飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

学ぶことの意味

2021年06月17日 10時39分20秒 | 人生論
学校は勉強するところ。
当然のことだ。
ただ、私は子供達に「君たちがすべきことは勉強ではなく。学問だ。」という話をする。
さらに、甘えがある子には、「君たちがしているのは『お勉強』だね」などと言うこともある。
それは、本当の勉強とは、学校を出てからものだということをわかって欲しいからだ。
あるスポーツ選手は言う。
「人からいわれてする練習は、練習とは言わない」
人から言われてする勉強とは、勉強とは言わないのである。

高学年の子供たちによく質問される。
「なぜ、僕たちは勉強するのですか。」
教師はなんと答えるだろう。

ある本にこんなふうに書かれていた。

「人間、生まれてきたからに役割がある。僕はそう思っている。」
「君らが生きるということは、そのあたり役割を果たすということ。
 働くというのも同じこと。君らが生まれてきた役割を果たしていくということ。
 これから、一緒にこの国に生まれ、役割を果たして去って行った数々の偉人たちの人生を見つめていこう。
 歴史を学ぶ一つの良さは、人間は自分の役割を果たすために生まれてきたということを信じるに値する事例がたくさんあることなんだ。」

教師である以上、子供たちの問いに真摯に明確に答えられる哲学と教養を持ちたい。
日々子供達が投げかけくるさまざまな問いに、教師はどのように答えるか。
重要なことだ。
そのために学校があると言ってもいい。

そして、別れの日。
「自分のやりたいことに挑戦する勇気を持った人にとっては、未来には、今君らが考えている以上に、楽しいことで溢れた毎日が待っている。
 将来の君らは、今の君らが想像をできないほど大きなことをやって、多くの人の幸せを左右する存在になっているはず。」
そういう言葉を贈れる教師でありたい。

Saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする