代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

速水佑次郎の関税政策論

2012年12月27日 | 自由貿易批判
  世界的な開発経済学者の速水佑次郎氏が亡くなられた。心よりお悔やみ申し上げます。
 折しも私は、近著において、ポール・クルーグマン氏と速水佑次郎氏の貿易論を比較しながら、「速水の方が(クルーグマンより)学者の資質として数段は格上である」と書いていた。追悼の意味を込めて、拙著のその部分を引用させていただきたい。速水氏は、関税政策の重要性を十分に強調されていた。

***拙著『自由貿易神話解体新書』(花伝社)pp.72-73より引用*****

 幼稚産業保護論に関しては、速水佑次郎の『開発経済学』(創文社、一九九五年)の記述が比較的フェアである。速水の教科書には、リストの提唱した保護関税政策が一八七九年にドイツのビスマルクに採用され大成功を収めたこと、米国も関税によって国内産業を保護しながらインフラを整備する政策で成功を収めたことなどが過不足なく述べられている。速水はアメリカの関税政策について次のように論じている。
 
また特記すべきは、この「開発主義的市場経済」体制の採用において米国はドイツに先駆けていた点である。初代財務長官アレキサンダー・ハミルトンによって提唱された「アメリカ・システム(The American System)」とは、自由貿易に基づく「イギリス・システム」と対抗して、関税障壁によって国内産業を保護するとともに、関税収入をもって道路や運河を建設し、国内市場の融合・拡大を図るという開発モデルであった。この主張に従って一九世紀の米国は世界で最も高い関税を設定する国となった。リストの幼稚産業保護論は、彼が一時亡命していた米国での観察にもとづき発想されたものであった。(速水、前掲書、234頁)


 保護関税政策のオリジナルはアメリカにあったのだ。「ドイツ人のリストが考案した幼稚産業保護論」というよりも、「アメリカの初代財務長官ハミルトンが考案した…」と言い換えた方が正確かもしれない。そう言った方が、米国の経済学者もそれを否定しづらくなるのではあるまいか。
 独立当初のアメリカ合州国のような新興国においては、関税こそがもっとも安定して信頼できる財源となり得る。関税は、自国の産業を保護するという目的のみならず、国造りのための産業インフラ整備のための財源としても必要不可欠なものであった。
 クルーグマンの教科書では、関税を駆使して近代化を成し遂げた自国の成功事例も真剣に検討されていない。最低限、保護関税政策の成功例と失敗例を併記すべきであろう。これでは、経済学者のドグマである自由貿易理論を正当化するため、保護関税政策の失敗事例ばかりを恣意的に選んで並べているのではないかと勘繰られても仕方なかろう。クルーグマンと速水の教科書を比べれば、速水の方が学者の資質として数段は格上であるように思われる。

*****引用終わり**********



  
 


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