長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

まじめそうな顔してそうとうなクセモノだこれ!! ~『獄門島』2003エディション~

2024年08月13日 23時38分16秒 | ミステリーまわり
 あっぢぃねぇ~……みなさま、どうにもこうにもこんばんは。そうだいでございます~。
 今年もつつがなくお盆休みに入りまして、私も、暑い暑いといいつつも幾分かはゆったりできる時間をいただいております。ほんと、この時期に平常通りに働くのはしんどいですよね……ご先祖様に感謝を~なんて言いつつも、ふつうに生きてる人が休むための連休になっちゃってますよ。いや、ちゃんとお墓参りはしなきゃいけませんけど!

 なんだかんだ言って今年も、こんな感じに後半戦に移ろうかとしておるのですが、なんだかふと気がつきますと、我が『長岡京エイリアン』的にはめちゃくちゃ楽しみな映像作品が目白押しなんですよね、8月からは!

8月23日公開 映画『箱男』(監督・石井岳龍)、30日から山形で公開 映画『カミノフデ』(監督・村瀬継蔵)
9月27日公開 映画『傲慢と善良』(監督・萩原健太郎)、29日放送 ドラマ『黒蜥蜴』( BS-TBS)
10月11日公開 映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(監督・トッド=フィリップス)、25日公開 映画『八犬伝』(監督・曽利文彦)
12月25日アメリカ公開 映画『 Nosferatu』(監督・ロバート=エガース 日本公開日は未定)

 全部、手放しで楽しみにしているわけでもないのですが、とりあえず必ずチェックしようと思っている作品だけでも、これだけあるんですよね。見逃すまいぞ~。
 今年の前半にはゴジラもありましたから(ハリウッド製だけど)、2024年もさまざまなコンテンツで順調に新しい動きがあった豊年だとみてよろしいかと思います。仮面ライダーは……もう最近のシリーズを追う必要もないですかね。今さらながらではありますが、テレビ東京の「ガールズ×戦士シリーズ」がここにいないのは、やっぱり寂しいやねぇ。ああいった目くじら立てず、頭をからっぽにして楽しむ娯楽作もあっての文化だと思うんですけどね~。

 こういったラインナップを見ますと、あの明智さんも更新されてることですし、あとは我らが金田一耕助シリーズも、映画でもテレビでも動画配信サービス限定でもいいので最新作を出してくれるとうれしいんだけどなぁ~と思っちゃうのですが、忘れちゃなんねぇ、金田一先生にだって、今年はこういうスペシャルムーヴメントがあんのよね!

11月 映画『三本指の男』(1947年公開)うぶごえクラウドファンディングパートナー限定配信
2025年2月 映画『悪魔が来りて笛を吹く』(1954年公開)デジタル修復版 うぶごえクラウドファンディングパートナー限定配信

 これこれ! 偉大なるレジェンド・初代金田一耕助こと片岡千恵蔵版の『本陣殺人事件』と『悪魔が来りて笛を吹く』のご復活でございます!! これを観ずしてなにが『長岡京エイリアン』かと!!
 クラファン、目標金額の3倍以上集まったんですもんね。すごいやねぇ~。当然ながら、こちらも無事に配信視聴できたあかつきには、全力をあげて感想記事をつづらせていただく所存也。歴史の創生に立ち会う思いですね……これでもう、来年2月までは死ねねぇ!! 安全運転を心がけよう。

 そんでまほんでま、今回の記事はと言いますと、千恵蔵金田一の復活までにまだちょっと時間はありますが、なんと本日ついさっきの夕方に「夏恒例!」とばかりに BSテレ東で再放送されていた、金田一ものドラマについて。
 これ、ずっと観たかったんですよね~。


ドラマ『金田一耕助ファイル 獄門島』(2003年10月26日初放送 テレビ東京『水曜女と愛とミステリー』)
 27代目・金田一耕助   …… 上川 隆也(38歳)
 18代目・等々力大志警部 …… 二世 中村 梅雀(47歳)
 ※金田一耕助もの長編『獄門島』の6度目の映像化
 ※本作が放送された2003年は、金田一耕助が登場する映像作品としては TBSでの古谷一行金田一による『金田一耕助の傑作推理』が年1本のペースで制作されていた時期で、フジテレビでの片岡鶴太郎金田一による『横溝正史シリーズ』(1990~98年)と稲垣吾郎金田一による『金田一耕助シリーズ』(2004~09年)とのちょうど間隙期にあたる。
 ※『獄門島』の映像化としては、古谷一行が金田一耕助を演じたドラマ『名探偵金田一耕助の傑作推理 獄門島』(1997年5月放送 TBS)以来約6年ぶりとなる。
 ※原作小説の設定によれば、本作の事件発生時点での金田一耕助の年齢は「33歳」と推定される。鬼頭早苗の年齢は「22~23歳」と語られている。

主なキャスティング
鬼頭 早苗    …… 高島 礼子(39歳)
鬼頭 月代    …… 三倉 佳奈(17歳)
鬼頭 雪枝・花子 …… 三倉 茉奈(17歳 二役)
分鬼頭 儀兵衛  …… 石山 輝夫(61歳)
分鬼頭 お志保  …… 原田 喜和子(38歳)
鵜飼 章三    …… 川村 陽介(20歳)
了然和尚     …… 神山 繫(74歳)
了沢       …… 出光 秀一郎(34歳)
荒木 真喜平   …… 鶴田 忍(57歳)
村瀬 幸庵    …… 寺田 農(60歳)
清水巡査     …… 金田 明夫(49歳)
漁師の竹蔵    …… 井上 康(36歳)
復員服の男    …… 東田 達夫(47歳)
お小夜      …… 田村 友里(32歳)
鬼頭 千万太   …… 伊藤 竜也(27歳 当時、上川隆也の付き人だった)
鬼頭 一     …… 並木 大輔(24歳)
鬼頭 嘉右衛門  …… 二世 笑福亭 松之助(78歳)

主なスタッフ
演出 …… 吉田 啓一郎(56歳)
脚本 …… 西岡 琢也(47歳)
音楽 …… 川崎 真弘(54歳)
エンディングテーマ『 Days』(歌・中森明菜)


 出ました、金田一耕助シリーズでもド定番の鉄板名作『獄門島』! しかも、非常にレアな上川隆也版でございます!!

 上の情報にもありますように、本作はあの TBSの古谷一行版がまだまだ現役だった時期、フジテレビの鶴太郎版シリーズと稲垣吾郎版シリーズとの間という、金田一映像史上においても非常に繊細なタイミングで放送されていた、テレビ東京の上川隆也版シリーズの第2作となります。第2作なのですが、と同時に、2024年時点ではシリーズ最終作となっております……2作で終わっちゃったんか~い!!

 作品の内容に関する感想は後でまた触れますが、本作、改めて観てみても、特に決定的に悪いような要素もありませんし、金田一を演じる上川さんも気力体力共にノリノリな時期ということで( NHK大河ドラマ『功名が辻』の主演はこの約3年後)、このシリーズが打ち切りになるような気配はまるでありません。当時、この作品が放送されたテレ東の『水曜女と愛とミステリー』枠も、テレ朝の『土ワイ』や日テレの『火サス』に負けない有力コンテンツをということで、この上川版をこれ以降も推していく算段だったのではないでしょうか。

 それじゃ、一体全体どうして上川版シリーズがこの『獄門島』でおしまいになっちゃったのかと言いますと、これはどうやら、本シリーズ2作の演出を担当した吉田啓一郎監督に関して、奇しくもこの『獄門島』放送の2ヶ月前にあたる8月12日に新作ドラマ『西部警察2003』の撮影中、出演俳優の乗車した車両が見物人を負傷させてしまう事故を起こしてしまったため、業務上過失致傷罪で起訴猶予になったことが大いに影響していたような気がします。この後、吉田監督は約3年間の活動自粛を経たのちに復帰されているらしいのですが、上川さんのスケジュール的にも、このシリーズが復活するタイミングは完全に逃してしまったようです。別に、令和の今、ひょっこり復活してもいいと思うんですけどね! 上川さんもまだまだ還暦手前で若いし。
 なんてったって、今現在、地上波テレビ局で2時間サスペンスドラマの新作を制作放送してるのは、テレ東の『月曜プレミア8』の枠だけなんだもんな(ただし月1ペース以下の不定期放送)! 時代も変わりましたね~。

 さてさて、そんなこんなで不運にも新進気鋭の上川シリーズの最終作ともなってしまったこの2003年版『獄門島』ですが、放送局が違うとはいえ、古谷一行版と共に、次代の稲垣吾郎版シリーズの誕生までの重要なつなぎ役となった作品でもあります。その吾郎シリーズでもこの『獄門島』は映像化されておらず、次に映像化されたのはあの PTSD長谷川博己金田一による2016年版になってしまうのですから、「2000年代唯一の『獄門島』」として、この作品をとくと味わってみたいと思います。
 思い起こすと私、この2003年バージョンって、初放送時は終盤の謎解きシーンだけをなんとなく見たかな~、くらいの記憶しかなかったんですよね。今回、およそ20年ぶりにちゃんと観れたぜい!

 そいでもって、実際にこの『獄門島』2003エディションを視聴してみての私個人の感想なのですが、

まじめな映像化のようで、実はムチャクチャやっとるぞこれ!!

 というものでした。
 う~ん、8割がた、原作に忠実な内容のような顔をしてる2003年版なのですが、最後の土壇場になって驚愕のアレンジが発覚するんですよね。
 この変更はね……結局、結末は原作とそうそう変わらないので、意外と印象に残らず流してしまう人もいるかも知れない(セリフ処理が主なので映像的にちとわかりにくい)のですが、私としましては、原作小説において連続殺人が決行されてしまった成立状況の「真の恐ろしさ」に気づかせてくれる、非常に重要な示唆だと受けとめました。
 ぶっちゃけ、2003年版の状況だと、連続殺人は発生しなかったんじゃなかろうかと思っちゃうのよね……いろいろと発生条件が変わっちゃうような気がするんだよなぁ。

 まぁ、そういった最重要問題は置いておきまして、まずはさらっとしたアレンジポイントから。

 非常にありがたいことに、いつもお世話になっております Wikipediaの『獄門島』記事では、映像化された各バージョンにおける原作小説との相違点が列記されております。もちろん、それを鵜呑みにするわけにもいかないのですが、参考としてそこでの言及を元に、本作と原作小説との違いを振り返ってみましょう。

原作小説と2003年ドラマ版との相違点
1、昭和二十一(1946)年の春に発生した事件になっている(原作小説では同年10月5日に第1の殺人が発生)。
2、金田一は釣鐘を輸送する船で獄門島に上陸し、ほぼ同時に鬼頭千万太の戦死公報も到着する(原作小説では金田一の獄門島来訪は9月下旬で釣鐘の帰還と千万太の戦死公報の到着は10月3日)。
3、島の寺の名は医王山千光寺ではなく「仙光寺」で、屏風には俳画ではなく句の短冊が貼られている。
4、劇中で医者の幸庵が、鬼頭与三松は労咳のため屋敷の座敷牢に隔離されていると語っている。
5、月代、雪枝、花子は年子ではなく三つ子で、鬼頭一は早苗の兄でなく弟となっている。
6、原作の勝野と床屋の清公、磯川警部が登場しない。
7、鵜飼章三と鬼頭三姉妹との恋文の交換には山中の「愛染かつら」ではなく「恋ヶ浜の地蔵」が利用されている。
8、鬼頭花子の殺害時に、了然和尚が寺へ続く石段を登っていた時の提灯が見えるくだりがカットされている。
9、原作小説で非常に重要なキーワードとなる了然和尚の「ある発言」がまるごとカットされている。
10、島に逃げ込んできたのは、東京から逃げてきて瀬戸内海の海賊に加わっていた殺人犯であり、それを追いかけて東京警視庁の等々力警部が島にやって来る。
11、鬼頭早苗がラジオの『復員だより』を聞かなくなった描写、医者の幸庵が骨折した描写、山狩りの際に早苗が与三松を解放する描写が無い。
12、了然和尚が了沢へ伝法するくだりがない。
13、事件解決後の犯人たちの末路が原作小説と違う。
14、鬼頭嘉右衛門と与三松父子の扱いが原作小説から大幅に変更されている。
15、原作小説とは逆に早苗の方から金田一に一緒に島外へ出ようと懇願するが、結局実現しなかった。

 こんな感じで、目立ったものでも10個以上の変更点があることがわかります。いや~超デカいのあんねぇ!

 でも、これは文庫本にして300ページ以上ある長編小説(それでも横溝ワールドの中で『獄門島』は軽量級の方ですが)を正味90~100分(本作は95分)のドラマサイズに収めるためには必要な変更もあるわけですし、無理もない数と言えるでしょう。尺たりんけん、しょうがない!

 具体的に上のポイントを整理してみますと、2、6、8、11、12の変更点が、おそらくは本編時間の都合でカットされたものかと思われます。いろいろ優先順位を考えればやむをえないリストラかなとも思えるのですが、一つ一つがけっこうミステリー作品としての面白さを支えている味わいポイントなので、これらのカットで犯人当ての楽しみが減じてしまっていることは否定できませんやね。大勢に差はないのでしょうが、ミステリー作品はこういった細部にこそ、原作者の遊び心がこもってるような気がしますよね。

 続いては、2003年版の制作スタッフの「撮影上の都合」で生まれた変更点です。上の一覧を見てみれば、1、3、5、7、9、10がそれにあたるでしょう。
 いや~、この中ではなんてったって9、が一番でかいやね! いや、そこカットする!? でも、まぁカットするかぁ! 地上波テレビ放送だし。

「きちがいじゃが仕方がない。」

 ね~……もうこれ、原作小説『獄門島』を代表する謎と言っても間違いはないし、ほんとに原作を読めば読むほど、いろんな解釈の可能性が何重にも重なっているスルメワードなんですよね。ここをカットしちゃう……かぁ。
 まぁ、無くしたものを未練たらしく語ってもしょうがないのでこれ以上は申しませんが、この発言を無くしたせいで本作は、おそらく撮影時期(2003年の春先?)に即して春の事件になりましたし、鬼頭与三松や三姉妹の精神状態が普通じゃないという、放送倫理的に危うい設定からも解放されました。
 でも、これが「解放」と言えるのかどうか……どっちかと言うと緊張感が無くなったというか、「タガが外れちゃった」みたいな感じで、作品全体の統一感が無くなってフワフワしちゃったような気が強くするんですよね。これは、後で言う「最大の問題点」に関しても、そうです。
 例えば、「春の事件」になったことで、本作は「分厚そうなマントをまとった金田一が瀬戸内海の孤島にいる」という、原作小説のどこにもなかった激レアな状況を生んでいるのですが、春なのになんで第3の殺人で「萩の花」が殺人現場に置かれていたんだ?という問題を発生させてしまっています。いやいや、萩は字の中に「秋」があるでしょ!? こっちのほうが……モゴモゴ。
 なんだ? 犯人は去年の秋に採った萩の花を、ドライフラワーにして半年も大切に保管していたのか? それとも、昭和二十一年の瀬戸内地方に萩の造花を売ってるダイソーかセリアかキャンドゥでもあったのか!?

 「仙光寺」の変更も、なんでそうなったのか全然わかんないし……単なる読み間違いとしか思えませんよね。
 ただ、三姉妹がマナカナ150% 増量キャンペーンで三つ子になった点と、磯川警部じゃなくてはるばる東京からやってきたプリティ梅雀等々力警部になっていたのは、面白いお遊びだと感じました。作品自体に何の影響もありませんしね。
 それにしても、マナカナさんの演技はぎこちなかったな……やっぱ、ふつうの現代劇とは演技の勝手がまるで違うんでしょうね。死に顔はなかなか素晴らしかったですけど!

 そいでいよいよ、2003年版でも特に、原作小説から大きく変わることを承知の上で変えたと思われる、3つのポイントに関して考えていきましょう。
 あの、いちおう、我が『長岡京エイリアン』では小説、映像作品を問わず、ミステリー作品の話をする時は「犯人は××ですが」みたいなネタバレは極力避けるように努めております。これはマナーだからということはもとより、そう書いた方が楽しいからそうしているのですが、ここ以降の文章はどう頭をこねくり回しても犯人が誰かが類推できるような話ばっかりになりますので、原作小説や2003年版ドラマをこれから楽しむつもりだよという方は、お読みにならないことをお勧めいたします。
 まぁ、そのどっちも知らないで、こんな太平洋戦争末期の南方戦線みたいなガジュマル密林文章地帯に迷いこむ人はいないでしょうけどね……生きて戻ってこいよー!!


○ポイント13、事件解決後の犯人たちの末路が原作小説と違う。

 最初に言っておきますが、この2003年版『獄門島』における「実行犯の設定」は、原作小説から変わっておりません。
 ですので、2003年版はクライマックスでの上川金田一の、いかにも名探偵らしい事件解明パートが終わるまではとことん、「了然和尚のあの発言がない」という一点以外は、おおむね原作小説に忠実な映像化という印象が強いです。
 だいたいにおいて、本作はサスペンスドラマらしく実直で手堅いキャスティングで、金田一を演じる上川さんも原作通りに若々しい青年として、結果としては千万太が守ってくれと言い遺した三姉妹をみすみす死なせてしまう痛恨の苦杯は舐めるものの、悪戦苦闘の末に事件の真実にたどり着く名探偵を好演しています。パートナーの梅雀等々力警部との相性も抜群でしたね!

 ところが、金田一の推理の説明も終盤にさしかかり、犯人も観念して自白に近い述懐をつぶやいたかなという土壇場になって、突如として血相を変えた早苗が犯人に駆け寄り、なにやら意味深な発言をしたあたりから俄然雲行きが怪しくなり、その後は原作小説に無かったもう一つの「驚愕の真相」が明らかとなるのでした。これについては、また後で。

 まず私が言いたいのは、この2003年版オリジナルのエピローグによってすり替えられた、原作小説の「驚愕のラスト」についてです。具体的に言いますとそのラストとは、「鬼頭一が復員するという情報が嘘で、一は戦死していた」という真実が金田一の事件解明と前後して獄門島にもたらされ、その結果として犯人のうちの一人が発狂し、もう一人が憤死してしまうという展開なのです。
 念のためですが、鬼頭一の名前は「ひとし」と読みます。間違っても「はじめ」とか「きとういち」と読んではいかんぞ! どういうこと、はじめちゃん!?

 この、鬼頭一の戦死公報自体は2003年版でもラストに持ってこられるのですが、公報が獄門島に届くタイミングが微妙に遅れており、金田一の説明が終わって犯人のうちの2名が無事に逮捕された(もう1名はすでに自殺)後に漁師の竹蔵さんが知らせに来るので、原作ではかなりドラマティックに、かつ悲惨に描かれていた犯人たちの末路がかなりソフトなものになっているのです。
 ここがソフトになった理由はいろいろ考えられるのですが、おそらくはドラマとしての展開の最高潮を、次のポイントである「金田一と早苗のロマンス」に持っていき、サスペンスドラマとしてすっきりした後味のラストにしたかったという脚本としてのねらいがあったのではないでしょうか。

 うん……気持ちは、よくわかる! でも、この改変によって「鬼頭一さえ帰ってくれば……」という連続殺人断行にいたった最大のキモがだいぶ小さく見えてしまったのではないでしょうか。だって、殺人すらいとわなかった大のおとな2人が狂ったり死んだりするほど重大な問題だったのに、そこらへんが曖昧になっちゃうんだよなぁ、原作小説の因果応報な犯人たちの末路が無くなっちゃうと。

 あと、おそらくなのですが、脚本家の人と言うか、2000年代当時の価値観を持った人が1940年代の『獄門島』という小説作品を読んだ時に、「いやいや、そんなに簡単に人が憤死なんてするわけないじゃん。ホラー映画の失神じゃないんだからさぁ。」という思いがあったのかも知れません。

 つまりこの「犯人の憤死」という原作小説での展開をみて「そうはならんやろ……」と修正を加えたのが2003年版であり、「ンなっとるやろがい!!」と強引に押し通したのが2016年版だった、と言えるのではないでしょうか。どっちかっつったら、私は2016年版の方がパワフルで好き♡

 2003年版って、実直ではあるのですが、なんか「常識的にそれは、ないよね。」という醒めた判断で原作小説の世界を矮小化しているようなタッチも感じられる気がします。まぁ、そこは2時間サスペンス枠での映像化なんですからね、しょうがねっか。


○ポイント15、早苗の方から金田一に一緒に島外へ出ようと懇願するが、結局実現しなかった。

 ここはもう、本作での早苗が、原作小説と違って金田一とほぼ同年代の「立派なおとな」であるということと、本作を放送した枠が『女と愛とミステリー』であるという厳然たる事実から生まれた「お約束」のような改変であるような気がします。もう、いいとか悪いとかじゃなくて、高島礼子さんなんだからそうしなきゃいけなかったの!!

 原作小説における早苗の年齢は22、3歳ということで、ちゃんと大人ではあるのですが獄門島の社会に今一つ馴染めていない部分もありますし、何と言ってもただ一人の頼みの綱である兄の一がいないという窮状から、作中でもかなり金田一を翻弄させてしまうトラブルメイカーというか、ブービートラップ要員になってしまっております。この立ち位置、『獄門島』と同じかそれ以上に有名な金田一シリーズの長編小説に出てくるヒロインとほとんど一緒なんですよね……似てんだよなぁ、『獄門島』と、その超有名長編って。
 それに対して2003年版の早苗はといいますと、一の「姉」という変更もあってか、もはや母性に近い鉄の意志で「一が帰って来るまで鬼頭の家を守ってみせる……!」と生き抜く芯の強さのあるキャラクターになっているのです。原作小説のか弱さやはかなさは、皆無ですよね。
 ただ、そんな彼女が「一の戦死」という残酷きわまりない事実を突きつけられてついに折れてしまい、一に代わる存在として金田一に救いを見いだして「私、こんな島嫌いです!!」と本音を叫ぶ流れは、非常にドラマティックで良かったのではないでしょうか。

 でもそれ、ミステリーとしての『獄門島』の物語とはちょっと乖離しちゃってるし、金田一に抱く「本土の理想」も、一時的な感情からきた現実逃避っていう意味合いが強いですよね。だからこそ、20歳そこそこの小娘ではない2003年版の早苗は自分で冷静になり、金田一の出航には姿を見せなかったのでしょう。

 「一の戦死」という最後の一手を犯人たちの破滅に持ってこずに、早苗の女性としての解放に使ったという2003年版の判断は、それはそれでドラマとして良いかとは思うのですが、結局、島の有力者一族の跡継ぎという拘束からは逃れられないという原作小説の呪縛は依然としてガッチリ残っているのでした。高島礼子さんの早苗もまた、無惨やな。


○ポイント4と14、鬼頭嘉右衛門と与三松父子の扱いが原作小説から大幅に変更されている。

 それでいよいよ、本作最大の問題的アレンジとなるわけなのですが、要するにこれ、犯人たちを連続殺人事件の凶行に走らせた「黒幕」の影響力を、原作小説以上に強めようとして加えられた改変なんですよね。たぶん、そういう意図があったんじゃないでしょうか。

 でも、これ……影響力、強くなってんのかな。

 ここで私が強く思うのは、「生きてる人と死んだ人、どっちのほうが影響力があるのかな?」っていう疑問なのです。

 おそらく、この2003年版の脚本は、「黒幕が生きてて犯人たちを監視してる方が強いでしょ!」という確信を持ってこのアレンジを加えたのだろうと思います。実際にこの采配は、全く同じではないのですが、すでに過去の『獄門島』映像作品にて使われた手でもあります。前例あんのかよ!
 でも、2003年版における「生きている黒幕」は、演技でなくかなり重い病状で寝たきりの状態だったらしいのです。これは……犯人たち、うまくごまかして連続殺人計画なんかうやむやにして、黒幕がおっ死ぬのを待ってればよかったのでは? ボケてたんでしょ?

 ここで私が言いたいのは、そういう重箱の隅を突っつくようなツッコミじゃなくて、「連続殺人計画の決行を監視していたのは誰なのか」という問題なのです。そして、ことこの「黒幕の生死」設定をいじくってしまったがために、2003年版の「監視者」は、原作小説のそれとは全く別のものに変わってしまっています。

 すなはち、2003年版の監視者は「生身の黒幕人物」で、原作小説の監視者は「犯人たちの相互監視」です。相互監視の根本原理になっているのは言うまでもなく「死亡した黒幕の遺言」なわけなのですが、原作小説で犯人たちを犯行にけしかけたのは黒幕の幽霊などでは決してなく、あの人の遺言なんだから計画を実行するのがこの島のため最善の道だと決めつける責任転嫁の論理と、そうは言っても互いに誰がいつ極秘の犯行計画から離脱、離反するかわからんと言う疑心暗鬼の関係から「早くやっちゃって楽になろうや」という思考停止の状況なのです。
 これはねぇ、恐ろしい状況です。計画した黒幕が死んで不在だからこそ、形を持たない「疑いの力」が、生前の黒幕以上の強さを持って犯人たちをがんじがらめにしていると見てもよいのではないでしょうか。これ、この小説に限った話でなく、けっこう現実の組織でも生じることの多い、怖すぎる状況じゃないですか? 秘密を共有しているメンバーが互いを疑う力自体が、計画を無理やり動かす原動力になってしまう。そこにはもう、ショッカーの大首領みたいな具体的なカリスマ黒幕なぞ必要なくなってしまうのです。頭の無い集団の暴走。これは怖いぞ~。
 繰り返しますが、原作で犯人がつぶやいていた「修羅の妄執」というのは、死んだ黒幕の怨念などではなく、生きている犯人たちにとり憑いて生き延び続けている「殺さなければならない」という強迫観念のこと、つまり行きつくところは犯人たちの心の問題なのです。黒幕が生前どんなに強い権力を持った人物だったかとか、そんなことは死んだら全然関係なくなるというのに、それを捨てられないでいる人間の心の弱さ……なので、この『獄門島』の犯人たちって、そうとうに情けなくてみじめな人達なんですよね。でも、それが人間なのだという。

 結局、横溝先生が原作小説で犯人たちの愚行を通して訴えたかったのは「猜疑のみで心の無い集団」の生み出す悲劇のむなしさ、だったのではないでしょうか。先生はおそらく、太平洋戦争の惨禍の原因に、軍部独裁の暴走がどうとか帝国主義への追従がどうとかじゃない、こういった集団心理の恐ろしさを見たからこそ、この『獄門島』を世に問うたと思うのです。
 そして、反戦からはやや離れるのですが、こういった集団心理の醜さ、恐ろしさをさらに突き詰めた発展形が、まさに「黒幕が完全に死んだ状態」からでないと物語が始まらない、あの超有名長編小説に結実していくわけなんですよね~。「お父様、ご遺言を。」からの、ノトーリアス・B・I・G 発動ォオオ!!

 だからこの『獄門島』は、ディティールとして復員詐欺だの戦死公報だのといったキーワードを使っているだけにとどまらず、物語の頭からしっぽの先まで完全無欠の反戦小説だと思うのです。こんな重いテーマを扱いながら、同時に驚くべき完成度のミステリー小説に組み上げてしまう横溝先生……その才は五大陸に鳴り響くでぇ!!

 なので、そこらへんをやや安易に解釈して「黒幕がちゃんといた方がいいでしょ。」としてしまった2003年版は、原作小説のものすごさを逆に証明してしまう失敗例になっちゃったような気がするのです。
 だいたい生きてるったって、犯人たちをちゃんと監視できる状態じゃないもんねぇ。犯人たちもバカじゃないんだから、失敗する可能性の方が高いこんな計画、絶対にやらないと思うんだよなぁ。へいへいって適当に返事をして死ぬのを待つのが一番でしょ。
 黒幕の命令がどうとかじゃなくて、「犯人たちにとってもお小夜の血を引く三姉妹が邪魔だった」という動機も2003年版は匂わせていたのですが、こちらもこちらで、その動機で果たして犯人たちが結託できんのかなっていう疑問はあります。だって下世話な話、互いにどう低く見積もっても「三姉妹の実父じゃない確率80%」なんでしょ(お小夜と肉体関係にあった人物が5人だとして)? そんな、自分が8割がた関係の無い犯罪計画にあーた、参加しますぅ?


 とまぁ、いろいろくっちゃべってるうちに字数も1万字を超えましたのでいいかげんにいたしますが、やはりこの2003年版もまた、原作小説の偉大さを再確認させてくれる有意義なバージョンでありました。やっぱ、そうそう安直に手を加えていい完成度の作品じゃないのよね~、という教訓が、ここにも。
 いや~、2016年版までに7バージョンの映像化作品のある『獄門島』なのですが、やっぱり、私個人としてのベスト『獄門島』は、鶴太郎&フランキー堺の鎌倉滅亡コンビによる1990年版かなぁ。でも、これは多分に思い出加点要素が大きいので、いつか BSかどこかで再放送してほしいですね~。

 最後にもう一つだけ、ある意味でこの2003年版最大のミステリーかも知れない、この意味深発言を。

 物語の中盤にて、等々力警部がはるばる東京から瀬戸内の獄門島までやって来た経緯を金田一に説明するくだりがあり、その中でこういうセリフのやり取りがあったのですが……


等々力 「三月前に起こった巣鴨の女給殺しです。ホシの復員兵が、岡山の戦友に誘われて海賊の一味に加わったとの情報を得ましてね。」

金田一 「おとといの海の大捕り物は、それですかぁ。」

等々力 「ええ。しかし見事に逃げられました……で、清水巡査から島で連続殺人が起きたと聞き、もしや私が追ってる殺人犯が島に潜入したかも知れんと思いましてね。」


 え……「連続殺人」? 「連続」!? 等々力警部が島に来た時点では、殺されていたと判明しているのは花子ちゃん一人だけでは……
 ここにきてまさかの「清水巡査も共犯説」!? あんなコメディリリーフ然としたオコゼみたいな顔しといて、その真の姿は……ギャ~!!

 いや~、『獄門島』って、ホンッッッットに! いいもんですねェ~。それじゃまた、ご一緒に楽しみましょ~。

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