代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

週刊エコノミストが自由貿易を批判的に検討する特集

2017年03月21日 | 自由貿易批判
 本日(2017年3月21日)発売の『週刊エコノミスト』は、「歴史の学ぶ良い貿易 悪い貿易」と題して、自由貿易を批判的に検討する特集をしております。



 特集の巻頭記事は、「自由貿易にウンザリ 沈みゆく中間層」というもの。ビジネス誌としては、これまでにない勇気ある主張だと思います。

 担当編集者さんたちが、拙著の『自由貿易神話解体新書』(花伝社)という本を読んでくださって、私のところにも執筆依頼がきました。そこで私も「揺らぐ比較優位説 現実離れした自由貿易モデル 「新古典派」の過度な数学信仰」という記事を寄稿しております。興味ある方はご参照ください。

 今年は1817年にリカードが比較生産費説を提唱してからちょうど200周年の節目になります。この200周年の節目にリカード理論はかつてない批判にさらされている現状を述べ、古典派のリカード・モデルも、新古典派のヘクシャー=オリーン・モデルも現実からかけ離れた机上の空論であると論じています。
 その上で「国際協調と自由貿易を堅持し、排外主義を抑制しよう」という言説が全くの誤りであり、現実には自由貿易こそが穏健な人々を絶望に追いやり、排外主義を高めている主因であると論じています。

 自由貿易の「タブー」に切り込んだ、勇気ある特集を企画した編集部に敬意を表します。私は、「こんな特集をすれば、経済学者やエコノミストからごうごうたる批判がきますよ」と申し上げたところ、「すべて編集部で対応します。覚悟の上です」とのことでした。
 
 自由貿易に肯定的な方も批判的な方も、ぜひご一読ください。


目次
〔特集〕良い貿易、悪い貿易 
★自由貿易にウンザリ 沈みゆく中間層=大堀達也/谷口健
★わがまま大国 米国の本質は保護主義=米倉茂
★「自由貿易で成長」のウソ 戦後日本は“保護貿易”で発展した=中野剛志
★Q&Aで学ぶ 今さら聞けない貿易と国際分業の基本と理論=白波瀬康雄
★揺らぐ比較優位説 現実離れした自由貿易モデル 「新古典派」の過度な数学信仰=関良基
★自由貿易が格差を生む 100年前にもあった大転換 製造業没落で中間層の受難=柴山桂太
★米中激突なら米企業大打撃 米国車は中国製部品に依存=羽生田慶介
★米中激突なら米企業大打撃 高関税で損するのは米国=真家陽一
★保護貿易の背景 世界貿易の4割は新興国 中国台頭で多極化した世界経済=郭四志
★大英帝国が始めた自由貿易 特権階級の蓄財に利用 食糧難で平等と正義を成しえず=川北稔


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4 コメント

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関さんの論文記事から自由貿易モデルの問題性を学び、そこから考えたことについて。 ( 睡り葦 )
2017-03-26 16:54:06

 関さん、『週刊エコノミスト』2017年3月28日号特集「歴史に学ぶ 良い貿易 悪い貿易」へのご出稿ありがとうございました。
 見開き2ページにリズミカルにおさめられた論点の配置とそのつながりが的確明瞭で、きびきびとした、知的にドラマティックな叙述が非常に印象的です。すみません、えらそうなことを申しまして。
 さらに失礼なことを申しますと、自分の頭で考えて事実にもとづいて明快に書く、真の意味でのジャーナリストの記事とはこのようなものではないかと思いました。理系の研究者にしてそのようなセンスをお持ちであることに感嘆いたしております。

 御論文記事の中心に置かれたリカードとヘクシャー=オリーンによる、いわば「演繹モデル」というべき自由貿易論の三つのポイントについてのご説明はきわめて刺戟的で、狭い範囲での自分の職業的体験と見聞から考えてきたものと不思議に音を立てて結びつくように思われました。
 関さんの三つのご指摘をどのように自分なりの問題意識で受けとめたか、取り急ぎまとめてみます。

 まず、両モデルが持つ「供給は需要をともなう」という前提が、現実には過剰生産による資本(設備)と労働(雇用)のスクラップ化(いわゆる「リストラ」)を生み出すこと、これは離れて見ると愚かしい限りなのですが、オジサンたちが「生産性の向上」と「経済と企業の成長」を金科玉条のパラダイムにしていることに対して現実から手痛い復讐があってもそれをまともに認識できないこと、それはなぜだろうと考えてしまいます。

 経済社会というマクロ経済において、また企業経営というミクロ経済において、マネジメントとは「限られたリソース(稀少資源)の最適な配分をおこなう意思決定の問題」とされているかと思いますが、それによってめざすものは、GDPにせよ企業収益にせよ「無限の成長」なのです。
 じつはこの、日ごろは何らの疑問を抱かずにいることが、主流派経済学の言う市場がもたらす最適ポイントでの均衡というパラダイムがなぜ、成長というパラダイムを生み出すのか、あるいは結びつくのか、なにが介在して静的均衡が言わば動的平衡となるのか、という疑問としてよみがえりました。

 二つ目の、工業と農業の相違の問題は、両モデルが次元の異なるものを強引に並列対応させていることを明らかにするものであると思います。
 畜産を含んで考えて農業は、土地と水と太陽光という自然による決定的な資源の制約のもとにあり、同時に「生産」しているものが生物(生命体)である植物や動物であるという、おそらく決定的な特色を持っています。

 農業の持つこの制約を乗り越えるために「農業の工業化」をおこなう、という動きになるわけで、第一次大戦前後の化学工業の飛躍的発展による化学肥料、農薬、保存料・添加物の大量使用、農業機械の大規模導入による食糧大増産に始まり、第二次大戦におけるナチスと帝国陸軍731部隊の人体実験によるバイオ・テクノロジーの戦後の不幸な発展である、遺伝子工学による生命体自体への操作、といった展開となるのではないかと思われます。

 そこですでに農業は両モデルの言う「労働集約型産業」ではなくなり「資本集約型産業」になっている、いえ、そうされているというべきかと思います。飛躍しますが、近年のAIの発展、ロボットの利用の浸透は、さらにその延長にあるものではなかろうかと思ってしまいます。それにどうインタフェイスしてゆくのか・・・。

 三つ目のポイントである、労働力や工場は生産された財のみが国境を越えるという前提の虚構性が、自由貿易協定のもとで食い詰めたメキシコ農民のアメリカへの不法流入という現実からの復讐を受けているとのご指摘には時宜に的確に会うインパクトがあり、まことなるほどと思います。

 週刊エコノミスト同号特集の最後に置かれた、川北稔先生による「大英帝国が始めた自由貿易 特権階級の蓄財に利用、食糧難で平等と正義を成しえず」という論文記事において次のようなショッキングな事実の呈示があります。

 「後に、古典派経済学のもう一人の巨人リカードは、メシュエン条約後の英国とポルトガルの関係をモデルに『比較生産費説』を完成させた。両国がそれぞれに毛織物とワインを自給するより、それぞれがより効率的に生産できるものに特化し、生産物を交換すれば『ウィンウィン』の関係が得られるというのである。/ しかし、結果的には、英国だけが発展し、ポルトガルの開発は滞った。ワイン生産に特化したポルトガルは農業国にとどまらざるを得なかったのである。しかも、そのワイン生産はポルトガルに進出した英国資本が握ってしまった。/ ポルトガルは英国に従属する経済構造となった。ポルトガル領のブラジルの金鉱山で採れた金も、ポルトガルを通過して英国に蓄えられることになる。こうした英国の自由貿易は『最強の重商主義』にすぎず、公平でも公正でもなかった」

 と、「ウィンウィンの支配従属へのすり替え」である資本の国外移動による帝国主義化を指摘されておられます。その川北論文のひとつ前にある、郭四志氏による論文記事において、金融資本主義下の産業経済と企業活動の変容についての言及がありましたが、ITの発達にともなって異次元に飛躍した資本移動に体現される経済の金融化が実体経済にあたえるインパクトは、1980年代以降2007年の世界金融危機を経てなお、世界的金融崩壊の危機として核爆発事故の危険とならんで、ケネディ大統領が警告したダモクレスの剣となって人間の頭上にあるように思います。

 じつは、この間、ある行きがかりからこの金融制度のグローバル化の一環としての国際会計基準の適用の動きを見てみておりまして、会計基準の国際的統一の流れに異議をとなえる稀な学者である大日方隆教授(東京大学大学院)による雑誌『企業会計』(中央経済社)2013年1月号所収論文に次のような叙述があることに出会いました。

 「われわれは残念ながら、地理空間を超えた唯一の最適な基準が存在するのか知らないし、かりに存在したとして、合理的な期間とコストでそれを知りうるのかを知らない。・・・もしも、会計問題が局所性を帯びているならば、会計基準にもまた地域間差異が生じる。それによって生じる「会計規準間の国際的な多様性」は、会計規準間の競争を通じてベネフィットをもたらす面があることも、忘れてはならない。・・・完全なる国際統一は、革新性をなくすだけではなく、学問的な検証の機会も消失させてしまうであろう・・・『IFRSのアドプション(引用者注:国際会計規準をそのまま適用実施すること)によって日本の国際的評価は高まる』と主張する人もいるが、それは当人の希望的観測でしかない。根拠のない発言は、信頼に値しない。まずは、その真偽を確かめてみなければならないであろう」

 と、おそらく学者としては激しさをきわめると思われる表現で経済金融制度の国際的統一の重大な問題性について言及しておられます。
 会計制度は金融的経済制度のひとつであるというのが、乏しいながらの経験的知見ではありますが、その国際的統一の問題について、経済産業制度の国際的統一としての自由貿易、ドルとEUユーロの問題、そして最近のTPPへの動きと関連づけて考える必要があると、関さんの週刊エコノミスト特集ご出稿を拝見してようやく気がついた次第です。

 じつは、駅地下の三省堂で週刊エコノミストを見つけ、そこから駅デパをあがったエスカレーター傍のベンチソファに腰をおろし勢い込んで読みましての印象が強烈で、ひと晩考えて見たものの、最初のインパクトに引きずられたままの投稿となっています。的はずれの思い込みと論点の勝手な引きつけに充ちているであろうと思います。どうかご容赦ください。

 たまたま同じ号にあった、音楽家の小山清さんのインタビューの終わりにあった言葉に逐一考えさせられ深く感動いたしましたので、最後に引用させていただきます。

 「グローバル化が進むなかで、音楽ではどこでも調和するために、均質な音色が求められる傾向があると感じています。70年代以降、フランスではバソンと同じようにクラリネットやホルンも(他の国のように)太くまろやかな音色の楽器が作られるようになりました。/ しかし、音楽というものは本来、ローカルなものだと思っています。その土地の気候、言葉、食べ物、歴史や文化など、いろいろなものが凝縮されて音ができると感じるからです。自分自身を磨き、楽器本来の良さを地道に伝える活動をしていきたいと思います」
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重層的に説得的 (小太郎)
2017-04-09 14:43:16
 『エコノミスト』誌3・28号読みました。関さんの「裏話」,眠り葦さんのこの上のないと思われる「要約」と,ピンポイントに精確な「引用」,これらが醸し出す重層的な醍醐味はブログ上の表現の一つの極致を見る思いがします。メディアミックスの「上限」はない,ということでしょうか。この『エコノミスト』誌には歴史的な価値があるはずです。妄言多謝。
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同心円的ロンドから弁証法的展開へ。 ( 睡り葦 )
2017-04-16 16:07:51

 小太郎さま、いただいたコメントに瞠目いたしております。凝縮されたシンフォニーのような文章をお寄せいただくことを想像すらしておりませんでした。
 うろたえつつ、日をおいてようやく気がつきましたことは、私の思考が関さんの置かれた中心に依拠するロンドであり、関さんが求めておられる「代替案に至る弁証法的展開」にはいまだ途はるか遠いことです。おそまきながらの認識を喚起していただきまして感謝しております。

 同心円的ロンドから弁証法的展開に止揚をはかることができるか、容易なことではないと思いますが、努力(じつはこれが苦手でこれまで人生を誤りました)いたします。
 あつかましいお願いで恐縮に存じますが、どうか今後ともご指導いただきますよう伏してお願い申し上げます。
 
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お詫びと訂正 (小太郎)
2017-04-20 08:07:25
睡り葦さん,お名前を間違えておりました。お許し下さい。過分なるお言葉,勿体ないことでございます。今後ともよろしくおつきあい下さいまし。関さん…お元気ですか。
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