代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

文科省の天下りによる大学汚染(『東京新聞』の記事紹介)

2014年09月01日 | 学問・研究
 本日(2014年9月1日)の『東京新聞』の特報面は、文科省の国立大学への天下り問題を特集していた。本年4月付けの統計で、国立大学の課長級以上の管理職に、合計239人の文科省からの出向官僚が在籍しているという(国立大学の全管理職中の1割)。これは自民党の無度撲滅プロジェクトチーム(PT)(河野太郎座長)の求めに応じて文科省が提出した資料中にあった数字とのこと。自民党無駄撲滅PT、グッド・ジョブです!
  
 文科省は、国立大の独立行政法人化以降、天下りは減っていると強弁しているが、大学運営に責任を持つ幹部級にしぼれば天下りは微増しているとのことであった。また、東京新聞には私大への天下りについての言及がなかったが、私大への天下りは増えているので、文科省官僚の国立・私大あわせた天下り総数は増えているのではなかろうか。


日本の官僚組織の行動原理

 国立大学では、独立行政法人化にともなって「副学長」というポストが新設され、その副学長職は文科省の天下り官僚の恰好の受け入れ先にされてしまった。東京新聞の記事によれば、86ある国立大学の中で、副学長のポストには26人の文科省から天下りがいる。そして、6月に成立した改正学校教育法では、恥ずかしげもなく、副学長の職務権限が強化されている。
 
 そもそも国立大学の独立行政法人化は、各大学が国の統制下から外れて、独自性を強めて特色のある研究を促すことにあったはずである。しかし実態はまるで逆。教授会の自治は失われていき、文科省官僚の統制は強まっている。官僚が「自由」とか「特色ある」とかいうスローガンを掲げて「改革」を促すと、なぜか天下りがやってきて、「不自由で息苦しい」雰囲気が醸成され、「特色」も「独自性」もなくなっていく。霞が関の文章は書いてあることの逆に解釈するとおおむね正しいということなのだろうか。 


 日本の官僚組織の基本的な行動原理は、何か口実を見つけて予算枠を増やすこと、組織権限を拡大すること、天下りポストを増やすこと、にあるといってよい。
 
 今回の理研の問題にしても、それを口実に、「論文不正の防止のため」とかいって大学に新しいポストの設立でも強要され、大学に天下る官僚は増えていくのだろう。そして現場の研究者は、文科省からの要請によって、どうせ「論文不正防止自己点検評価報告」とかいったくだらない名目で書類を書かねばならない量が増えるのだろう。理研のような研究機関は、官僚の天下り先拡大の恰好の標的となるだろう。


 断言するが、官僚に支配されればされるほど、研究の質など落ちていく。独創的研究が生まれる必要条件は、自由闊達な議論ができる弁証法的な雰囲気にあるかにかかっている。しかるに文科省官僚ときたら、自分たちが支配を強めれば強めるほど、よい研究が生まれると本気で考えているようだから、もうお笑いの対象でしかない。だいたい、自分でまともな研究もしたことのない連中が研究現場に介入して、日本の研究環境がよくなるわけないのだ。彼らが口出ししようという発想自体、厚顔無恥も甚だしい。


文科省官僚が真に出向すべき先は現場の教員

 
 お盆休み中に、高校の同級会に出かけてきた。同級生には小学校、中学校から大学の教員まで揃っているが、どこの現場でも、文科省が何かやるごとに、書かなきゃいけないくだらない書類は増え、くだらない報告書が増え、雑務が増え、授業の準備の時間は減るとのことで、みな悲鳴をあげていた。「あんな苦労して書いた報告書を彼らは本当に読んで、それを活用する意志はあるのだろうか? 疑わしいので、試しにまるでデタラメな文章書いて送ったが、何も言われなかった。読んでないに違いない」と。文科省は、それを書かせることそれ自体が目的で、それを通して権限を強化し、現場を支配することに意義を見いだしているだけなのだ。そんな無駄な時間を浪費するのではなく、その時間を研究や授業の準備に費やした方が、どれだけ日本の未来のために有効だろう。

 文科省官僚は「人事交流」と称して、研究・教育現場へ管理職を派遣し、支配を強化している。真に文科省官僚が人事交流として出向すべきは、小・中・高の教員であろう。管理職ではない。
 文科省官僚には教員免許の取得を義務づけ、定期的に現場で教員をやるべきだ。児童・生徒たちと真剣に向き合って、現場で汗を流しながら、日本の教育について考えるべきなのだ。自分たちのやっていることがどれだけ間違っているか少しはわかるであろう。
 
 

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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-09-04 06:13:55
良い記事を読ませて貰いました。国立大学の学費がずっと高くなり続けている事をおかしいと思っていましたが、やはり天下りの影響でしたか。コメントが全く無いあたり、この国の未来は暗いですね。
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Unknown (Unknown)
2015-11-27 20:18:28
田中真紀子さんは正しかったわけか。
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非常勤暮しなど官僚には関係ない (非常勤講師ン年の大学教員)
2016-06-21 17:02:40
天下り先として大学がいちばん手頃であり、大学が文科省の思い通りにできるという意味で、官僚のあいだで大学が草刈り場になっています。
  国際やら環境のついた学部の新設が相次いだように、今は政策のついた学部だとかカタカナ学部が増えています。○○政策学部なんてところには、元官僚が必ずいます。
 また、昔からの学部でも、ひとつくらいは官僚割り当ての席を最近は用意しています。
 こういう椅子が用意されるとなると、それを事前に知らされた官僚は、数年前からせっせと関連ある論文(もどき)を書いて本数をかせぎ、天下りするのです。
 メディアにもよく登場するN氏の『あるキャリア官僚の転職記』にはアマゾンで「公務員から公務員の横滑り指南」ほか、羨望のレビューが記載されています。
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Unknown (大学教員某)
2016-08-11 02:49:54
最近書類を読みながらぼんやりと考えていたことがここにまさに書かれておりました。
悲しいことに、文科省の大学改革の弊害については政治色を増しつつあるテレビ報道などでも一切触れられることがないですね。
近年のノーベル賞を支えていた、昭和の日本の最高峰の理論科学研究はこのまま絶滅するのでしょうか。
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皆様コメントありがとうございました ()
2016-08-20 00:40:42
>昭和の日本の最高峰の理論科学研究はこのまま絶滅するのでしょうか。
 
 同感です。大学に自由闊達な議論ができる空間があった昭和の頃の研究が、平成のノーベル賞につながっているのに、文科省はまったくそれがわからないみたいですね。

 彼らが管理を強めて、論文の数が増えたところで、ブレークスルーを起こすような学術的な有意味な研究は、ますます出なくなっていくでしょうね・・・・。
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