代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

自由貿易・ブロック経済・TPPをめぐる安倍首相と朝日新聞の論理矛盾

2015年09月08日 | 自由貿易批判
 先月、「『戦争の原因はブロック経済』神話の虚構」という記事を書きました。(この記事

 「戦争の原因はブロック経済」として自国の責任を棚に上げるかのような発言をしながらTPPを推進しようという安倍政権の主張がいかにおかしいかを論じました。この点に関して、もう少し補足しておきます。朝日新聞をはじめとする日本のマスコミも基本的には安倍首相と同じ主張です。朝日新聞の主張の変遷をたどりながら、その論理的矛盾を指摘しておきます。
 以下は、拙著の『自由貿易神話解体新書』(花伝社、2012)に書いたことですが、一部抜粋して紹介します。

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『自由貿易神話解体新書』花伝社、2012年:146-150頁より引用(読みやすいように一部修正)

 おかしいのはブロック経済が戦争の原因として、ブロック経済の弊害を説く人びとがTPPを推進していることである。TPPとは、域内の関税を撤廃する一方で、外部世界との関税は維持するわけであるから、ブロック経済の悪夢の再来でしかない。「無差別」で「多角的」という原則を支持する伝統的な自由貿易主義者であれば、差別的・閉鎖的なTPPがもたらすブロック経済化を支持できるわけがないことになる。

 日本のマスコミは、ついこの間までは「ブロック経済の惨禍を繰り返さないため」と叫んでWTOのドーハ・ラウンド推進を掲げていた。しかるに現在では手のひらを返したように、米中衝突を招きよせかねないTPPという危険なブロック経済を礼賛している。彼らが本来あるべき自由貿易論者ではないことは明らかであろう。
 例えば、『朝日新聞』の社説を見てみよう。他紙の社説も本当にひどいので、朝日だけ槍玉にあげて申し訳ないが、論理が倒錯している典型例なので紹介させていただきたい。
 朝日新聞社はGATTウルグアイ・ラウンド交渉の最中であった1992年には次のような社説を書いていた。


 ガットは、保護貿易が背景のひとつとなって始まった第二次大戦の苦い経験から、自由貿易を推進する体制として戦後誕生し…… 世界貿易の拡大に成果をあげてきた。(中略)
 関税化が直ちに国内産米の壊滅につながるという飛躍した発想から、より冷静で現実的な検討に移ってきたのは好ましい。(中略)
 ただ、今回の交渉合意を受けて、田名部農水相が米国との直接交渉を示唆したのは気にかかる。条件交渉は二国間ではなく、多角的なガットの場で行うのが筋だ。(『朝日新聞』1992年1月15日社説)



 この時点で同紙は、原則的な多角主義の立場であった。条件面で折り合いをつけるためであっても日米の二国間のみで行う交渉には反対するという、開かれた多国間主義の原則に立脚していた。また、コメに関しては「関税化」を主張していた。それは正当な率の関税をかけた上で貿易をするという主張であって、もちろん「関税撤廃」などという過激な主張ではなかったはずである。

 朝日は、1993年の11月にはNAFTAに関して、不況時の地域貿易協定はブロック化につながるかも知れないと懸念を表明している。


自由貿易にとって、NAFTAのような地域協定はもろ刃の剣である。世界不況が深まれば、閉鎖的なブロックになり変わるし、好況になれば、世界の自由貿易を推進する補助エンジンになる。NAFTAのブロック化を防ぐには、世界不況からの脱却を急がなければならない。(『朝日新聞』1993年11月19日社説)


 ちなみにこの日の朝日の社説は、NAFTAが米国の雇用に与える影響について「米調査機関の予測では、巨大な米国経済を揺るがすほどの雇用の増減はなさそうだ。メキシコの経済規模は米国の二十分の一に過ぎない」と書いていた。第1章で紹介したようにNAFTA発効から10年でアメリカが失った雇用は69万人と推計されており、NAFTAの見直しは多くのアメリカ国民の悲願となっている。日本の新聞各紙は、過去に無責任に書きなぐった誤った主張に対する反省の念など毛頭ない。そして今も間違ったことを書き続けているのである。

 日本とシンガポールがFTA交渉をしていた2001年5月15日、朝日新聞社は「二国間も多国間も」という社説を掲げ、いつの間にか多国間主義と二国間のFTAは矛盾しないという立場に転じている。

 そしてついにTPP問題が騒がれ出した2010年になると、次のように主張するようになるのである。


TPPに日本が参加すれば、日米を含む巨大自由貿易圏となる。(中略)
世界経済が苦境に陥った今こそ、保護主義で貿易を小さく囲い込むのではなく、自由貿易を広げていくことが求められる。80年前の世界恐慌とその後の世界大戦の歴史の教訓である。(『朝日新聞』2010年11月12日社説)


 
 ここまでくると唖然として言葉を失う。ブロック経済と世界大戦の苦い経験の再来を回避するためと称して、「多角的自由貿易主義」の大義を主張していたはずの朝日新聞が、世界不況下においてTPPのような地域ブロック協定を結ぶことを礼賛する社説を掲げるようになったのだ。しかもそれが、80年前の「世界恐慌」と「世界大戦」の「歴史の教訓」だというのだから驚きである。TPPこそ、恐慌に際してブロック化が進んだ1930年代の悪夢の再来ではないのか? それとも同紙は、「歴史は繰り返す」のを回避することはもはや不可能だから、ブロック化を進めて世界大戦を招きよせるべきとでも言いたいのだろうか。


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2 コメント

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21世紀版「自由貿易帝国主義」ブロックとしてのTPPと、新帝国主義戦争体制を追う安保法案。 (薩長公英陰謀論者)
2015-09-13 23:14:11

 関さん、シロート感覚そのままで申しまして「今より30倍分厚い土盛り堤防をつくれば水があふれても壊れない。その広大な土盛りの上に高層建築を含めた街をつくればいい」という発想はいささかコドモじみた感じがします(子供に失礼かも)。
 あえて土盛りするのであれば、その上すべてに広葉樹を植林して広大な森にする、というのはいいのでは、と思いますけれど。

 下世話な感覚で想像して、スーパー堤防とはスーパーゼネコンと建設官僚が「永遠の打ち出の小槌」として考え出したものだろうとアタリをつけたいところです。
 バブル開始直後の1987年に事業化されたとのことですから、大幅値上がり期待の土地再開発として濡れ手に粟、まともな効果が出るまで何百年かかろうが知ったことか、やれるところからぶったくれ、という感じだったのではないでしょうか。

     ☆☆☆

 関良基さま:

 域内の関税を撤廃する一方で外部世界との関税は維持するTPPこそ、恐慌に際してブロック化が進んだ1930年代の悪夢の再来ではないのか、という関さんのご指摘は戦慄的であると思いました。

 関さんが書かれた自由貿易批判の一連の記事を拝読しておのずと浮かんだ言葉が「自由貿易帝国主義」なるものでした。
 見ますと、ジョン・ギャラハーとロナルド・ロビンソン両氏による、なんと「 The Imperialism of Free Trade 」と題した1953年の論文があります( http://vi.uh.edu/pages/buzzmat/imperialism%20of%20free%20trade.pdf )。
 また「ブロッギン・エッセイ ~自由への散策~ 」というウェブログ( http://ameblo.jp/e-konext/entry-11071188382.html )2011年11月7日付の記事「TPPの本質とは ~自由貿易帝国主義の亡霊 」に次のような記述がありました。

 「TPPがブロック経済や保護貿易に見えないのは,自由貿易という建前によって虚像が作られているからにすぎない。
 その本質は,自由貿易の強制に基づく大国(アメリカ)の帝国主義的支配と言っても言い過ぎではない。
 それは,19世紀後半の国際経済を特徴づけた『自由貿易帝国主義』という概念が,新たな鎧を纏って現代に甦ってきたようでもある」

 ・・・と。

 ジョン・ギャラハーとロナルド・ロビンソン両氏の「自由貿易帝国主義」を斜め読みつまみ食いで見ましてのあてずっぽうの理解は、19世紀中葉の英国帝国の自由貿易外交は「フォーマルな帝国」支配方式と「インフォーマルな帝国」支配方式を使い分けていたということです。

 当方流に勝手に言い換えますと「(植民地統治による)ハードな自由貿易帝国主義」と「(さまざまなやり方での間接支配による)ソフトな自由貿易帝国主義」があった、ということかと思います。

 自由貿易帝国主義という言葉に触れたことがなかったことを恥じつつ、 19世紀英国帝国の自由貿易帝国主義外交の時代がいわゆる「幕末」期にかさなることから、明治維新についてあらためて考えるためのひとつの足がかりが得られたように思いました。

 それはそれとして「経済産業研究所」の研究員、田中鮎夢氏による2010年6月8日の「コラム」記事「新々貿易理論とは何か?」( http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0286.html )に次のような記述がありました。

 「日本をはじめ世界各国で、輸出額は国内総生産の大きな割合を占めている。ところが、輸出を行っている企業は、きわめて少数であることが近年分かってきた。Bernard et al. ( 2007 ) によれば、2000年に米国で操業している550万の企業のうち、輸出企業はわずか4%にすぎない。そして、これらの輸出企業のうちわずか上位10%の企業が米国の輸出総額の96%を占めている」

 ・・・と。 レーニンのかの『帝国主義論』を思い起こさせるような叙述(たしか・・・)に息を呑みました。なるほど、自由というのは独占と帝国の言葉なのだ、と。 強いものの自由は、新古典派流の「均衡と最適化」という静的なものではない、かけがえのない自然的均衡循環の破壊と、不均衡のシーソーゲームによる国家間及び一国内の資源分配の激烈な偏りをもたらすわけで。

 さすれば、二つの世界大戦の発生要因として通俗説が言う、諸国家の保護主義的ブロック化がブロック間の紛争そして戦争を引き起こすゆえに自由貿易こそが重要である、というプロパガンダの時代が終わったのではないか、今やごく少数の巨大多国籍企業によって動かされる「TPP型自由貿易ブロック」が、そのブロックに含まれる国家という動員装置(インフラ)を駆使して、ブロック外世界に対するさまざまの攻撃を仕掛ける、という21世紀版「自由貿易帝国主義」の時代に進もうとしている、と。

 そして、その「ブロック外世界に対する攻撃」のための実力行使体制形成を担うべく、今般の安保法案による戦争体制への移行がなされていることになります。
 それはまず、(1)盟主である米国の軍事力を補完すること、そして(2)日本経団連企業の海外における活動の自由を物理的に担保すること、さらに(3)輸出を含む武器生産の飛躍的拡大をはかり戦争経済を柱とすること、あわせて(4)戦時ファシズム体制の導入によって国民に対する支配統制をすみずみまで貫徹すること、かようなことが眼目となろうかと思われます。

 飛躍しますと、いま日本においてTPPと対外参戦に対して粘り強く、あくまで反対することはひょっとして世界史的意義を持つのではないかと思います。
 米系多国籍企業のためのTPPブロックの形成とウクライナとシリアにおいてイスラエル含みで演出された紛争状況は米系軍産官学複合体によって連動しており、これが、奇妙にねじれたECのブロック化、そして英国の微妙な立ち位置、そしてロシアと中国の接近を引き起こしています。

 敗戦後一度たりと内政外交にわたり自立した立場と力量を持ったことがなく、さらにこの四半世紀に米国的新自由主義の浸透支配によって荒廃劣化が進んだとは言え、依然相当な経済力と技術力を持つ日本が、「米国TPPブロック」をささえるために、いまや軍事監獄化した米国を追ってあえなく軍事ファシズムに陥った場合、世界にあたえるネガティヴなインパクトはきわめて大きいと思います。

 おそらく絶望を世界中に輸出することに。

 それゆえ、日本に反TPPと戦争反対の火がけっして消えないことが、闇がおりたあとさらに燃え上がることが、そのことだけで世界に希望をもたらすと思います。
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すばらしいご指摘感謝します ()
2015-09-18 00:16:52
薩長公英陰謀論者さま

 すばらしい論考ありがとうございました。
スーパー堤防に関しては、ご指摘の通りで、例の日米構造協議のときに、内需拡大のために430兆円の公共事業のバラマキをやれとアメリカから要求された際に立案されたものです。
 アメリカから要求されたことを悪用して霞が関官僚は自らの利権を追求し、動き出したら止まらなくなるので、それが今日まで尾を引いているということになります。 米=霞が関複合体による血税略取の典型例といえるでしょうか。安保法制もそれと同じ構造ですね。
 
 渾身の自由貿易帝国主義論もありがとうございました。新しい記事として紹介させていただきたいと存じます。
 
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