この連休、どっと疲れが出て、だらだらしている。これじゃあいかんと、お散歩がてら、「君が踊る、夏」を観に行ってもうた。
一昔前の、少女マンガのようなストーリー。難解なことや、裏をかくようなことは何もなくて、とてもわかりやすい。頭も痛くならないし、肩も凝らない。だって、登場人物はみんないい人なんだもん。みんなが、本当に大切なことが何かをわかろうとしているし、そのために一生懸命になる。それは、ズバリ、命と愛のために。はい、人間にとってこの二つは究極的なものだよね~。加えて、マジに四国へ行きたいと思わせてくれる。四国の自然あふれる美しく壮大な映像が素晴らしい。いいところだなあ~。
若い出演陣のキャラも、純粋でひたむきで、ええ子たちなんだわさ。現代を反映するといえば、核家族。主人公にしても、その友達にしても一人息子で本家業を継ぐ立場にある男の子。病気の妹をかかえる彼女も母に先立たれた父子家庭。彼らは人の痛みがわかる子たちでお互いを思いやって絆を大切にしている。やっぱり、自然の中で育ったからかしら。
なんか、心洗われて、ほろっとさせられる映画だった。
重厚な脇役陣の中、ただひとり、“友情出演”している我らが藤原竜也くん。若き、天才カリスマカメラマンとこれまたわかりやすいキャラ。撮影シーンは、篠山先生あたりを参考にしたのかしら?あ、篠山氏はもっと過激よね。出番は少ないものの、これまた良くできた先輩で、主人公のことを理解し、そっと背中を押してあげる懐がでかい人物で、なかなかいい役だった。DAIGOくんとの不思議な絡みのシーンも見どころだ。
最後のよさこいシーンは圧巻。溝端くん、かっこ良すぎる~。私も踊ってみたくなっちゃった~。
おせんの歌穂さん、歌が素晴らしすぎる~。
頭から力が入っていて、役者陣の集中力が感じられる。途中、おとらばあさんが暴走して笑いをとる。食い逃げをしようとる円八と、おせんの泣き声の間で右往左往するところで、何度も往復してへたりこむ。息を切らせているところに、新七が「大丈夫ですか?」とすかさずフォローするが、不思議と違和感がない。登場人物の関係がそのまま役者達の関係になっていて、いいチームワークだなあと改めて思った。
第二幕、五章「ピアノ」では、井上ひさしさんの言葉が丸ごと投げかけらる。新七の怒りが、鋼太郎さんの気迫がびんびんと伝わってきて、受け取るのがずしんと重たい程だった。この章には、心に屈託を抱える御見物衆、そんな御見物衆によって力が宿る桟敷、国民がいない政治、脳みそを使ってないこと、いい加減に始めたことは後から痛みがくること云々、演劇から政治まで今の世の中にもあてはまることがたくさん含まれていて、観るたびに頷かされてしまう。物語の主題がここに集約されている。しかし、今日の、鋼太郎さんは凄かった。
新七に比べると、五郎蔵はかなり複雑だ。妻に先立たれ、娘を殺され、挙句の果てに、無実の罪で島送りにもなるという波乱万丈さだ。きっと、幾度となく、涙にくれ死を考えたことだろう。だけど、へこたれず、国が変わろうとも、時流に乗り、振り落とされても立ち上がる。チャンスがくると後先考えずに乗って痛いしっぺ返しを食らうを繰り返す。何度も、「ちっきしょう!」と言いながらも、「いよっ、一別以来だねぇ」と明るく出てくる。悪を含みながらも、お調子者でどこか憎めない五郎蔵が、愚かだけど愛おしい。やっかいだけど放っておけないのだ。竜也くんの中に五郎蔵を見たという井上さんは、人間の本質を見抜く力があったんだね。五郎蔵によって、ある意味、素の“藤原竜也”が暴かれた感さえある。例のカテコの件だって五郎蔵そのものだものね。だから、“この役”は演じられるようにならなきゃいけないのかもよ。
新七の言葉を借りれば…
桟敷に宿る力、全ての拠り所になるような力、その力が全てをさばくんです、作者を、役者を座元を、そして、ひょっとしたら御見物衆そのものをもね。
裁かれているのよね、君も、そして私たちも。
で、大楽のカテコは、東京公演での教訓が生かされてか、とても気持がよいものになっていた。竜也くん、鋼太郎さんの指示に従って、井上ひさしさんの遺影を持ってきたり、高く掲げたり、有起哉くんが手を振れば、真似て手を振ったりと至って謙虚で、借りてきた猫の様。役者というのは、ある意味、危険でやんちゃな部分があるから面白いのかもしれないけど、世界を目指すのだったら、もっと人間性も豊かになって欲しい。渡辺謙さんだって、真田広之さんだって、とっても紳士でしょ。日頃、やんちゃしている、鋼太郎さんや唐沢さんだってしかりよ。
10年後の五郎蔵に会えることを願って…。
そこで、独断で役者編をつらつらと…
おとらばあさん&おみつさんの熊谷真実さん。

私にとっては、「マー姉ちゃん」のイメージが強烈で、明るく元気な女優さんという印象だ。今回の二役は素晴らしい。特に、ガラは悪いが心根がいいおとらばあさんは女五郎蔵だね。このばあさんが手塩にかけて育てた孫娘がおみつだというのがとても納得できる。おみつは、清楚でたおやかで、人の痛みがわかる女性だ。おとら亡き後、株仲間を陰ながら支えていく。そんな汚れ役と娘役の対比を見事にこなしていた。
バラエティーなどでも活躍している真実さんだけど、デビューはつかさんなんだね。そして、つかさんの元奥さんでもある。井上さんの追悼公演中につかさんも逝ってしまわれた。すごい演劇人と関わってきた女優さん、これからも舞台で輝いてほしい。
河竹新七こと、しんちゃんの吉田鋼太郎さんは、常に安定していた。

きぜわものとして、世を写せるずんぐりむっくりの役者というのは吉田さんのことじゃないのかなあ。井上さんの遺志の全てを伝えてくれた。品のいい新七として、控え目に、だけど時に熱く語る説得力ある存在感が圧巻だ。ときどき、おからをぼろっとこぼしちゃのうのが、鋼太郎さんらしかったけど。
円八師匠の大鷹明良さん、いぶし銀な脇役タイプで、役柄としっくり合っていた。

身投げや久治の、松田洋治さんは言わずと知れた元天才子役だ。

昔、よくドラマで見ていた。小さいのに上手いなあって。そんな彼も40歳を超えたんだね。見かけは相変わらず若いし、小さい頃の面影も残っている。地道に舞台でキャリアを積んでいい役者として生き残ったんだね。
ヒロインのおせんは内田慈さん。

初め、内田滋くんと勘違いしてた。だって、シェイクスピアで女役やってたし。しゃべり方が舌足らずで、「アイ~ン」な感じがしたけど、おじさんたちのかわいいアイドルな感じが良くでていた。でも、おせんはかわいいだけじゃなくって、賢いし、時代の先端をいく女性。成長後のおせんはとても難しいと思う。この大役を演じたことは、彼女の転機になるだろう。欲を言えば、歌をもうちょっとがんばって欲しかったなあ。
及川孝之進の北村有希哉くん、天然ボケの旗本役がハマっている。

吉田&藤原ともバランスが良くで、この三人の信頼関係は熱いんだなあって思った。オレステスの時よりも、全然違和感がなかったもの。彼も、偉大な父の遺志を継いで成長し続けている。舞台映えもするし、声もいいし、間も絶妙、天性のものが感じられた。
最後は、五郎蔵の藤原竜也くん。

滑舌もいいし、声もよくでているし、セリフ回しも自在で、活き活きとしていた。ここまで、出来てしまうのはお見事。やはり才能なんだろうね。だけど、この役は器用にこなせるだけのもんじゃないと思う。あれだけ、深い戯曲を書く、井上さんが望んだということは…、もっともっと乗り越えるべき高いハードルが託されている気がする。それが、今公演で、見つけられれば、再演につながっていくことだろう。
さて、千秋楽といえば、カテコだが、と~ってもあっさりしていた。栗山さんの千秋楽はだいたい、いつもこんなもんだが、みんな、余韻に浸って穏やかに拍手を送っているという感じだった。どちらかと言えば、初日の方が盛り上がった。
で、竜也くん、さっさと衣装を脱いじゃったみたいで、3回目のカテコに出てこない。んな、早く脱がんでもいいんでないかい?だって、他の出演者はそのまま出てきてくれたんだよ。君のことを待っている多くの“御見物衆”がいることを自覚して~。鳴りやまない拍手に応えて、や~っとのことで、ジャージを履いて出てきてくれたけど、バツが悪そうだったな。鋼太郎さんにつっこまれてたしね。演技者として、このところ落ち着いて大人の俳優になりつつあるんだから、人間としても、もうちょっと落ち着いてみたら?っておばさんは思ってしまったよ。もう28歳なんだからさ。別に、観客にこびなくてもいいんだけどね~。
ビッグニュースが飛び込んできた~(注:藤原竜也ファンにとってだけど)
来年、三谷幸喜生誕50周年企画の舞台に竜也くんが登場だよ~。
あの、あの、大河「新選組!」から6年の歳月を経てついに実現だ。共演者も、平助&おひでちゃんでこれまた嬉しい限りではあ~りませんか。あの、ぐでぐでの座談会司会から、古畑、手塚治虫はここへ至る伏線だったのね~。で、来週の「ボクらの時代」は、また、勘太郎さん、大輔くんとのトークだもんね。
常日頃、次の仕事に関するヒントをちらちらと発言してくれる竜也くん。
私が次に気になっているのは…
再来年、渋谷、若者、演劇のキーワード
これ、岡田准一くんのラジオに出た時にぼろっと言っていたのよね。で、岡田くんに「一緒にやりませんか」って誘ってた。そして、「ムサシ」には岡田くんからお花が…。小栗くんが映画で同世代を集めて発信したのに次いで、竜也君は演劇から何かをやろうとしているんじゃなかろうか。
そしたら、演出は長塚氏あたりかなあと、妄想は膨らむばかりである…。

「黙阿弥オペラ」
作:井上ひさし
演出:栗山民也
出演:藤原竜也、吉田鋼太郎、北村有起哉、松田洋治、熊谷真実、大鷹明良、内田慈、朴勝哲
紀伊国屋サザンシアター
大作です。
3時間30分もあった。
人情味あふれる江戸庶民が主役の群像劇。
派手なしかけも何もない。オーソドックスで、音楽も一昔前のホームドラマのようだけどその中に力強さがあって、これぞ演劇の真骨頂という感じがした。
井上さんの言葉の玉手箱、ひたすら感動もんだった。
文明開化に浮かれて、変わることばかりを求める仲間たちに、黙阿弥こと新七が言う言葉がずんときた。
“人の心と言葉、これはそうやすやすとは変わりませんよ。そしてその二つで芝居はできているんです。芝居がそうたやすく変わってたまるものですか。”
その他にも、現代を風刺する手間暇かけて磨きあげた「悪意」もいろいろ盛り込まれている。実質を見ないで上っ面だけの欧米化に流されて来た日本、そのしっぺ返しが今きている…。
やっぱり深い。やっと戯曲が手に入ったから、これからじっくりとその言葉をかみしめたい。
竜也五郎蔵、べらんめえ調の江戸弁台詞も歯切れがよくて、ばっちりハマってる~。みんなを引っ掻きまわす割には、肝心な時に頼りにならないダメ男キャラが最高だ。そんな役だけど、しっかり大人の役者として存在している頼もしさや安心感もあった。ずんぐりむっくりという原作キャラからするとかっこよすぎるけど、素敵だからOKよ~。
稽古期間が短かったなんて微塵も感じさせない程のチームワーク。役者陣は完璧。このメンバーならこの先、ますます芝居が膨らんでいきそうで楽しみだ。
カテコは総立ちで、4~5回あった。おじぎをしたあと、みんなおそばを食べにいく。バブルがはじけて職を失った五郎蔵たちは、蕎麦屋になって再生していくんだよね。何回も食べにいって、鋼太郎さんに小突かれてた竜也くんが見えた。出演陣のいい笑顔、たぶん、井上さんもどこかで笑ってらしたに違いない。
後ろ~のすみっこ~の席だけど、チケットが取れたので、新宿まで馳せ参じます~ルンルン
井上ひさしさんの戯曲が文庫本になったから、手に入れようと探していたのだけど、どこもかしこも在庫切れ。本家本元の鎌倉にもなかったんだよ~。たぶん、会場で売ってるかな~。井上さんの言葉は一言も聞き逃せないもんね。
今回は、あまり予備知識なく観劇。理解できるかしら~。
とりあえず、この方が黙阿弥さんだって。

なんか、死んだじいちゃんに似てる。って、祖父は私が4歳の時、逝ったからあんまり記憶にないんだけどね。
Wikipediaの来歴見てみると、なんか黙阿弥さんの一生が井上ひさし氏とかぶる。書いて書いて書きまくった…。
黙阿弥という名には、「自分の意見に耳を貸す者がいぬのならもう黙っていよう」という自虐的な鬱憤が込められているそうだ。自分の道を追い求める求道者はいつも孤独なんだな…。
NYから東京へ、井上さんの魂も天空を飛び回って忙しそうだね。
文藝春秋の井上ひさし「絶筆ノート」は読んでいて辛かった。本当に病は突然で、進行が早かったようだ。発病後、半年に及ぶ、抗がん剤治療は壮絶で、悲しいかな、効果も現れないまま逝ってしまわれた。
「苦しいけれど、自分は作品の中で『たとえ人生が残り一日でも、どんなに苦しくても人間は生きなきゃいけない』と書いてきた。そう書いた以上、自分のことばに責任をとるために頑張らなきゃいけない」
「戦争や災害だと、たくさんの人が同じ死に方をしなきゃいけないんだ。ひとりひとり違う死に方ができるというのは幸せなんだよ」
最期まで過酷な運命をかされ、なおかつ闘い続けた井上ひさしさん。その生き様は、そして数々の作品の中にある珠玉の言葉と憂国心は、これからも日本文化の中に生き続ける…。
井上さん、去年の暮れごろはいくらかお元気になられた時期があったようだ。こまつ座のスタッフと今後の仕事について会議をしていたそうだ。竜也くんがトマトを送ったのもこの時期だったのかなあ。きっと、新作「木の上の軍隊」はいけると思っておられたのだろう…。
「ムサシ~ロンドン・NYバージョン」は、28歳になった藤原竜也くんにとっても画期的な作品となった。大人の俳優への進化と、演劇界を背負う使命…、井上さんの死を乗り越えてさらに前進しようとしている。
ふと、ドキュメンタリー「今裸にしたい男たち」の中で、初めての海外旅行みやげを携えて蜷川さんを訪ねた18歳の竜也少年を思い出した。
「10年たってもまだ28ですよ~」
「そうかあ、10年たったら、俺、75だぜ、もう駄目だな」
「そっ、そんなことないですよぉ」
10年経ちましたね、蜷川さん!
駄目じゃなくてよかった。愛弟子は支えてくれるほど、たくましく成長した。この子弟、森繁久弥と竹脇無我みたいになるのかなあ。
蜷川さんには井上さんの分の使命も果たしてもらい、これからも貪欲に疾走して欲しい。
雨の歌は多かれど…、私はこの歌が好き。
森高千里のバラードは良い。渡良瀬橋も大好き。
やっと少し暑くなってきたと思ったらこの雨だ。このまま梅雨に突入しちゃうのかなあ。で、夏はどうなるのか?去年の夏は冷夏で、ノースリーブを着なかった。猛暑よりは楽でよかったけどね。
雨にもめげず、今日も目指すは与野本町~♪『ムサシ』に会いに行ってしまった。
藤原ムサシ、完璧すぎてほれぼれする。また、今回は声がいいんだよね。プログラムの、杏ちゃんのページに、ムサシ&小次郎は鋼太郎さんに発声を指導してもらっていると書いてあったけど、その成果かな。先輩はちゃんとOJTもしてあげているのね。この座組は最高だね。さすが蜷川さん、後々のことも考えていらっしゃる~。
静の場面も良い。「無策の策」のムサシが、ものすごく色っぽくてオーラがある。この場面、初演とは違って出色の出来だ。木俣さんのブログに足のことが書いてあったけど、もうすべてに神経が行き届いていて研ぎ澄まされているのよね。ピラティスで足のアーチについてよく言われる。私は左足の小指側のアーチがないからバランス悪いらしい。竜也くんのおみ足は、しっかり舞台を踏みしめていて、つちふまずのアーチもきれい。だから立ち姿や動きが美しいのねって納得してみる。
エンジンがかかってきたのが白石加代子様。もういろんな手をたくさん持っていらっしゃから、観るたびに違って魅力的。第18位のところなんて、自在に暴走、テンション高くて笑わせてもらった。
大石継太さん、最後の場面、後ろ向きだから確かではないけれど、泣いていた気がする。ムサシと小次郎が剣をおさめる所、大石さんのみならず、幽霊一座は本当に喜んでいる。ほっとしたような、なんとも言えない笑顔と、心の底から湧き上がる「ありがとう」の言葉。これが、井上さんの願いだもね。継太さん、井上先生を感じちゃったのか、絶対、泣いてらしたと思う。
今日は、客席も一体感があるような気がしてノリが良かった。カテコも予想通りの笑顔、あっ、そうか、明日は休演日だもんね~。私は、また明日からお仕事、がんばるよ~

上演時間が短くなった分、テンポが良くなった。台詞はほとんど変わってないんじゃないかなあ。場面転換などで無駄を省いた感じで、より演劇らしさが増した印象を受けた。
今回は、「藤原ムサシ」一枚看板だ。ムサシの存在感がとても力強く、どっしりと中軸にあり続ける。初演も、存在自体はぶれていなかったのだが、もっと深みを増して大きな樹木のようだった。

なんか、竜也くん、海外公演を経て、また一回り成長したんじゃない?貫録がただよっていてすっかり大人の俳優さんだね。座長としての牽引力も感じたし、井上さんに対する敬意と井上さんの言葉を伝えようとする使命に燃えている。初演の華々しさとは違って、とても重厚な作品になっていた。
勝地小次郎は、大健闘だと思う。でも、もともと小栗小次郎との二枚看板用の台本だから、まだまだ弱いかな~。う~ん、ムサシがますます目立ってしまうのよね。小次郎の積年の恨みを全面に出しているのはわかるが、地味で暗いだもん。前髪、じゃますぎやしないかい?今回はこの位のバランスでいいのかもしれないけど、一生懸命、背伸びをしているのが垣間見えた。ある意味、彼にとっては転機になりうる作品だものね。蜷川さんからも強烈なダメ出しをくらったみたいだけど、うんと苦しんでいいと思う。進化の余地を残しているところが頼もしくもあった。何気に、この日本公演、重要だぞ~。

「生きていれば、もっといっぱい書けたのに…」
杏ちゃん演じる乙女の台詞が、井上さん自身の言葉だと思うと涙腺が決壊…。
台本が生き物に思える。役者や演出が変わることで違った方向へ動き出す。言霊って本当に宿っているんじゃなかろうか。日本語の奥深さ、演劇の力のすごさをひしひしと感じた「新生ムサシ」だった。
おまけ
晴天の与野本町、バラがきれいだったよ。

