代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

天皇陛下によれば日本の歴史と伝統に合致するのは明治憲法でなく日本国憲法である

2014年11月13日 | 長州史観から日本を取り戻す
 だいぶ前のものですが、平成21年の天皇陛下ご結婚50周年の際のお言葉を宮内庁のHPから引用させていただきます。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gokekkon50.html

***<以下天皇陛下のお言葉を引用>****


顧みますと,私どもの結婚したころは,日本が,多大な戦禍を受け,310万人の命が失われた先の戦争から,日本国憲法の下,自由と平和を大切にする国として立ち上がり,国際連合に加盟し,産業を発展させて,国民生活が向上し始めた時期でありました。
(中略)
私は即位以来,昭和天皇を始め,過去の天皇の歩んできた道に度々に思いを致し,また,日本国憲法にある「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ,国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず,その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。


***引用終わり*****

 このお言葉からは明仁天皇の歴史認識がよく伝わってきます。つまり、
 
*「天皇を主権者」とする「大日本帝国憲法」は、日本の長い歴史と伝統の中で異質なものであったこと。その異質さ故に、日本を戦禍に巻き込み310万人も犠牲にしたこと。

*「天皇を象徴」とする日本国憲法の方が、日本の歴史の中の天皇制の伝統に合致すること。つまり古来日本では天皇の地位は象徴的であったこと。その日本国憲法が、産業と国民生活の発展を可能にしたこと。

 私も明仁天皇の歴史認識にまったく賛同いたします。 

 安倍首相に言わせれば、日本国憲法は「GHQの押し付け憲法」であり、長州の先輩たちが作った明治憲法こそが日本が自ら制定した誇り高き憲法ということになるようです。
 しかし、天皇は、はっきりと、明治憲法における天皇の在り方は日本の伝統に反していいて、日本国憲法の方が日本の歴史に親和的だと主張しておられるのです。

 私も、日本においてから古来から天皇は象徴であり、象徴であったが故に、滅びることなく存続し得たのだと思います。専制皇帝政治の歴史が長かった中国で、革命による王朝の交代が頻繁に起こったのとは対照的です。

 もちろん、日本の長い歴史の中で、天皇自身が主権者となって親政を行った君主も存在しました。例えば天智天皇や後醍醐天皇がそれに当たります。しかし天皇親政を行った天智天皇は、朝鮮半島に兵を進め、白村江の戦いでの敗戦に至りました。その死後は壬申の乱を誘発するなど、危うく国を亡ぼしかけています。
 御醍醐天皇の親政も南北朝の争乱の引き金になり、国を危うくしています。


 日本は、天皇が象徴でいた時代に、平和で安定することが多かったのです。長薩両藩が、天皇を「主権者」に仕立て上げるという王政復古クーデターで偽造した明治国家(実際の主権者は長薩の維新官僚)は、やがては第二次大戦の敗戦に至ります。天智天皇や御醍醐天皇と同じ失敗を繰り返したといってよいでしょう。

 
 実際には日本の天皇は古来象徴であったにも関わらず、「天皇を主権者」とする水戸国学の誤った歴史観を敷衍させることによって、天皇の名の下の官僚独裁権力が生み出されてしまいました。
 「彼ら」は、「主権者」であるはずの孝明天皇が、「彼ら」の意図に反して王政復古に反対すれば、暗殺して取り除くことも辞さなかった。結局のところ「彼ら」は、天皇など自らの独裁を正当化するための道具としか考えていなかった。「彼ら」の後輩であるところの安倍政権もそうでしょう。

 

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