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林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

雨音

2011-07-19 | 遠い雲

激しい雨の音で目が覚めた。まだ午前3時、外は暗い。
稲光と雷鳴がする。予報より半日以上も早い大型台風の影響のようだ。

実家は、関東大震災の直後に再建したため、屋根はトタン葺きだった。
瓦は大揺れで屋根から滑り落ち、屋外に飛び出した人々を直撃し怪我人が多く出たので、軽いトタン屋根にするのが流行だったそうだ。

トタン屋根は大雨が降るとモノ凄い雨音がし、とても眠っていられなかった。
大きな家だったが、その後にできた瓦屋根の家に較べて安普請に見え、自分が家を建てるときは瓦葺にしようと考えていた。

自分が建てた家の屋根は念願どおり瓦葺にし、雨の音で眠れぬことはなくなった。
埼玉県は雨が少ない土地のようで、今朝から時々降る大雨はむしろ懐かしい。

家のあちこちに取り付けた簾は昨日のうちに取り外すか巻き上げた。
苗木鉢は吹き飛ばされないように並び変えた。咲き始めた山百合の支柱は今日取り付けるつもりだったが、この大雨で間に合わなかった。

これまでの体験では、台風の準備をすると、大抵肩透かしを食う。
例え来たとしても、風は冬から春先の季節風のほうが強く、雨は高台なので心配はあまりない。
果たして今度はどうなるか。

あの頃は台風が近付くと、岸壁に打ち寄せる大波を見物しに、海岸まで出かけたものだ。
今ではすっかり意気地が無くなってしまった。
雨風ともにお手柔らかに願いたい。

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計算尺

2011-07-01 | 遠い雲




聖徳太子にお会いできるかも、と開けた開けずの引出しから計算尺が何本も出てきた。
円形の計算尺は森生が使っていたもので、直線のものは父の形見である。
電卓は旧式になるし壊れるが、計算尺の寿命は長い。

微分積分を趣味にしていた父のせいで算数が嫌いになり、高校の数学は落第すれすれだった。
しかし社会に出れば、加減乗除だけで通用した。
加減は算盤で、乗除は計算尺で充分だった。計算尺には色々な機能があるが、乗除だけに使っていた。

その後、電卓が安くなり算盤も計算尺もお蔵入りに。
小さな会社の巨額な資金繰りをする羽目になり、簿記を習得した。

会社の算数は何とか取り扱えるので、学校の算数はダメでも大丈夫。
ニガテな子どもを叱らないこと。

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桑の実

2011-06-08 | 遠い雲

高麗駅へ行く道端に桑の木がまだ残っており、実が沢山付いていた。
まだ赤く、完熟していない。

子どもの頃、桑の実はご馳走だった。口の周りを紫色にしてむさぼり食った。
今では誰も見向きもしない。



あの頃、甘くて好きだったものは...........。
黄色い木いちご、藪椿の花の蜜、とうもろこしの硬い茎。
それから、ビオフェルミン。

ゼイタクになったものよ。

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八幡さまの大銀杏

2011-05-26 | 遠い雲

昨年の春先、大風で倒れた八幡様の大銀杏は、その後、根元や胴切りした幹から新芽が伸びている、と聞いており、是非自分の目で確かめたいと思っていた。


大銀杏は予想どおりの情けない姿に成り果てていた。こんな大銀杏はもう見たくない。

鶴岡八幡宮は今では大銀杏を大切に扱っているように見えるが、実は相当苛めていたのである。
高く伸びた梢や石段の上に覆い被さっていた長い枝を乱暴に切り詰めていた
大銀杏が倒れたのは大風の所為より、観光業に熱心な神職たちが大銀杏の寿命を縮めていたのだ。

今度行って見ると、流鏑馬で人馬が疾走し参道を横断する道に並ぶ楠の枝先が無残に切り払われていた。
八幡様の空はやけに広く高くなり、以前の森厳さはなく遊園地になっていた。
日本人は欧米人に較べて、巨樹古木が嫌いなようだ。
何かと注文が多い鎌倉市民だが、八幡宮や円覚寺の景観と環境破壊には寛容である不思議。

    蕎麦処・千花庵がある西御門もかっての風情は無く、普通の住宅街になっていた。
    今では森生より88歳の大先輩のほうが、西御門や雪ノ下の入り組んだ路地や小町通りに詳しかった。

          ふるさとは遠きにありて思ふもの

          帰るところにあるまじや

    か。
   

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若草物語

2011-03-25 | 遠い雲



やりきれない記事ばかりの中に、大女優エリザベス・テーラーの訃報があった。

エリザベス・テーラーを初めて見たのはアメリカ映画「若草物語」である。
あの頃、市内には映画館が5館もあり、若草物語を上映したのは若宮大路にあった市民座だった。市内でいちばん洒落た映画館だったが冷房はなく、すし詰め、立ち見だったことを覚えている。

「総天然色」で見た母子家庭は、当時の中学生には、夢のようなゼイタクな暮らしだった。エリザベス・テーラーは美しい四人姉妹の三女だったろうか............。
その後「いそしぎ」で見たリズの美貌には目が眩んだ。

更に後年、TVで「若草物語」を見た。
ゼイタクな暮らしは本当は貧しく、その代わり家族の固い絆に惹かれた。

大役を演じたリズより、「若草物語」のわがままなエリザベス・テーラーの方が、今でも好きだ。
享年79歳.......。思えば遠くへ来たもんだ。

若草物語、旅情、禁じられた遊び、ライムライト.........。あの頃見た映画は何度でも見たい。

源氏鶏太原作、村山誠治監督、新珠美千代主演、夏川静代助演の「初恋物語」も。

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冬支度

2010-11-01 | 遠い雲

父が逝ってから三十数年。父の歳に近付き、今更ながら気付いた。
聞いておきたかったことが幾つもある、と。

・・ 冬構父のせしことうろ覚え ・・
                    ............ 林 哲夫

季語別俳句歳時記より。

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タオルケット

2010-10-23 | 遠い雲

夏中使っていたタオルケットを捨てた。
母が元気な頃、部屋に物が溢れているので、「少しは減らしたら」、と提案したらくれたものだった。
死後、そのことを思い出して使い始めて5年間。あちこちがほつれてきた。

大きな家に一人で住んでいた母は何度か医者が来た後、同じ敷地内に新築した兄の家に移り住んだ。
暗がりの多い家はまだ充分使えたが、きれいさっぱりと取り壊し駐車場にした。
新しい文化住宅であてがわれたのは一部屋。それも仏間兼用の和室だ。

母の部屋だけが煤けた箪笥や襤褸布で溢れていて、旧盆前に和尚が来る時は片付けが一騒動だったらしい。
兄にはそれが目障り癪の種。毎日顔を合わせていれば、やむを得ないことかもしれないが、度々「不用品」を捨てるように迫り、兄嫁が両方を宥めていたようだ。

文化住宅には縁側が無く、兄には隣近所の人望が無い。
古い家には毎日遊びに来ていた友だちは新しい家を敬遠し、やがてみんな先に逝ってしまった。
母は、「もういいよ」、と繰り返しながら、百一まで生きた。

母に関わる品々は身の回りから殆どなくなった。
しかし、母が行った彼岸にまた一歩近付いているともいえる。

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旅心

2010-10-10 | 遠い雲

 

紅葉の便りを聞くと旅心が騒ぐ。
家にばかりいると心が煮詰まってきてブログの記事が尖ってくる。

映画「阿弥陀堂だより」は良かった。今でも時々思い出す。
あの美しい飯山市郊外の里山へ行ってみようか、と思っていたら、JR(ヤな呼称ですな)が一頁ぶち抜き「北信濃ふるさと漫歩」と謳う新聞広告を出した。

  ......... また、飯山市郊外には、
  日本アカデミー賞(これもヤです)優秀作品賞映画「阿弥陀堂だより」の阿弥陀堂が、そのまま残されています。
  阿弥陀堂までの道すがらは里山風景が広がり、農水省棚田百選に選ばれた「福島新田の棚田」もあります。..........

と長~く活字ぎっしりの文章があり、あの阿弥陀堂や福島新田の写真もあるわぃ、とお神輿が上がりそうになった。
けれども広告をよくよく見れば、

信州デスティネーションキャンペーン(信州DC)好評実施中

とある。何なんだ、デスティネーションとは、え?

軽井沢、小諸、佐久、長野、小布施、山の内温泉郷、志賀高原など信州には、母や家族を連れて何度も行っている。
家から近いし、広い風景と、軒が深く白壁が瀟洒な古民家が好きだ。
八ヶ岳山麓の野辺山で仕事をした2年間は、暇を作っては足を伸ばした懐かしい場所でもある。

  誰もが口ずさんだ唱歌「故郷」の作詞者高野辰之を生んだ北信エリア。
  心和むふるさとの原風景が色濃く残り、私たちの心を癒してくれます。

ふん、JRがそういうかね。

この辺りの農村や町は大昔、「野菊の如き君なりき」という映画になった場所でもある(はずだ)。
あの涙ぽろぽろの名作を大人になってから見ると、主役の二人は大根だったが、映画の完成度は極めて高く、白黒で楕円形小型画面が素晴らしく綺麗だった。


「信州デスティネーション」とかいうワケが分らない「エリア」なんかへは行くもんか。
まだ鄙びていれば、だけれど、初冬の法師温泉へ行きたくなった。

写真は「阿弥陀堂だより」のお梅ばあさん(北林谷栄)と、「野菊の..... 」の民(有田紀子)。
なお、野菊の動画がありましたので.....。

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炭火アイロン

2010-09-09 | 遠い雲

新住民が住む町を歩く。
門扉の周囲に、いろんな飾り物を置いている。
概ね、ディズニー関連のオモチャのようなシロモノであるが。

おっ、炭火アイロンがあった。
懐かしいね。住人の家族の歴史や、趣味の良さが伝わってくる。

森生の家にあったの炭火アイロンはこげ茶色に錆びていた。
しかし底は鏡のように光ってた。
煙突がついてたので、元は高級品だったのかもしれない。

幼い頃は、布団を波に炭火アイロンを船にして、玩具代わりにした。
玩具など買えなかったし、売ってもいなかった。

同居していた叔母たちや姉を見習い、森生が使い始めたのは高校に入ってからだ。
炭火アイロンは木炭を熾すことから始め、使い終えたら火の始末があり厄介だった。

その後「寝押し」を覚え、東京に通学する頃には寝押し専門になった。
今どきの兄ちゃん姉ちゃんは、寝押しなぞ知るまい。

旧住民が住む家の古い物置の隅を探せば、炭火アイロンが見つかるだろう。
勿論、陶器製の火鉢なども。
価値があるものだ。大切にして頂きたい。
捨てるときは連絡して下さいね。

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花火大会

2010-08-12 | 遠い雲

この迫力の感動は、きっと忘れない。

打ち上げ花火を由比ガ浜で最後に見たのはいつだったか。
しかし、初めて見た時のことは忘れない。

夕方、海岸で打ち上げる花火の音が、遠い谷間の家まで聞こえてきた。
暗くなってから、急に母に誘われて花火を見に行った。
海岸近くに、母の姉が住む家があり、そこに寄った。

縁側から眺めた後、暗い海岸を歩きながら花火を見上げた。
花火の見事さと、近くで聞く大音響に感動するより、魂消たものだ。

母に連れられて遠出した思い出は、花火大会の夜だけである。
あの時、母は家に帰りたくなかったようだ。

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日焼け

2010-08-11 | 遠い雲

このスリル満点の瞬間は、きっと忘れない。

西武園プールで、こんがりと日焼けしたきみはエライ!

最近、矢鱈に紫外線の害を言い募るが、あれは化粧品業界の陰謀だからね。
ママの顔のシミ・ソバカスは女子高生の頃から厚化粧をしてきた報いなのさ。
紫外線、関係なし。

田舎のひいお婆ちゃんの顔を見てごらん。つやつやした、いい顔色だろ?
皴は長く生きてきたことへの勲章だぜ。

       この子は、ゴーグルをし、滑り台があるプールに来ている。
       豪華な施設に、贅沢な持ち物。
       両親をお供に従え、お昼はスペシャルランチだろう。

       
             ~

森生が子どもの頃、町にプールは無く、ゴーグルなぞは見たことも無かった。
海水浴に行ったが、海パンは無く、浮き輪も無く、お結びが昼飯だった。
友だちに貰った、ただ真っ白なだけの食パンが美味かった。

新学期は、真っ黒に日焼けした子が多く、白い肌では肩身が狭い。
それで、わざわざ日向を選んで歩いたものだ。もっとも、30度を超える日が今ほど無かったこともあるが。

あの頃のナイナイ尽くしは今になれば懐かしい。繰り言は古記事「海水浴」をご覧下さい。
ついさっきのことは忘れてるけれど、あの頃のことは忘れない。

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かぼちゃサマ

2010-08-10 | 遠い雲

森生のふやけた身体は、かぼちゃでできている。だから、もう金輪際共食いはしたくない。
栄養豊富は分ってる。だけど、お姿のままではとても口にできない。

森生は今、こんなにいい待遇をされてない。

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レンピッカ連想

2010-07-05 | 遠い雲

 

何気なく日曜美術館を見た。
マドンナや三輪明宏はタマラ・ド・レンビッカに夢中らしい。
レンピッカの不思議な絵を見ていて、イラストレーターの山口はるみを思い出した。
 

山口は凡そ半世紀前、新・夢二風の挿絵で、西武百貨店の広告を引き立て、伊勢丹の溌剌な女とは好対照だった。
その後、西武の大変身と共にエアブラシを使った大胆な作風に変わった。
健康な色気が溢れていて好きだった。

なお、山口はるみはその後また作風を変えたらしく▼、見てみたい。

 

対照的な大橋歩も思い出した。
大橋は長い間、平凡パンチの表紙絵を描き、人気があった。
あの頃はアイビールックが全盛で、VANジャケットの人気はユニクロ以上だったはず。

 

アイビールックは、今のアンチャンのように、だらけた服装ではなかった。
ムカシはいいなぁ。
なんて言うのは、もうお終いの始まりか......。 

          山口・大橋嬢のサイトはこちらです▼▼

はるみイラストレーション//IOGイオグラフィック

石岡の示唆により、山口はるみはレンピッカ風になったのでは?
下の記事「真実と常識」に続きます。


不思議な池袋

2010-05-14 | 遠い雲

不思議な不思議な池袋 東は西武で 西 東武
高くそびえるサンシャイン ビックビックビック ビックカメラ



20数年前、池袋駅の東西を結ぶ無料通路はこの細い地下道しか無かった。
薄暗く、アンモニア臭い地下道をこのように改修した時に、愛称を募集した。

東と西の「中部」にも通じる「チューブ」を提案したが、街の石頭は提案を却下し、「WeRoad」にした。こんなツマラナイ愛称は誰も知らないと思う。

駅周辺の激しい百貨店商戦から三越が脱落。三越跡に山田電気が最大店を出しビックカメラと激戦中。

池袋は小綺麗になったが元気がない。もともと池袋にはダサイが似合う。サイタマ県の入口だからね。
西武とヨドバシカメラが交代すれば、いい街になると思うよ。