飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

具体的であること

2021年06月14日 10時36分19秒 | 授業論
「具体がない」
よく何かを批判するときにつかわれる言葉である。
言っていることは一見立派だが、結局どうすればいいのかがわからない。
「それはその通りだと思うけど、では、どうしたらいいの?」
という感想を持つ場合も具体性にかけた指導を受けたときだ。
教育は実践に裏付けられた理論でなければならない。
自分が受けた大学の教育に関する授業もためにはなったが、役に立たなかった。
畳の上の水練と同じだ。
泳ぎ方は教えてもらっても、実際にプールでおよくことはしなかった。
現場では、具体的な技術がないと授業ができないのである。

こんな有名なエピソードがある。

ある人が職人たちが作業をしている場にさしかかった。
ある人は、職人たちに「何をしているのか」と尋ねた。
すると、職人は「見ればわかるだろう。レンガを積んでいるのだよ」と答えた。
また、別の職人は「レンガで壁をつくっているのさ」と答えた。
さらに、別の職人は「ここに協会を建てているのです」と答えた。

これは本来は、目的意識とモチベーションとの関わりでよく引き合いに出されるという。
これは人を動かすときの原理原則として「趣意説明の原則」というのがある。
何かを人にさせるとき、なんでその行為をするのかを明確にする、すなわち目的意識にをはっきりさせた方がモチベーションが高まるということ。

少し見方をかえると、後者になるにつれて表現が具体的になっていることに気付く。
当然、抽象的ではなく、具体的の方がよく物事を理解できる。
この具体的な研修を行わなければ、役にたつ技術は身につけられない。

saitani

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