かれて

六本木一丁目、泉屋博古館の周囲には、超高層ビルが林立している。
ビルとビルとの間隔は広く、長らくご無沙汰してたじじぃには、信じられないほど新緑が綺麗だった。
そこで、木島櫻谷展を観たあと、辺りを偵察した。

街はタモリ好みの坂が多く、大使館や豪華な建物がが目立つ。
中でも、蔦が這う高い石塀に閉ざされたスペイン大使館が素晴らしい。
スウェーデン大使館はごてごてと悪趣味。

うろうろ歩いていたら、思いがけなく、ホテルオークラの別館前に出た。
そして斜向かいに、日本風の白壁の高く長い塀が延々と。そこは巨大な建物がそそり立つ、某国大使館の裏門だった。
あまりにも強引な景色なので、カメラを向けたら、即、警察官に制止された。

  だってここは公道でしょ? 無断で敷地に入って撮影してるわけじゃあるまいし。

  テロ攻撃の恐れがあるから写真は止めろって、大使館から言われてるんです。

  きみねぇ、ここはニッポンの首都のど真ん中ですよ。それに、このあたしがテロリストに見えますか?
  ......そんならいいよ、道路の向こう側から、あんたに気付かれないように写真を撮ってやるから。
  いいよね?

  いや、それも止めて下さいってば。困ったなぁ.......。

じじぃは純朴な顏をした、孫のような警察官が可哀想になった。
何しろ親分が気まぐれ大統領のポチなんだから、尻尾が某国大使館を忖度するのは自然の成り行きですな。
警察官たちがこっちを見てる、長いものには巻かれるしかないな、と写真は諦めた。

ピカピカの超高層ビルは、地下街や歩道橋やエスカレーターで結ばれている。
どのビルも足元に、洒落たレストランや気取った店舗が並んでいるが、蕎麦屋なんかありゃしない。
池袋駅で、ミニサラダ付きスパゲティナポリタン、税込み860円也の昼飯を済ませてきたのは、正解だった。

生まれ変わったら、東大法学部を卒業し、丸ノ内に本社がある大会社に就職しよう。
本気で上役を忖度し、どどーんと出世してやろう。
そして、六本木に住みたい、と思った。

コルク栓なら只、っていう意味かな?▲

念のため、某国大使館の画像検索をした。
あるある、いろいろ画像が載ってるじゃないか。警視庁の諸君、これでいいのかぇ?
その画像はこちらをご覧くださいね。

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山家蕎麦

2018-04-05 | 風に吹かれて

  

  越生町(おごせまち)は花の里である。

蕎麦屋「麦わらぼうし」は桜・桃・連翹・雪柳・菜の花畑をかき分けて行く、麦原集落にある。
数年前、紫陽花が全滅した「あじさい山公園」が斜向かいにあり、残った山桜の競演が、夢のように美しい。

店は急坂の上の改装した古民家である。車で上れるが危ないので徒歩がお勧め。
店長は匠さんが修行時代にお世話になった人で、本職は大工の棟梁にして木工芸品作家でもある。
蕎麦打ちが趣味で、日・月曜日だけ店を開け、自ら厨房に立ち、手打ち蕎麦・天麩羅・小料理などを提供する。

店内や屋外の食卓や椅子など、棟梁手作りの什器備品はごっつく、凝っていて一見の価値がある。
孟宗竹を加工した湯桶は、なぁるほどの傑作。厠も必ず使用し備品を拝見すること。

3爺は二色蕎麦定食(だったかな?)に野菜天麩羅を注文した。

白黒2色の手打ち蕎麦は腰が頗る強く、つゆは藪風で、鰹出汁が際立ち、ピリッと塩辛い。
二色蕎麦定食には小料理が色々加わり、野菜天麩羅は要らなかった。
蕎麦屋で満腹したのは、この店が始めて。

越生にある蕎麦の有名店は「梅乃里」だが、環境で勝るこちらの、山家風素朴蕎麦も悪くないね。
近いうちにまた、近所の友だちと一緒に来ようと思う。

当日夜、越生の原住民で悠々自適中の元建具部長に、電話でいろいろ教えてもらった。
例えば、わが日高市高麗川地区にある天守閣風住宅が、この棟梁の仕事の由▼

蕎麦の写真はイメージで、実際はこれより盛り沢山。こちらからお借りしました。
店内外の様子や「湯桶」も見られますので、どうぞ。

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おひまつぶし処

2018-04-04 | 風に吹かれて

桃源郷のご夫妻にお茶を呼ばれたので、3爺はお叱呼に行きたい。
今度は、自然が3爺を呼んでいる、のである。


誰もいない山道で、里に向かって連れしょんするのは爽快だ。
だけど紳士としての教養が邪魔をする。

我慢しながら下界に降りてきたら、全洞院という無住寺に「おひまつぶし処」があった。
男女別、定員3人の清潔なおひまつぶし処は「年中無休」の由。

  ふぅー、......ほっ。

近くで鶯が美声を自慢していた。

  ほ~、ほけきょ、けきょけきょ、ほ~。

花の里・生越町の黒山は、公衆音入れさえも愉しめる。

   この後、あじさい公園そばの蕎麦屋「麦わらぼうし」に向かいました。

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桃源郷

2018-04-03 | 風に吹かれて

うさじぃたちに誘われ、越生町(おごせまち)黒山にある三つ葉躑躅園を観に行った。
運転手はいつもの匠さんである。

黒山熊野神社下にある町営駐車場(無料!)から見上げる三つ葉躑躅園は、まぁこんなものか程度。
清流越辺川(おっぺがわ)を渡り、民家の庭先を失礼し、山道にさしかかる。
その坂道の傾斜のキツイこと、まさに胸突き八丁だ。

だが急坂を上り切ってぱっと開けた眺望は、180度三つ葉躑躅の花・花・花!!!
桃源郷が現実に、眼前にあるのだ!

山道を一旦下り、また急坂を青息吐息で上る。
上り切れば、やややや! 山上の緩い傾斜の開けた土地に、また三つ葉躑躅の花・花・花!!!!
周囲は圧倒的な薄紫色である。周囲の黒い森を背景に、写真で撮れない感動的な風景だ。

しかも、手入れは完璧。伸びたままの雑草や、冬の名残りの枯れすすきなどは全くない。
転げ落ちそうな急な斜面も、きれいに除草してある。

山上の平地で一休みし、匠夫人手作りのお菓子を美味しく頂いた。
少し戻って見晴台から生越の山並を眺めていたら、真下の一軒家の庭先で叫ぶ女人の声が上がって来た。

  帰りに寄って下さ~い。お茶を用意してま~す。

見晴台から見下ろしたお宅は、失礼ながらリッパとは言えなかった。
しかし仄暗い屋内にはいると、内部は旧家然とした構え。立派な木組みのお屋敷である。

昔の土間がそのまま応接間になっており、品のいいご夫妻に茶菓で接待され、お話を伺った。

この広大な桃源郷は、林業不振のため先祖伝来の杉檜林を伐採し、ご主人自ら苗を植え、草苅をしているそうだ。
特に急峻な場所は、命綱で身体を預けての危険な作業になる由。
山仕事にいささか経験がある3爺だが、ここの作業は辞退ですな。

こんなに見事な桃源郷を、無報酬で造り上げ、無料で公開するなんて偉い人だ。
ご主人を支えてきた夫人は、笑顔が優しいおばぁさまだった。

例年より早く、花は突然満開になったためか、園内に訪問客は2組4人しかいなかった。
桃源郷は坂道がきつく、じじばばや幼児には無理かもしれない。

沢に架けた木橋の袂に募金箱がある。万札1枚くらいを入れてもいい、とさえ思った。
ここだけの話し、3爺は合計300円だったけどね。

  

   写真は4月1日に撮りました。四月馬鹿ではありません。

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谷根千で一箱古本市

2018-03-08 | 風に吹かれて

団地の公民館で講演した人は南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)氏。講演の内容は「一箱古本市」。
講師の名前はもちろん、風采も少し怪しげだったのに、講演内容は真面目過ぎた。

あまりにも平べったい講演で、申し訳ないけど何度も睡魔に襲われ、どんな内容だったか覚えていない。
だが、会の締めくくり、10分間の質疑応答は面白かった。

利益より、本が好きな売り手買い手の交流を楽しむのが一箱古本市の目的の由。
自宅の本を減らすのが目的だったのに、帰る時は本が増えている出店者もいるとか。
古本屋さんごっこに纏わるドタバタを中心に、講演してくれれば良かったのに残念だった。

講演会に出席した住民は10人あまりだったが、一箱古本市に熱い関心を示した参加者が何人かいた。
わがまちでも、もしかしたら一箱古本市が開催されるかもしれない。じじぃも一箱脱ごうかな、と思ったりした。

実は読んだ本、まだ読まない本が猫額亭内に積んであり、どうしようかと最近悩んでいます。
こちらなら、同じ二束三文でも、BookOffよりずっと楽しそうだ。

  この4月29日に、東京上野の谷根千で「一箱古本市」が開催される由。
  根津神社のつつじと重なる。谷根千の散歩がてら、先ずは見物に行くつもり。
  あ、本はゼッタイ買わないからね。ゼッタイ。

   

  南陀楼綾繁氏についてはこちら、「一箱古本市」についてはこちら、出店するにはこちらをご覧くださいね。
   記事の先頭の、
35店の写真は借り物です。 谷根千についてはこちらをどうぞ。

  
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東京喫茶店事情

2018-02-16 | 風に吹かれて

乃木坂・六本木・銀座・有楽町など、都心には「喫茶店」がありませんね。
気取って「カフェ」などとと自称する喫茶店はあるけれど、値段が高いので敬遠している。
スタバやドトールなど、早口のスタッフがいるセルフ式喫茶店は、落ち着けない。
少し高くてもいいから、薄暗く、古風な「喫茶店」があらまほしい。

絵画鑑賞に草臥れた3爺は都心を彷徨ったが、僅かにあるカフェはどこも満席。
地下鉄では席を譲ってくれたが、カフェではみんな知らん顔。礼儀知らずなヤツラだ。

昼間っから、ぐーたらしている会社員が多過ぎる。

だが、考えてみた。
希望する400円程度の珈琲で、2時間も場所を占領されては、借家料や人件費が払えない。

結局、有楽町では喫茶店が見つからなかった。
歩数計は既に1万歩を超え、足は棒になっている。水分を控えてたので喉はカラカラ。
なにしろ2爺ときたら、そこに階段があるのに、100mも歩きエレベーターを探すんだからね。

で、有楽町は諦めて東池袋へ地下鉄で移動。
しかし、タダで建設した豊島区役所周辺でも見つからない。
区役所見物は諦め、古巣のサンシャインビルを目指した。

20年前はまだ戦後の面影が残っていた東池袋は激変していた。

高層ビルの谷間になった小公園の脇にセルフ式カフェがあった。
名前は「ベローチェ」とかいうご大層なものであるが、
贅沢は言っていられない。
3爺はカップを手に、やっと空いてる席にへたり込んだ。

  

  喫茶店は東京都心では絶滅危惧種になったようだ。
  所沢や川越など、埼玉県にはまだ健在である。

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下り坂

2017-12-15 | 風に吹かれて

寒かったので、買い出しは徒歩で、山の向こうのスーパーに出かけた。

買物難民が住む団地内は上り坂が続き、山道は下り坂である。

西武鉄道が周囲の山を削り車両基地を造成した。その残土で谷を埋め、狭い山道を明るく広い道にしてくれた。

しばらくぶりに歩いてみると、木立は勢いをぶり増し辺りを暗くしていた。

猪が道を荒し、雨水が道を穿ち、石ころがごろごろしていて歩きにくい。

地面は乾かず滑りやすい。下り坂の方が危なっかしく、のんきに歩けない。

買い出しを済ませ、落葉を踏みしめ坂の上の団地に帰る買物難民に遇った。

山道は国道299号線に合流する。そこにはスーパーもドラッグストアも、猪が突っ込んだ百均もあるのだ。

暗く寒い山道を下りきると、西武の車両基地を跨ぐ陸橋があり、視野が広くなる。

日没が近い。帰り道はもと来た道でなく、物凄く遠回りになるけれど安全な道を飯能駅に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯能駅からは、バスで帰ってきました。大旅行でした。

写真は12月3に撮りました。

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神楽坂食べ歩き

2017-11-29 | 風に吹かれて

何年ぶりだろうか。偏屈3爺の蕎麦食べ歩きが突然復活し、近頃評判の神楽坂へ行った。

本当の行き先は、ミシュランで星一つの「蕎楽亭」だったが、「今日から夜のみの営業にします」とのつれない貼り紙。
仕方なく、その先の「東白庵 かりべ」にした。

この店、外観はいささかガサツだが、蕎麦・つゆ・薬味・器・内装・什器・接客・客層とも素晴らしい店だった。
藪系の蕎麦つゆは塩辛く、苦手。でも、かりべの塩辛さには丸みがあり、口当たりがいい。
蒸篭そば、税込み1000円は安い▲

  食後は「毘沙門天」の奥にある浄土宗寺院を訪れ、花も線香も用意せず、今回が2回目になる先輩の墓参り。
  突然にも関わらず、故人の甥にあたる新住職が案内してくれ、先輩の生い立ちや、先輩夫人の最晩年を聞かせてくれた。
  そして異国での寂しい境遇に胸を衝かれた。南無阿弥陀仏。
  

  宮城道雄記念館は、生憎ここも休館日。坂ばかりの迷路のような「袋町」を彷徨った。
  いわゆる花街とは反対側の街区だが、住んでみたい変化に富む閑静な住宅街だ。

歩き回ると、昼飯が蕎麦では、いくらじじぃたちでも、身が持たぬ。
坂の下にあるあんみつ屋「紀の善」に殆ど倒れ込み、栗ぜんざい税込み924円を注文▲
ボリュウムたっぷりの甘さが五臓六腑に染みわたり、直ちに元気回復。

紀の善は入口や店内とも一新して明るい。2階には畳敷きの部屋もある。神楽坂見物の締めくくりに最適だった。

  まだ日は高かったけれど、地下鉄飯田橋駅から帰途に着いた。
  以前はこの日の3倍は歩いた。終末期3爺には、このくらいがちょうどいい行程だった。

                                                           

神楽坂は坂の街。結構キツイ坂でじじばばには辛い。
坂の下にある飯田橋駅よりも、坂の天辺にある地下鉄東西線神楽坂駅から出発するのがラクです。

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彩の森公園 晩秋

2017-11-21 | 風に吹かれて

寝坊したので、飯能の山奥で開催された「お散歩マーケット」は諦めた。
代りに、入間市にある県営「彩の森公園」へ行った。

国営「昭和記念公園」にはかなり負けてるけど、頑張っている。
なだらかに起伏がある芝生広場、模範的な渓流、広い池二つ。山地に住むじじぃは、のびやかな風景に満足。

北風が冷たく、歩いても歩いても、汗をかかなかった。
近くに寄って来る鴨を、枯枝で追い払う子がいた。元気があっていいが、親は止めさせなくちゃ。

公園は駅から遠い。欅並木は長い坂道で、車が多く排気ガスを浴びる。
帰りは県営向陽台団地を経由し、西武入間市駅の駅ビル2階に直接入れた。駅の階段や長い坂道を歩かないで済む。

行けなくて残念だった「お参歩マーケット」のチラシの一部です▲
来年は行きたい。鬼がせせら笑うだろうね。

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21000歩

2017-11-13 | 風に吹かれて

カラリと晴れ渡った青空だ。
急に思い立ち、国営昭和記念公園へ行った。

日曜日のため広い園内は大入り満員。レストランはどこも長蛇の列。順番を待っていたら日が暮れそうだ。
最短の列でもフランクフルトは売り切れ。池を渡って来る木枯らしに震えながら、さつま芋ソフトクリームで昼食。

12時に入園し、退園したのは4時。
園外の歩行も含めれば、優に5時間は歩き詰めで、合計21045歩も歩いていた。最近の1週間分より多い。

黄葉と紅葉は既に散り始めたものから、これからのものまで色々あった。
相当草臥れたけど、数日続いていた頭痛は治まり、行って良かったようだ。

立派なカメラを3台も首に掛けたじいさまもいたが、森生は、前が見えないバカチョンカメラ。
いいカメラに買い替え、冬ざれた公園へもう一度行ってみたい。

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雑踏を掻き分けて

2017-10-09 | 風に吹かれて

重い腰を上げて、久しぶりに東京へ行くことにした。
行き先は、

  日本橋高島屋「池田学展」拝見。浅草「むぎとろ」で昼食。
  
墨田区親水公園脇の煙草と塩の博物館で開催中の「和田誠展」。ついでに東京スカイツリー下にある商店街。
  最後に、浅草仲見世から伝法院通り、など。

大分欲張った計画だけど、交通費も高いことだし、20年前はこのくらい平チャラだった。

高島屋は開店後間もないのでまだガラガラ。8階会場を目指した。
ところがだ。「池田学展の行列の最後尾は現在3階です」との店内放送だわ。

列には並ばず会場入り口まで行ってみると、場内は押すな押すなの模様ある。
馬鹿馬鹿しくなった。池田学は一生観てやらない、と決断し混み合う地下鉄で浅草へ。

  

地下鉄浅草駅も大混雑だった。雑踏を掻き分け掻き分け地上に脱出しても大混雑。

人混みを外れた駒形橋「むぎとろ」にも行列。歩道で店員が予約受付中。
店員は「2時ころまた来てください、3時にはおしまいです」だとさ。で、昼飯抜き。
駒形橋を渡り、とぼとぼと「煙草と塩の博物館」を目指した。

あの辺り、家や小ビルは密集してるのに、コンビニも食堂もなぁんにもナイのね。わが買物難民団地と同じだ。
坂道無しは助かるが矢鱈に広く、炎天下、リュックザックが濡れるほど汗をかいた。

  

親水公園に到着しても、なぁんもない。
法恩寺橋まで行ってしまい、引き返してきてようやく見つけた博物館にも食堂はない。
結局、空腹のまま「和田誠と日本のイラストレーション」を観て、東京スカイツリーのお膝元に。

スカイツリー下の商店街も雑踏雑踏雑踏、そして雑踏。
フランクフルト1本で昼飯とした。

そういうわけで、今日はもうへとへと。
愉しかった「和田誠と日本のイラストレーション」に関する感想は、別の記事にて後日ご報告。
ということにして、今夜はこれにてお休みなさい。

   そういえば今日は祝日だったんですね。行かなきゃよかった。

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ヨコハマあこがれ

2017-09-08 | 風に吹かれて

横浜駅構内と西口界隈を歩いたのは20年ぶりのことである。
年がら年中工事中で、混み合う横浜駅は、いつも素通りしていた。

西武線の飯能駅から中華街まで、乗り換えずに行ける電車に初めて乗った。
着いた東急横浜駅は呆気にとられるほど広く、洗練された地下駅になっていた。



市営地下鉄を探し、西口の地下街を歩き、その広さと繁華さに、また驚いた。
歩く人たちは池袋や新宿よりも小綺麗である。

特にじじばばのセンスが良く、時々来て見習わなくては、と思った。

横浜には湘南の潮風が漂っている。....... 褒め過ぎかなぁ。
森生は横浜が大好きなのである。

現在の工事は西口の駅ビルを取り壊し、高層ビルに建て替える工事だ。

  

行った日は、浦舟町にある市大センター病院に入院している姉を見舞うためだった。
だからカメラは持って行かなかった。

最近の地下街について、予備知識がなかった。
加えて猛暑がぶり返し、じじぃには広過ぎる地下街を歩き回る余力が無かった。

日を改めて、東口そごう百貨店まで広がる地下街の全てを、歩いてみたい。
ヨコハマ港も、みなとみらいも、山の手も。本牧も。

今朝、酒饅頭をくれた先生と、時々安否確認をしてくれる友じぃにお土産を買った。

お土産は名物・崎陽軒のシウマイである。(シュウマイじゃないよ)
森生は貝柱を使った崎陽軒のシウマイが大好物だ。
もちろん自分の分も買った。

五木ひろしには「横浜たそがれ」という醤油味の持ち歌がある。
森生はバター風味の「ヨコハマあこがれ」だね。

   崎陽軒のシウマイ工場の見学はこちらからどうぞ。

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不思議な山荘

2017-06-21 | 風に吹かれて

  

  以前、宿交差点の古道具店「四万十」の向かいの、堂々たる庄屋級古民家に「寧々房」はあった。
  閉店したとの噂を耳にしたが、寧々房は椚平がある山の麓に移転していた。

  房は2階建てモルタル塗りの普通の民家に変わり、少しがっかり。
  しかも、美しい房主は留守。もっとがっかりした。

椚平の手前、旧道と新道の分かれ道に「鎌倉山荘」という、古色蒼然たるトタン屋根の平屋がある。
道路側の引き戸を全開にし、室内は丸見え。なにやら人恋しそうな佇まいだ。
もちろん3爺は、道草を食うことにした。

現れた総白髪の小柄な主は、怪しい3爺を笑顔で迎え入れてくれた。

3爺は、主の身元や山荘の目的を少しずつ質問。
答えがなんとも不思議なんですね。そんなことって、あるかいな。

  自分は鎌倉幕府の有力な御家人・安達なんとかかんとかの末裔である。仙台の伊達家は家来だった。

  勉強が嫌いのため、高卒後、大工修行で東北各地を転々。いまは古民家再生業を生業ととしている。

  表千家師範の免状を持っている。時折山荘に滞在し、茶会を催す。

  ここは比企郡と秩父群の境界で、この建物はその時の関所事務所跡である。

古ぼけた平屋は、旧道の側壁にへばりついた2階屋だった。
隙間が目立つザツな仕事ながらも、一応リホームが施されている。
物置だった1階部分は台所と食堂、2段ベッド4人用寝室、鉄平石張りの広い浴室などに改修。それなりに趣がある。

ただ、解せないのが、

  気に入ったら、宿泊して下さい。宿泊代は不要です。
  食事は自炊ですが、ガス水道電気の使用料金は頂きません。
  風呂はすぐ沸かすから、使ってみませんか?

などと勧めてくれたことだ。
これは3爺以外も同待遇で、歴史よもやま話が盛り上がり、泊まっていった人もいたそうだ。

  う~ん。こんな時間にお風呂とはねぇ。それに、タダほど高いものはないからなぁ。
  河鹿蛙と時鳥の鳴き声がキモチいいけど、築200年の壁の石組みから、百足や蛇がぞろぞろかも。

と口には出さなかったが「他へも行くから」と丁重にお断りした。

 

鎌倉山荘は不便な場所だが、途中の林道は十分に整備されている。
あの寧々房が、この野趣あふれ鎌倉山荘に移転すれればいいな、取り持ってみようか。
いや、掃き溜めに鶴になり、失礼かな?と思った。

過去記事「寧々房主人」もご覧くださいね。
鎌倉山荘の主の写真や連絡先は「災い転じてチャリ日記」さまの、コメント欄までどうぞ。

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一言多い喫茶店

2017-06-20 | 風に吹かれて

饂飩の後は珈琲です。山を下り、平地に出て、宿(しゅく)交差点を左折。秩父方面に向かった。

饂飩の「やすらぎの家」、蕎麦の「とき庵」の先に、古ぼけた2階家がある。目指す喫茶店「とき川の小物屋さん」だ。
ヘンな名前だが、店内は埃をかぶった小間物や絵本が並び、客席は3人で満席になるカウンター席しかない。
魔法使いのような風貌の店主は、一言多い尖ったじぃさんである。

殺風景だった店の庇の下で、不思議な男女が不思議な小物を商っていた。
収益を近所の牧場にいる老馬(婆ではない)の介護費用に充てるそうだが、果たして売れるのかな。

客席は道を挟んで前を流れる都幾川の土手の上。
だがパイプ椅子は足りず、木の切り株を椅子テーブル代りに使用する。
客席作りも何もかもセルフサービスである。

素通しの額縁がイーゼルに乗せてあり、額縁から上流を眺めろ、という仕掛けだ。

店の売りは「水出しコーヒー」400円である。
見た目はアイスコーヒーだが、8時間もかけて出来上がったコーヒーは確かに雑味が無く美味い。
魔法使いのじぃさんは、コーヒーとシロップとミルクを混ぜ合わせないように厳しく客に注文を付ける。
初回は、うさじぃがうっかり混ぜてしまい、客席を見回りに来た魔法使いから叱られた。

生真面目なお客に、この店は合わないかも。でも森生はこの店が好きです。
隣に小洒落た焼き菓子屋が開店。周囲が「活性化」してきた。素朴な雰囲気を、これからも守り続けて欲しい。

客への注文が多い喫茶店のこの日の注文は「日向は暑いから木陰にしなさいよ」だった
日陰は厨房から遠く、セルフサービスが負担になるので、3爺は日向にした。

似たような記事で恐縮ですが、過去記事「都幾川村再び」と「額縁から見る」もご覧くださいね。

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山奥うどん

2017-06-19 | 風に吹かれて

いつもの凸凹3爺がうち揃い、また都幾川村へ行った。
都幾川村は、わが高麗の里より見どころがずーっと多いのである。

九十九折りの林道で、車を運転するのはもちろん森生ではなく匠さん。
目的は、車道の終点・椚平(くぬぎだいら)の小学校跡にある「くぬぎむら体験交流館」で、名物・ひもかわ饂飩を味わうためだ。
椚平は深い森林に囲まれた標高400mの山奥で、下界はこの夏一番の暑さが話題なのに、吹く風が涼しかった。



ひもかわ饂飩は秋冬限定販売だった。代わりに胡麻だれ饂飩(650円)に山菜の天麩羅(200円)を注文した。
胡麻たれは意外にさっぱりして美味。お勧めできる。紐かわ饂飩はこの秋冬の楽しみにしておこう。

こんな山奥で饂飩屋が成り立つのかと心配になるが、お客はかなりの遠方からやって来る。
特に、自転車を押して歩く方がずっと楽な急坂を、漕いで登って来る若者が多い。どんな心臓をしてるのか。
彼らの大袈裟な服装や、ごつい長靴が面白かった。


食後、腹ごなしのため越沢稲荷の大杉を見ようと、登りおよそ15分の急な坂道を歩いた。
大杉はまだ壮年の逞しさを保っていた。バス停にバスは来ないようだ。

山全体に、よく整備された林道が縦横に通じている。
自転車乗りの諸君は、これから檥峠(ぶなとうげ)を経て吾野へ下り、秩父へ向かうそうだ。
饂飩一杯だけで、ご苦労なことである。



都幾川村は隣の玉川村と合併し「ときがわ町」になりましたが、漢字の村が好きなので「都幾川村」と書きます。

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