ご存知の方も多いと思いますが、「太平の眠りを覚ます上喜撰 ( じょうきせん )、たった 四杯で夜も眠れず」という狂歌は、ペリー来航時に詠まれたものではなく、ペリー来航から25年後の明治11年に詠まれたものだそうです。 最近の教科書はどうか知らないのですが、私が中高生のころは、あたかもこの歌がペリー来航当時に江戸市中で詠まれたものであるかのように教わったものでした。明らかに、教科書で堂々とウソが教えられていたわけです。これも、長州史観のプロパガンダといえるでしょうか。幕府が狼狽し、外交能力がなかったかのような虚構をねつ造することで、日本人全体に明治維新の「正当性」なるものを刷り込もうとする意図を感じます。 . . . 本文を読む
長州右派と長州左派の共通点というのは、小難しい学術的な論点という意味のみならず、自派の考えを絶対化しすぎ頑固で柔軟性に欠ける点、不寛容な点、他派に対し容赦なく執拗な攻撃を浴びせかける点、イデオロギーのためならば人の命も軽んじる点・・・・といった性質的なところに濃厚に見られると思います。この辺が非日本的ですよね。 . . . 本文を読む
最近読んだ本の中で、鵜飼政志著『明治維新の国際舞台』(有志社、2014年)の内容は非常に興味深かった。少し紹介したい。著者は、明治維新の解釈に関しては、「皇国史観・王政復古史観」と「戦後日本のマルクス主義歴史観」は基本的に同じものであるという。私も以前、自民党も共産党も基本的には同じ長州史観を核に持っていると書いたことがある。「日本近代化の原点」「国民国家の形成」「歴史の進歩」としての「明治維新の物語」は、左右両派に共有されているのだ。
鵜飼氏は前掲書の「はじめに」において、明治維新の物語という国民的な神話があり、歴史学者はその物語の枠組みに合致するように考証してきたのであり、その「物語」に矛盾する事実が明らかになっても物語は修正されない、と述べる。 . . . 本文を読む
長州史観に染まった自民党・清和会の政治家たちがポツダム宣言を否定するどのような主張を展開したところで国際的に相手にされるわけがない。長州軍閥が用いてきた手口は、アメリカの軍産複合体のそれ以上に汚らしかったからである。アメリカを批判したいのであれば、先ずは、私たちがそれに見合うだけの道徳的高潔さと国際平和主義を取り戻さなければならない。それは長州=靖国史観を否定し、自民党・清和会の支配を終わらせ、長薩閥の支配の中で失ってしまった本来の日本の姿を取り戻すことなのである。 . . . 本文を読む
ポツダム体制を打倒し、アメリカに押し付けられた日本国憲法を廃棄し、大日本帝国憲法が支配した輝かしい長州支配の明治の御代を取り戻そう・・・・・。首相の歴史観を簡潔に述べればこういうことだ。これは安倍首相の祖父である岸信介元首相の持っていた歴史観(=長州史観)であり、岸派の流れを汲む自民党・清和会系の政治家に広く共有されている。いま進行している事態は、この「長州史観の歴史的瓦解」ともいえる現象なのではないか。 . . . 本文を読む
大河ドラマの「花燃ゆ」、第14回は、幕府による梅田雲浜の投獄に抗議した吉田松陰が老中・間部詮勝の暗殺を計画し、松下村塾が閉鎖され、松陰が再投獄される回だった。
この暗殺計画をどう脚色・美化するのだろうという興味で、一週遅れの土曜の再放送を観てみた(日曜は観れなかったので)。予想に反して、吉田松陰とは距離を置いて、松陰の老中暗殺計画に批判的だった吉田稔麿の視点から客観的にテロの現実を描いていた。 . . . 本文を読む
大河ドラマの「花燃ゆ」、吉田松陰にしろ久坂玄瑞にしろ、登場人物の描き方が本人たちの実像とあまりにかけ離れているのに興ざめしてしまい、観るのを辞めてしまっていた。温厚で穏やかな様子の伊勢谷友介さん演じる松陰。ファナティックでエキセントリックな本人の実像からあまりにも乖離していて、「これじゃ本人に失礼でしょ」という印象しか持たない。
安倍首相をヨイショしようという意図があるのかないのか知らないが . . . 本文を読む
現在の「自共対決」という構図はじつは「長州右派」と「長州左派」の闘いなのかも知れない。双方が闘いを演出しながら、全体として「日本型官僚制」という明治以来の長州システムを支えていく。実際、霞が関の官僚制と日本共産党の官僚制はかなり親和的なように見える。霞が関は共産党が政権に加わるのをそれほど恐れる必要はないのではないか。案外うまくやっていけるのではないかと思う。吉田松陰門下の品川弥二郎が支配した内務省の流れをくむ国交省の人々などを見ていると、個人としてはそのプロジェクトに異論があっても、組織の方針が決まったからには、絶対的にその方針に従う。傍目で見ていて、「これは共産党の民主集中制と同じだなぁ」と思ったものだ。 . . . 本文を読む
美智子皇后にささえられた明仁天皇は憲法にいう「日本国と日本国民統合の象徴」すなわち「国家の象徴、民の(国家への)統合の象徴」であるよりむしろ「日本の民の象徴」であると思えます。言わば「最善の日本人」なのだと。明治維新から敗戦までのいわゆる「天皇制」が如何に「日本の長い歴史と伝統の中で異質なものであったか」あまりにあきらかです。下町江戸っ子の末裔から見て、かような長薩の思考と行動には、その現在の姿を含めて、正直言って些か日本人ばなれした「異常性」を感じるというのが正直なところです。
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*「天皇を主権者」とする「大日本帝国憲法」は、日本の長い歴史と伝統の中では異質なものであったこと。その異質さ故に、日本を戦禍に巻き込み310万人も犠牲にしたこと。
*「天皇を象徴」とする日本国憲法の方が、日本の歴史の中の天皇制の伝統に合致すること。つまり古来日本では天皇の地位は象徴的であったこと。その日本国憲法が、産業と国民生活の発展を可能にしたこと。
私もこうした明仁天皇の歴史認識にまったく賛同いたします。 . . . 本文を読む
赤松小三郎の憲法構想は、天皇に議会の解散権も拒否権も与えられていないという点で、私擬憲法の中で最も民主的とされる植木枝盛の憲法構想よりも、さらに議会の権限が強い民主的内容になっている。基本的人権や言論、集会、結社の自由など国民の権利規定に関しては、さすがに五日市憲法や植木枝盛の憲法案が詳細である。赤松小三郎は国民の権利に関してはあまり多くを述べていない。しかし赤松建白書の第三条には「国中之人民平等に御撫育相成、人々其性に準じ充分を尽させ候事」とある。これは簡潔な文章の中にも、すべての国民が法の下に平等であること、職業選択の自由があり、個々人の好みと能力に応じてそれぞれ自己実現する権利があることを高らかに謳い上げているのである。 . . . 本文を読む
吉田松陰は孝明天皇を神として崇拝していたが、孝明天皇は、松陰の弟子たちが行うこうした陰惨なテロリズムが大嫌いであった。好きな相手に良かれと思ってなにかすればするほと逆に嫌われていくというストーカーの心理に似たものがある。安倍首相も天皇のために良かれと思っているのかも知れないが、その行為のことごとくが天皇陛下の御心に反し、やればやるほど嫌われることになろう。松陰は動機が純粋でさえあれば殺人も肯定する人物でった。松陰の弟子たちは、全く無実の、殺してはいけない人々を殺しすぎた。伊藤、山縣、品川ら生き残った弟子たちが国家権力を掌握すると、今度は国家テロを行使する側になったのもむべなるかなといえる。彼らは、多くの人々に対し「長州レジーム」のための死を強要するための「装置」として長州神社(靖国神社)を創った。この体制が太平洋戦争の滅亡に至ったのも、明治の最初から運命づけられていたといえるだろう。しかし敗戦にもかかわらず、GHQが岸信介を釈放したことによって長州レジームは復活してしまったのだ。
明治維新の誤謬を正し、江戸公儀体制の良い部分(地方分権、内需主導、循環型社会)の延長上に新しい日本をつくり直すしか、日本を再生させる方法はないだろう。 . . . 本文を読む
明治以降の日本陸軍兵士にとって自らの生命を脅かす「最大の脅威」は、ロシアでも中国でもアメリカでもイギリスでもなく、人命軽視も甚だしい長州陸軍閥がつくりあげた「長州システム」そのものであった。脚気問題を見ていくと、長州陸軍閥がつくった「長州システム」の愚かさは、日清戦争のときからすでに始まっている。いや、長州システムの愚劣さは1863年の下関海峡における外国船無差別砲撃のときから一貫しているといってよいだろう。明治の脚気問題に見られる構造は、戦後になっても水俣病、薬害エイズ、そして現在進行中の子宮頸がんワクチン・・・・・と繰り返されてきている。突き詰めていくと、「官僚主義的無責任体制」という長州藩閥がつくりあげたシステムの問題に行き着くのである。安倍政権の暴走を許せば、私たちはまた野良犬のようにその生命を奪われていくことになろう。 . . . 本文を読む
長州は、「開国による国力の増強」という象山の思想は理解しなかったが、攘夷戦争のために象山の技術だけ借用しようとした。薩摩も、議会制民主主義と人民平等という赤松小三郎の思想を理解しなかったが、イギリス式の陸軍歩兵戦術という小三郎の技術的知識だけ借用しようとした。そのはてには「その才能が敵方にわたるくらいなら抹殺してしまえ」という恐るべき発想に帰着するのだ。木戸、大久保、西郷という「維新三傑」は、いずれも佐久間象山暗殺あるいは赤松小三郎暗殺という犯罪に関与した可能性が高い。赤松小三郎は「久坂玄瑞の攘夷の説は過激この上なく、私たち開国論者をまるで敵の如く・・・・」とあきれた様子で報告している。薩長中心主義史観では、長州や薩摩が先進的で、「佐幕派」諸藩の藩士たちなど不勉強でまるで遅れているかのように描くことが多い。実態は逆である。草深い山奥の信州上田の人間たちから見て、久坂玄瑞の不勉強で稚拙な認識に基づく過激攘夷論など笑止でしかなかった。 . . . 本文を読む
「品川弥二郎・山田顕義、そうして桂小五郎をはじめとして、おそらく久坂玄瑞や真木和泉といった象山の影響を大いに受けたものまでも、象山暗殺に同意するに至ったのである」。品川弥二郎という、松陰が生んだ鬼子ともいえるテロリストは、佐久間象山という巨人が日本にとってどれだけかけがえのない知性だったか、象山の死がその後の日本にとってどれだけ大きな損失であったのかなど、認識する能力のかけらも持っていなかった。明治の長州藩閥政権において、殺人者が平然と内務大臣をやり、司法大臣をやり、最高裁の判事となり、検事になった。考えるだけでもおぞましい。じつに狂った世の中だったのだ。 . . . 本文を読む