飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

人は理解し合えるのか

2016年01月10日 10時06分56秒 | 人生論
人には様々な個性があり、自分なりの価値基準がある。
誰でも自分が正しいと重い判断し、行動している。

歴史を教えていて思うが、その時代時代の正義というものがあったのだ。
あとになってみればあれは明らかに間違だと思えることもあるが、その時は最善ではないにしろ、その選択肢がベストだと思って行動した結果である。
ただ、最終的な判断をした人物の個人的な正義ではあるが。

人が分かり合えるのは20%程度だという考えもある。

ゲシュタルト療法の創始者フレデリック・パールズの言葉。

ゲシュタルトの祈り

私は私のことをします。
あなたはあなたのことをしてください。
私が生きているのは、あなたの期待に応えるためではありません。
あなたもまた、私の期待に応えるためにいきているのではありません。
あたなたはあなた、私は私。
もし、私たちの心が通じ合わなくてもそれは仕方のないことです。
そして、私たちの心がたまたま触れ合うことがあれば。
それは最高に素晴らしいことです。

saitani
この記事についてブログを書く
« 慎始敬終 | トップ | 我慢の二種類 »

人生論」カテゴリの最新記事