最強級台風18号がひたひたと接近中だ。それにしてもすごい言い方だな、“最強級”って。この漢字の並びを見ただけで、不安を掻き立てられる。“最大”よりも“最強”はもっと過激だね。でも、外は、不気味なほどまだ静かだ。雨もやんでいるし風もさほどではない。「嵐の前の静けさ」とはよく言ったものだ…。
こんな日は、早く帰宅するに限るとスポクラをさぼる。一昨日やったピラティスの筋肉痛と“赤ちゃん担当週間”がたたってか、あちこちが痛い。正座を崩して片方に重心をかけて座っていたらついに膝まで痛くなってもうた。立ち上がる時、咄嗟に立てないと、一気にに年取った気がするよ。情けない…。
最近、あまり本を読んでないなあと思い、ぶらっと本屋で東野圭吾の「赤い指」という本を衝動買いした。作者に関しては、話題になった「容疑者Xの献身」ぐらいしか知らなかったから、他の作品も読んでみたかった。
読み始めたら、一気に引きこまれてしまったが、なんかとても怖かった。登場人物たちに苛立ちを覚えながら、どこか自分にも通じるようなところを感じてしまう。子どもの言いなりになる母親、なんでも人に解決してもらおうとする子ども、妻子を律せない夫、そして、呆けた母親…。
殺人を犯した子どもの罪を隠ぺいし、呆けた母親にかぶせようとする夫婦に、敏腕刑事のメスが入る。この夫婦は物事の核心がまるで見えていない。どうして、子どもを叱れないのか。子どもにとって大事なことから逃げるのか。でもそれは客観的に小説として読んでいるからそう思えることでもある。実際に窮地に立たされた人間の心理なんてそう冷静でいられないだろう。どんな手を使ってもそこから逃れたい、とりあえず逃れられればいいと盲目的思考に陥っていく。多かれ、少なかれ、日常でもこういう心理になりそうな時ってある気がする。仕事で失敗することもあるしね。だから、身につまされるような感覚を覚えたのかもしれない。
最後、実は母親が“呆け”を演じていたという大どんでん返しがあり、やっと救われた気がした。呆けたふりをしながら、母親が息子に送り続けたメッセージが、かろうじて主人公を人としての道に踏みとどまらせた。大事なことに気がついて良かったと妙にほっとした気分になる。そんな一家の複線に、捜査のメスを入れた刑事自身の親子関係もつながり、人と人との絆や、言葉だけでは伝わらない人への想いが問われているように感じられた。
上手いなあ、東野さん。
「どこの家でも起こりうること。だけどそれは我が家じゃないと思っていた」
すべてが的確すぎて衝撃だった…。
こんな日は、早く帰宅するに限るとスポクラをさぼる。一昨日やったピラティスの筋肉痛と“赤ちゃん担当週間”がたたってか、あちこちが痛い。正座を崩して片方に重心をかけて座っていたらついに膝まで痛くなってもうた。立ち上がる時、咄嗟に立てないと、一気にに年取った気がするよ。情けない…。
最近、あまり本を読んでないなあと思い、ぶらっと本屋で東野圭吾の「赤い指」という本を衝動買いした。作者に関しては、話題になった「容疑者Xの献身」ぐらいしか知らなかったから、他の作品も読んでみたかった。
読み始めたら、一気に引きこまれてしまったが、なんかとても怖かった。登場人物たちに苛立ちを覚えながら、どこか自分にも通じるようなところを感じてしまう。子どもの言いなりになる母親、なんでも人に解決してもらおうとする子ども、妻子を律せない夫、そして、呆けた母親…。
殺人を犯した子どもの罪を隠ぺいし、呆けた母親にかぶせようとする夫婦に、敏腕刑事のメスが入る。この夫婦は物事の核心がまるで見えていない。どうして、子どもを叱れないのか。子どもにとって大事なことから逃げるのか。でもそれは客観的に小説として読んでいるからそう思えることでもある。実際に窮地に立たされた人間の心理なんてそう冷静でいられないだろう。どんな手を使ってもそこから逃れたい、とりあえず逃れられればいいと盲目的思考に陥っていく。多かれ、少なかれ、日常でもこういう心理になりそうな時ってある気がする。仕事で失敗することもあるしね。だから、身につまされるような感覚を覚えたのかもしれない。
最後、実は母親が“呆け”を演じていたという大どんでん返しがあり、やっと救われた気がした。呆けたふりをしながら、母親が息子に送り続けたメッセージが、かろうじて主人公を人としての道に踏みとどまらせた。大事なことに気がついて良かったと妙にほっとした気分になる。そんな一家の複線に、捜査のメスを入れた刑事自身の親子関係もつながり、人と人との絆や、言葉だけでは伝わらない人への想いが問われているように感じられた。
上手いなあ、東野さん。
「どこの家でも起こりうること。だけどそれは我が家じゃないと思っていた」
すべてが的確すぎて衝撃だった…。
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