昨年の春先、大風で倒れた八幡様の大銀杏は、その後、根元や胴切りした幹から新芽が伸びている、と聞いており、是非自分の目で確かめたいと思っていた。
大銀杏は予想どおりの情けない姿に成り果てていた。こんな大銀杏はもう見たくない。
鶴岡八幡宮は今では大銀杏を大切に扱っているように見えるが、実は相当苛めていたのである。
高く伸びた梢や石段の上に覆い被さっていた長い枝を乱暴に切り詰めていた。
大銀杏が倒れたのは大風の所為より、観光業に熱心な神職たちが大銀杏の寿命を縮めていたのだ。
今度行って見ると、流鏑馬で人馬が疾走し参道を横断する道に並ぶ楠の枝先が無残に切り払われていた。
八幡様の空はやけに広く高くなり、以前の森厳さはなく遊園地になっていた。
日本人は欧米人に較べて、巨樹古木が嫌いなようだ。何かと注文が多い鎌倉市民だが、八幡宮や円覚寺の景観と環境破壊には寛容である不思議。
蕎麦処・千花庵がある西御門もかっての風情は無く、普通の住宅街になっていた。
今では森生より88歳の大先輩のほうが、西御門や雪ノ下の入り組んだ路地や小町通りに詳しかった。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
帰るところにあるまじや
か。
110526
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